golden boy 8


updated on 29th Sep.2005 for St.Michael festival

 「最後のターン!」

「…フィニッシュ、1分10秒09!」

 どっと歓声が上がる。

 ゴールゾーンに入ってスキーを大きく左ターンさせて最後の巨大スプレーを上げた斎藤も、まだ滑りながら電光掲示板を見た。

“H.SAITO RAP”

 斎藤の口がぽかんと開いたのが分かった。斎藤の後にも選手はいるのだが、10秒09というのは第一回滑走のタイムと合わせて、現在一位の選手と一秒以上の差があるラップだったからだ。スキー競技において、一秒は、かなり大きい。

「よし…」

 興奮したままメットとゴーグルを外した。次にスキーをブーツから外して、ポールを片手に持った斎藤だったが、ゴールゾーンにいるときは心が昂揚してふわふわと浮いた感じで、落ち着かない。

 取り敢えずは社交辞令も兼ねて、Rossignolを雪に突き刺し、そこにもたれかかるポーズを取った。ゴールゾーンでのパフォーマンスは、RAPハンターにだけ許される至福の行為である。しかし欧米人並の派手なパフォーマンスは、斎藤にはまだ出来なかった。これが緋村なら、愛用のHEAD(スキー板)をギターに準(なぞら)えて、掻き鳴らす真似でもしている。その分、斎藤は握手を求めてやってくる選手の一人一人と丁寧に握手し、カメラを向けてきた記者にきちんと顔を向けた。

 しばらく斎藤を破るタイムが出なかったので、斎藤のラップタイム(ゴールゾーンにいる時間)は長かった。ヒマだったので観客に混じった緋村を呼びつけて愛用のヘアターバンを持ってこさせた。

 表に、“A.MEIAE”のサインの入った世界でただ一つだけのターバン。

(マイエ、俺、ラップ取ったぜ。あんたが声かけてくれたキッツビューエルで…)

 スーツのポケットを探ると、ちゃりん、とチタンブレスが鳴った。斎藤はそれらをゆっくりと嵌め直した。

 途端に蘇る笑顔。

 マイエはすべての種目(オールラウンド)の覇者だった。いま斎藤がラップを獲ったのはGSだから、次の目標は他種目でもラップを獲り続けることになりそうだ。

(ラップだけじゃなく、絶対メダル獲るんだ。クリスタルもな)

 斎藤の脳裏に、大久保と過ごした日々が去来した。

 俺はあいつと会い

 あいつを好きになって

 抱かれて、初めて知った気がする

 急斜面に本気で突っ込んで行ける勇気と、

 一瞬で瓦解するかもしれない恐怖に立ち向かうことと、

 ひとりでは見(まみ)えない、でも手を伸ばせばきっと届く最高の世界を――――

 青空の下のゲレンデ。

 そこにシュプールを描くのはアスリートの一人一人だ。雪山を愛し、スキーを愛し、レースを愛するアスリートはやがてレースが人生となる。レースにおけるタイムこそが、アスリートを語るからだ。

(でもタイムだけじゃなくて、やっぱ形にしたいじゃん。俺がここまで来れたのは俺ひとりの力じゃないし)

