KOI NO Vermillion
月の美しい夜だった。
蒼白い光しか通さない部屋に響くのは、咆哮と鎖の音。
「ゥ…ッ…ァ…!」
畳のうえで体を捩る斎藤は、既に抵抗らしきものを示さなかった。尤も、両手首に鉄枷を嵌められたうえに腕を折り曲げられ鎖できつく戒められた状態では、大したことなどできようがなかったが。
山県は厚い唇を月光を浴びて蒼白く浮かび上がる肌に押し付けた。探り当てた胸の蕾に吸い付いて舌を使ってやると、下に敷いた裸の躯は素直に啼き、腰を揺らしながら闇に溶けるような艶やかな声を吐いた。
白い顔を上から覗き込み、山県は熱い息を吐く口に自分の指を入れて濡らした。
付け根まで潤った頑丈な指を斎藤の後ろに潜り込ませ、狭いそこを拡(ひろ)げて掻きまわす。乱暴に片膝を開かされた白い脚が突っ張って、自分を待っているのだと山県は思った。
そのまま誘われるように内股に唇を口髭ごと這わせて舐めると、斎藤は欲を解放させた。いつも、こうだった。躾られた獣のように、斎藤は同じ反応を示すのだ。
密偵を兼ねている斎藤は、警視庁に戻ることはあっても山県の務める陸軍にいくことはない。そうでなくとも、自分は斎藤に睨まれるべき存在であり、この先もそうだろうと思っていた。
それが崩れたのが、馬車で斎藤の密偵宅まえを通り過ぎようとしてちょうど斎藤が帰宅したとき。それから山県は時間をみつければこうして密偵宅を訪れる。
『大将が来る場所ではない!去れ!!』
『…では、私の部屋に来るのか?』
そう言った自分に斎藤はカッと瞳を開き、白い貌を怒りで蒼褪めさせた。
『失せろ――――こっちはあんたを吊り上げる側の人間だ…』
狼の瞳(め)をして。
あれをみたとき、自分の何かが壊れた。
だから帯刀していないのを幸いに斎藤を縛り、賄いの老女に用意させておいた薬を飲ませて動きを封じ、犯した。
そのあと何度も、暴れては頬を殴り、縛り、締め上げたうえで繰り返し自分を刻み付けた。大暴れしなくなるまで。
大人しくなったものだ。しばらくの間は、山県に喰ってかかりその傷が山県の体をところ構わず飾ったものだった。
だが、斎藤がなにを考えているのかまったく分からない。ふたりが会話を交わすことは全くと言って良いほどなかった。
抗うことを本気で諦めるような男ではないだろう。ならば、本能に従ってこのときだけ傷を忘れようとしているのか。
私とおなじく、愛するひとを失った絶望を。
「……」
太い腕が裸の腰を掴み、息を整えていた斎藤を引き寄せた。躯は山県の熱に怯え硬くなったが、構わずに強く押し付ける。
「…っ、や、めろっ……!」
逃げようとする細い体を押さえつけて犯してやると、やがて声が甘い喘ぎに変わり、畳に立てていた爪の音が山県の動きに合わせていった。包んだところを緩やかに蠢かし、更に奥へと誘い出す姿は生前の大久保を思い起こさせた。
温かさに癒されてゆく。大久保を喪ってから渇ききった心が湿度を持ちはじめているのを、山県は感じていた。
鉄枷と繋がっている鎖の端を引っ張った。自分の膝を横切らせ鎖を離した山県は片手で斎藤の髪の毛を掴み、他方で口を開けさせてそこに…解放させたばかりの自分を含ませた。
「!!」
琥珀の瞳が見開かれる。が、そのまま突っ込み漆黒の頭を掌を使って自分に押し付け喉の奥まで入れた。
「んん…っ!」
口腔の内壁が引き攣り、更に飲み込ませると斎藤の唇が山県の乾いた皮膚に吸い付く。
銜えさせられた異物に斎藤は怯えたが、太い指で項の生え際を愛撫されると大人しくなった。山県は掌を押して斎藤の奥を突いては、背中を撫でてやる。
すると、与えられる対照的な感覚に肌を震わせながらも山県を
「…ン……」
本能だろうか、しゃぶりはじめた。
しかしかなりぎこちない。少なくとも、馴れた動きではなかった。
嘔気が催すのか、時折粘膜を震わせて口腔が狭まるため、押さえつける手の力を増すと余計に密着することになり、既に怒張しあがった山県を悦ばせた。
病に冒されたような熱に、どちらが真実魘(うな)されているのか分からなくなる。それほど互いの肉が同期していた。
このまま堕ちてゆくしか、私には遺されていないのか。
