Prologue
天地が裂ける 夜明け前
燃え尽きるだけの太陽 既に虚(そら)は暗く
噴きあがるマグマに すべての命が息絶える
灼熱にうなされる このまま
灰になってしまえと 叫ぶ
そんなとき 脳裏に蘇るのは
気の遠くなるような あの 煌き
そこで目が覚めた。
執務室の扉を開けると、部屋で待っていた川路が頭を上げた。持参してきた書類に目を通していたらしい。
無言で部屋に入り、扉を閉めた。歩くと風が冷たい。冬はすぐそこに来ていた。
大久保は添え付けられたばかりの机に向かい、椅子を引いて座についた。
「…聞こう」
「は」
川路の口が次々とノミネートされた名前を挙げていく。名前だけでなく、素性や戦歴なども告げられた。
が最後の人物のところで、それまで口を挟むことなく聞いていた大久保が彼を制止した。
「………会津戦で死んだのでは、ないのか」
「…私もそのように耳にしておりました。しかし、実兄―――卿も御存知の山口広明が実兄なのですが当人に確認したところ、現在、俎板(まないた)橋西の飯田町に居を構えているとのことです」
山口広明は大久保が大蔵卿を勤めていた頃から大蔵省に出仕し、優秀で且つ実直で若いのによく出来た人間として、省内でなかなか知られた存在である。当然、大久保と直接面識があった。
「山口君の、弟か」
…そんなことは知っている。
「――――は?」
知らずのうちに声に出していたらしい。大久保は珍しく笑って
「いや」
なんでもない、と言った。
「続け給え」
靴音を鳴らして大久保は席を立った。背を向けて窓の外を見、既に日の沈んだ都を臨む。西郷に伴って帰郷した旧官人の数は予想を遥かに越え、空席を埋め合わせるために人員の出入りする東京府内は未だ慌しい。穏かなのはこんな時間ぐらいだった。
背中から川路の声が二人しかいない執務室に響いてくる。
「…明治三年斗南を不法に脱出、上京し各地の不平分子と共に放浪。一年半を経て帰京した模様です」
「そうか……」
簡単に死ぬような男ではないと思っていたが。
「腕は」
「…問題ありません」
大久保は、負傷でもして使えないのではないか、と訊いたつもりだった。あれの腕前は他人に尋ねるようなものではないから。
が、川路は腕前を訊かれたととったらしかった。だがそれについては川路の様子から見て穿(ほじく)らないほうが良さそうだ。彼が問題なしと言うのなら、それにこしたことはないだろう。
「“彼”は私が貰おう。元々警護にひとり、と思っていたことだ。他は追々考えるとする」
大久保が言うと、川路が即答した。書類の最後の項を手袋をはめた指で叩き、それでも足りないというふうに声を荒げた。
「こやつに関して、私は反対です!」
「強ければ強いほどいい。違うか」
「………しかし」
言い澱んだ。が、髭をたくわえた口元をぎゅっと引き結び真っ直ぐに大久保の横顔を見た。
「鎮まったとは言え、旧幕府軍についていた暴徒を明治政府に迎え入れるのは危険だと申し上げている筈です」
「―――――過去のことだ」
「…ほかの人間ならば、私はなにも申しません」
言って、川路は書類を持っていないほうの手で拳を作った。無意識に別の手にも力が入り、書類に皺が刻まれていく。憎らしげに響いた音が、彼の次の怒号で虚空に拉(ひしゃ)げた。
「新撰組ですぞ!それも鬼神の形(ぎょう)と言われた幹部中の幹部を、貴方直接の指揮下に置くなど!」
「……忌まわしい、とでも言うのかね」
「私は卿の御身を心配し申し上げておるのです。いつ何処で、刃を反されるか分ったものではありません」
それも、と川路は付け足す。
「会津人の間で伝説となった輩など、もっての他です」
「多くが辞職した今、警察を空のままにするわけにはいかんと進言したのは君だろう」
「…ならば佐川官兵衛以下、斗南藩士を単なる羅卒として募集すれば良いだけです。なぜ、そやつのみを集団から外そうとなさるのです?危険が増すだけです!」
「私が欲しいのは警官ではない…内務省を確立させる為の“材”だけだ」
「………」
川路は口を閉ざした。ここまで来てしまえば大久保が自張を曲げはしないことを、彼は誰よりも知っている。
自分の背の向こうが鎮まっていくのを感じた大久保は低い声で闇のように命じた。
「君から文書を出しておいてくれ。君の名で」
「…分かりました。早速、明日出しましょう」
一度頭を下げ、普段よりも鈍い靴音を立てて川路は扉へ向かった。大久保はまだ窓の外を見つめたままだ。
「大久保卿」
一度ノブを握った掌を離し、体の向きを戻した川路が大久保の背中に聞いてきた。
「…何かね」
「どうしても斎藤一ひとりを、大久保卿直下に置くのですか」
「無論だ」
あれは、俺でなければ飼えん。
大久保の科白に後ろの気配が緊張を増した。これで決まった。
川路が退室し大久保はひとりになった。しかしそのことも忘れて黒い窓の外を見ていた。
否、みていたのは、切っ先で血飛沫を描きながら前に進むことしか知らぬ強靭さ。気の遠くなるような煌き。
「斎藤」
いまにも熱を帯びそうな呟きが肺胞を満たしていくのを大久保は感じた。
ふたりを隔てた歳月さえも、満たす気がする。
「フ……」
しかしここは京都ではないのだ。
私を昇天させてくれ
お前は 黄金(きん)のガルーダ
必ず手に入れる