golden boy 2
undated on 29th Sep.2005 for St.Michael festival
あくる日、大久保が北海道にやってきた。日本の雪はヨーロッパに比べ重たいが、北海道のパウダースノーは今年も良質だった。年によっては、ヨーロッパ会場でも雪が重くなることがあり、いつも海外の軽い雪だけを踏んでいるだけでは対応しきれなくなるため、Dankは日本にもキャンプを張ることがある。大久保は時間をみつけて東京から飛んできたのだった。ついでに、せっかく日本なのだからホテルではなくしばらく旅館に止まることにした。
「みんな元気そうだ」
「は~いでござる」
緋村は、モーグルに転向してから体調も成績もごキゲンだ。大会では入賞するようになった。世界で活躍する緋村を目標にしたモーグラーが出るようになり、Dankのモーグラーは三人になった。
「ノリノリでござる~♪」(×3)
大久保はそんな緋村たちを前に、ふっと笑った。
(………)
対照的に、ぽつねんと座る斎藤の顔は冴えない。掌でコーヒーマグを包んでぼんやりしていた。ただ成績は悪くない。W杯で二回目の滑走で62番スタートなのにラップ(その時点での最速)を決めたこともあり、ラップハンターとして名乗りを上げつつある。現在世界総合ランキング31位。無論、翌年のW杯出場は硬いだろう。
トレーナーのシュテファンの報告やチーフマネージャー伊藤の口調からも、斎藤の調子が良くないという印象は想像できなかっただけに、いささか肩を落としたように見える本人を目にした大久保は、そのギャップに驚いた。
ちょっと考えた大久保だったが、とりあえずDankメンバーで外へ出てレストランでパーティをし、そのあと大久保の部屋で飲み会をすることにした。
パーティを終えて、大久保は旅館の自分の部屋に連れてきたが、パーティで妙に酔っ払ってしまった所為で、部屋までついてきたのは斎藤と緋村だけだった。斎藤がついてきたのは、まだ未成年であるため酔いはしなかったためだ。
「美味しいでござるぅ~ん♪」
「飲みすぎないようにな」
大久保と緋村が笑いながら酌み交わしても、斎藤の表情は沈んだまま、むっつりとミネラルウォーターを飲み続けるだけである。
そんな斎藤の様子が気になって、斎藤が席を外した際、思い切って尋ねてみた。
「斎藤君の様子がおかしいと思わないか?」
聞くなり緋村は、きょろんとした目で大久保の顔を覗き込む。
「おろ?」
「なんだか浮かない顔をしている」
「そーでござろーか」
緋村はテーブルに置いてあるチーズとクラッカーの盛り合わせに手を伸ばした。斎藤はひたすらグラスを呷るだけで皿の上のものを摘みすらしていない。
初めて会った頃はよく食べ、よく笑った。しかしいまはそれが微塵もみられない。
(何かあったのだろうか)
大久保が気に入った金色の目が濁ってすら見えてしまうのだ。
(俺たちには明かせない悩みでも)
大久保には、自分は金だけを提供しているという認識は無かった。自分もDankのメンバーであり、選手育成のために出来る限りのことをするのだと思っていた。だから斎藤のことが気になったのだ。
(Dankが肌に合わなかったか?)
もし斎藤がそう感じているのなら、チームからの離脱もあり得るだろう。せっかく伸びてきたのに手放すのは惜しいが、斎藤が決めたことであれば大久保に制止することは出来ない。「より自由に」を掲げるDankとして、それは出来なかった。
「……」
斎藤は無口なほうでござるから、と交わした緋村に大久保は酒をついでやった。
「あんなに無口だったか?」
「拙者をからかうときだけ無口じゃなくなるでござるよ」
「ほぅ…」
「拙者の背が低いからって馬鹿にするんでござる。拙者の顔見るたびに阿呆って言うし、この前なんて赤毛チビって言われたでござるっ」
さいとーは意地悪でござるー!!