山県は髪の毛を掴んでいた手に力を込めた。同時に、自分を引き抜く。
「ハ、ァ…」
琥珀の瞳が虚ろに潤んだたまま山県を見上げてくる。
朱(あか)い舌が見えて、濡れた唇から自分の欲が涎(た)れた。
「……」
山県は斎藤の鉄枷と鎖を解いた。この頃になると斎藤はもう暴れはしないのだ。
畳に鉄の塊が落ちる音がする。それが合図だった。
膝の上で背を反らせる斎藤は髪を振り乱し、襲いくるすべてを受け入れていく。
山県の固い肩に両手をかけ、もはや彼は本能に己を預けているように思える。だが細い躯が山県の名前を呼ぶことは決してなかった。
彼の白さを浮き彫りにする漆黒の髪の毛が汗ばんだ額に張り付いている。それをはらってやると、消えかけていた誇りが蘇って逃げるように首を動かすのだった。
そこから上は許さないというふうに。
そこで思い知らされる。横たわる決定的な差が、幾重にも峰を重ねて遠ざかってゆく気がして山県の視界が翳った。
自分が奪い得るのはひとときの自由だけ。対照的に、生まれて初めて欲したひとは、誰にも飼い馴らせない筈のこの男を容易くひれ伏させた。
だけでなく、薄い瞳が追いかけて手に入れた闇色の男は、貴方の去ったいまも色褪せることなく黄金に輝く。
貴方がただひとつこの世に残した、貴方の愛に守られながら。
「くぁ…っ」
だから奪いたくなった。与えられたことが許せなくて、こうして犯した。
なのにこの、満たされぬ思いは何だろう。
藍色の迷宮。出口はみえない。
「―――――フ…」
山県は己を嗤った。斎藤にはそれが突然の振動となったようだった。
「っ!」
反らせていた上半身を丸め肩に置いていた手に力を入れて突っぱね、山県から逃げようとする。見ると、閉じた瞼を彩る睫毛が、滲んできた滴を震えながら辛うじて留めていた。
それを目にして山県は斎藤を少し上げて己を若干抜き、彼の背中を抱いて畳に倒し体を進めた。
「ッ、ぁ、アアッ!」
より淫靡に、より激しく。
この男は頑丈だから、夢のように儚かった貴方とは違うから。
そのつもりで抱いてきた。
なのにワタシは違うというのだ。それは違うと。
命じられるまま大久保を抱いたように繰り返すのみのはずが、回を重ねるたびに山県のうちを支配したのは、次第に高くなっていく鼓動。自分が自分を明らかに否定する感情が拭い難い不快感となって山県を弄ってきた。
が、この男の貌をみるとあれほどの不快が晴れてゆく。気付いてからは鬱蒼を除くために、蹴られても斬りつけられても通うことをやめなかった。
しかし折角時間を確保しても、犯すことしか山県にはできなかった。そんなとき脳裏に浮かぶのは、灰色の目を二重瞼で覆いながら私に抱かれて啼いた貴方。
貴方は“これ”を抱いたと言う。
しかし、それはちがう。
貴方は“これ”から、肉もなにもかもを奪ったのだ。
だから私も犯す。これからも、繰り返し、たとえ朱い唇が貴方の名を呼んでもやめない。
貴方がしたように、淡い喘ぎに身を任せながら目を閉じる。自分では既に涸れた、涙の音を聞いて潤う。
だから、泣け。
すべてを忘れて泣くがいい。
涙すら出なくなり己の弱さにこのまま沈み込めば、無望の境地へ連れて行かれることになる。あのひとが旅立った静寂の落園(らくえん)がやがてみえるだろう。
もしもみたくないと言うのなら、私は。
「アア!」
山県の動きが激しくなった。いつのまにか背中に回された白い腕の力が出入りし、硬いそこに尖った爪を立てた。近いらしい。
柔らかな肌に唇を寄せ、自分がつけたものではない痕に口づけた。途端、腕の中の熱が跳ねる。
「お……ッ…」
窓の向こうの四角い宙を見上げたまま斎藤は絶頂を迎えた。同時に最奥に注ぎ込まれて見開かれた金の瞳に、月の蒼白い膚が映る。
そこから透明な涙が零れるのを、黒い瞳がみつめていた。
夜が更けてゆく。
窓辺に寄り掛かった山県は斎藤を布団に横たわらせ、疲弊して陰影の濃くなった寝顔をみていた。
『なぜ、こ、んなことを…っ』
恨むような声で吼えてくる斎藤。いつも、答えない自分。
何故だと?
知りたいか。
真実を告げたらどうするつもりだ。私のまえに跪くとでも言うのか。
「……」
答えは、与えない。
私があのひとのもとへいくまで。
お前が私に微笑むまで。