 だから、メダルとクリスタルを大久保に届けたいのだ。

 これは、あんたと俺のもんだよってさ…

「もらってくれるって言ってたし、でなけりゃ無理やりにでも送りつけてやる」

 オフィスだろうと東京にある自宅だろうと。

 ふん、と斎藤が鼻息を荒くした時だった。

「さいとー!!!」

「ああん?」

 急に緋村の大きな声が聞こえたので何事かと思い顔を向けようとすると、赤い髪にわっと抱きつかれてしまった。

「何すんだっ、離せ!」

「おめでとうでござる~!」

「まだラップ獲っただけだろうがっ!あと(選手)何人か残ってんだろ!」

「もう終わったでござるよ~優勝でござる~」

「え……」

 液晶を見上げると、自分の顔が大きく映し出されていた。そこには、大きくWINNERと文字が重ねられている。

 ふと気が付けば目の前には、一斉に駆け寄ってくるDankのメンバー。

 …やがて、彼の耳にも波の音のような歓声が再び聞こえてきた。

 斎藤はDankメンバーに両足を掴まれ掲げ上げられて、人々よりも一層高い位置から会場を見渡した。

 久々の日本人Winnerに、会場中が拍手の渦で溢れている。

 そのなか、

 眩しそうにこちらを見つめる灰色の瞳をみつけた斎藤は

 誇らしげに、笑った。



 バンガローの窓が突然叩かれた。振り返って近づき、大久保は窓を開ける。

「お早う緋村、」

「おはよ~でござる~」

 大久保が、どうしたんだ一体と尋ねる前に、緋村は掌で雪ウサギを差し出してきた。

「拙者も作ってみたでござる」

「上手じゃないか」

「あはっ。そうでござるか?」

「傷はもう大丈夫なのか」

 大丈夫なのは、彼がまたメダルを獲ったことで十分に分かっているのだが。

 予想通り緋村は満面の笑みを返してきた。

「ぜーんぜん平気っ!でござるよ」

「それは良かった」

 大久保はどうぞ、と窓を広く開けてそこから緋村を部屋に入れた。

「わ~やっぱバンガローって良いでござるなぁ」

 去年の秋に立て替えられたばかりのこのバンガローは、大久保が一目で気に入って半年前からこの大会のために予約していたものだった。

「あっかる~い、綺麗~。おろ?!これは何でござる」

 言って緋村が手にしたのは、ソファに置かれた編みかけのセーターらしきものだった。雪の結晶とトナカイの模様が入っている。

「斎藤にあげるためでござろ!マフラーまであるぅぅ。いいな~手編み~」

「正確には、マフラーが斎藤用で、セーターは俺の分だよ。斎藤は暑がりなんだ。真冬でもフリースを一枚肩にひっかけて歩く奴だから」

「二人でお揃いでござるか~。かーっ、見せ付けないで欲しいでござるよ」

 大久保と斎藤の仲は既に公認だった。相手が大久保と言う時点でチームの誰も文句の出しようがなかったが、斎藤の成績が上がりっぱなしなので、すぐに賞賛の声が勝ったのだった。

『ミスター!ハジメは笑うようになったネ!』

 モーグラーの一人が肩を叩いて言ってきた。

『メダルの所為だけじゃ、ナイよ。きっとネ』

『そうかな』

『絶対そう!ミスターもシアワセそうに見えるよ』

『……』

 Dankのメンバーがはっきりと気が付くぐらいに。

 そして自分が自覚をするほどに。

「大久保さん!」

「…?」

「また斎藤のこと考えてたんでござろー。ま、いいでござるけどさ。もうすぐ斎藤の誕生日でござるな。もしかしてこのマフラーはそのときに?」

「出来る予定だ」

「へぇ。大久保さんってほんと、家庭的でござるなぁ」

「ヒマだったから取り敢えず手をつけてみたらハマったんだ。雪ウサギを作るみたいに…」

「まぁたまた!最初から斎藤のためって言えばいいのに~」

 そこで緋村は頭を左右に回して尋ねた。

「あれ?斎藤はどこ行ったでござる?」

「朝から練習に飛んでいったよ」

「えー?!この前優勝したばっかなのに~。第一今、クリスマス休暇でござるよ~?」

「一レースで優勝しただけで喜ぶのは甘いと言い張るんだ」

「んも~斎藤ってば素直じゃないでござるなぁ」

「はは、俺は元気でいいと思うんだがな」

「…そーゆーの、ラブラブって言うのでござるよ」

「そうか?」

「自覚無しってゆ~でごっざるー」

 つーんとそっぽを向いて緋村は大久保のバンガロー内を散策し始めた。普通、チームのメンバーは一つの合宿所に合同で泊り込むのだが、Dankは選手たちの好きなようにさせていた。緋村はホテルを利用し、斎藤はバンガローに大久保とともにいる。斎藤がそうしたいと言ったから。

 …実は心のなかで、大久保もそれをずっと望んでいたのだ。ただし雪山で大久保が彼に出来ることは、正直言って無いに等しい。斎藤には専属のトレーナーがいるし、マネージャーもいる。金を出すだけの大久保が傍にいても、何の役にも立たない。

『バンガローって、俺の予約したところか?』

『うん』

『だがな斎藤、俺がお前に出来ることは殆ど無いよ』

『何かして欲しくて言ってるんじゃないよ。あんたはあんたで、好きにしてりゃいいじゃん』

『しかしなぁ……お前が一生懸命レースしている傍で、俺が休暇を楽しむなんて構図、嫌じゃないのか』

『嫌じゃないよ!レース終わって帰ってきて、あんたがいればそれでいいんだよ…』

 睫毛を伏せがちにして俯いた斎藤の顔に、大久保はプロとしての孤独を彼に感じていた。調子のいいときはどんなコースでもいい成績を残せる。しかし不調子になるとどこへ行ってもトップから脱落する、それがレースというものだ。しかも不調子は、本人の望まないところでやってくる。そんなときに自分の慕う相手が隣にいるのといないのとでは、大分違う。

『…甘えてんよな、俺……ダメかな、そういうのは……』

『いや…お前の気持ちはよく分かった。ちょうど俺もお前をバンガローに呼ぼうと思っていたところなんだ。次にお前と過ごせるのは、夏になってしまうからな』

 言うと斎藤はほっとした顔をした。そんな表情が、なんとなく嬉しい。嬉しいからこんな提案をしてみた。

『じゃぁ、お前の好きな料理でも作るか』

『はじめてあんたの手料理食ったときみたいに?』

『そう、そんな感じだ』

『ふーん。じゃぁ、料理以外の時は何するんだ?』

『…そうだな、雪ウサギでも作るか』

 途端に斎藤が噴出した。

『悪かったな。俺は鹿児島生まれなんだよ』

 大久保が言い訳しても斎藤の笑いは止まらなかった。

 ひとしきり笑ったあと、斎藤が言ったのだ。

『じゃぁ、バンガローのベランダに沢山作って、キレイくて可愛いヤツ。俺が、もう降参って言うくらいにさ』

「もーう、大変だったんでござるよ、雪ウサギを掻き分けて歩くの」

「踏むなよ。あれは斎藤のために作ったんだから」

「へ?!斎藤にはそんな趣味があったでござるか?」

「俺が10000個作るころには、Dank初めてのトータル(総合優勝)を決めるのだそうだ」

「むっ。拙者の方がDank先に入ったのに…」

「そこまで言われて、緋村も負けてはいられないだろう」

「でござる~!というわけで、行ってくるでござる」

「もう行くのか。怪我には十分気をつけて」

「拙者が怪我したら師匠(比古)に転んだ姿、ネットで流されるから気をつけます、だいじょぶでござるよ。そうだ、大久保さん」

「何だ?」

「拙者も手編みのマフラー、欲しいでござる」

「……分かった」

 やったー、と両手を挙げて喜んだ緋村は、勢い良くさっき入ってきたばかりの窓を開けて、日光を浴びてきらきら光る雪の中を元気に去っていった。

「やれやれ…」

 そんな緋村の姿を大久保は、溜息を吐きながら見送る。しかしその溜息は、大久保の、緋村に対する期待の現われでもある。

 彼は成績が安定してきたので、モーグラーとしてだけでなく、フリースタイーラーとしての賞金稼ぎも始めるらしい。

「もう賞金稼ぎか。最初に相談に来たときにはあんなに怯えていたのに…」

 わずか数年前のことなのに、酷く遠い昔に感じてしまうのだ。それは、緋村がモーグルでも人間としても明らかに強くなった証拠である。

 だがそれは緋村だけはなく。

『金メダルは嬉しいよ。俺、本当にあんたの“Golden Boy”になれたんだから。だから勝つよ、これからも』

 昨夜耳にした呟きに釣られたように再び窓の外の山を見上げると、斎藤がテストコースを豪快に突っ走っていた。

 目指せ、オールラウンダー!

 お前は負けない



 裾野に広がるのは、貴方と過ごすときのような真っ白い世界

 ゴーグルを被って視界の下ギリギリを見下ろし、そこにみつけた貴方の胸に飛び込む

 誰よりも早く 誰よりも深くに

 あんたが俺をそう呼んだ

 俺はgolden boy

 走ってやるさ