緋村がそう吼えると同時に襖がすぅっと開いて斎藤が戻ってきた。
「誰がナンだって?」
「おろろん(>x<ゞ 大久保さーん、助けてでござる~」
おどけてかわそうとする緋村の姿に大久保は笑った。斎藤もそんな大久保に引かれて一瞬笑ったが、すぐに元の表情に戻った。戻り間際、大久保の目をみつめてきた斎藤の顔がやけに切なげで、やはり気になった。
それからも緋村を中心に三人は飲んで、時計の針が1時を回る頃、緋村も斎藤もこっくりと船を漕いでいた。
「ううぅ~ん…おろろ~」
「ほら緋村、毛布被らないと風邪ひくだろう」
「拙者、自分の部屋に戻るでござるよ……」
「そんな足で大丈夫なのか」
「へーきでござる…あー、斎藤はどうするでござる?」
のっそり起き上がった緋村は、畳で体を丸めて眠っている斎藤の体をゆすった。
「さーいーとーお。起きるでござる~」
ゆっさゆっさゆっさ。
それでも斎藤は反応しない。大久保は緋村の手を止めて小声で言った。
「あまり動かさないほうがいい。このままここで寝かせるから、君も早く休むんだ」
「そうさせてもらうでござる…さいとー、お休みでござるよー。…なんかぐっすりでござるなぁ。じゃぁ大久保さん、お休みなさいでござる」
「お休み」
緋村をドアまで送った大久保は斎藤に毛布をかけ、自分はシャワールームに入った。もう真夜中なので、温泉には朝入ろうと思った。
シャワーを浴びて戻ってきた大久保の前では、やはり斎藤が眠っていた。
仲居が敷いていった布団に入れてやりたいのだが、いかんせん大久保には、スキー選手として鍛えられた筋肉をもつ斎藤を抱え上げるだけの筋力は無い。大久保はもともと肉体には恵まれていないのである。そんなひ弱な腕で中途半端に抱き上げ、斎藤を畳に落としでもしたら可哀相なので、しばらくそのままにすることにした。
大久保はふぅ、とため息をついて卓の上を片付けて、そこにパソコンを出してキーボードを叩き始めた。カタタタ、という規則的な音が響いてくる。
静かな和室。降り出した雪がふたりをひとつの空間に閉じ込めている。
「………」
斎藤はその音を聞きながら、目を瞑り続けた。
(真面目なんだな…)
タッチパッドを叩く指の音が繊細で。
(そうでもなきゃ、世界で認められるわけない、か…)
Dankに入ってから聞いた大久保の噂は、仕事熱心でかなりのやり手だということだった。冷静な判断はするが、自分の部下に対して冷酷な仕打ちをすることは無いため、大勢連ねる部下からの信頼は厚い。言ったことは必ず実行する。間違いは許す。一度創った人間関係を大事にする。どれをとっても尊敬できるし、尊敬してるよと言うひとばかりだった。
(凄いひとなんだ………)
俺なんて、と斎藤は思った。
注目されることのない駆け出しのレーサー。成績は上がって来たが、表彰台の常連には程遠い。ラップを取ってもすぐ越される。世界を舞台にして活躍する大久保とはとても比べ物にならないと思った。
(釣り合うわけ、ないじゃん…)
大久保は、Dankメンバーのひとりひとりを気遣ってくれる。無論斎藤のことも。でもそれは、
(俺が大事な選手だから)
スポンサーにとって大切なのは、抱えるチームが注目を浴びて、選手を広告塔に設えたいと各メーカーが名乗りを上げることだ。選手を通じメーカーを通じて大久保の名が広まり、知名度とともに取引先が拡大していく。そうなると出資した金以上の額が大久保のもとに流れ込んでくる。敗北した選手にマスコミが背を向けるのと同じように、使えない選手からスポンサーも手を引く。スポンサーにとって選手はそういう意味しかもたなかった。
(俺が負けたりしたら、あんたも俺を捨てるんだろうな…)
これはおかしな感情だった。斎藤は単身で渡仏して以来、単独で過ごしてきたようなもので、一匹狼でいるのは楽だったし、それが普通だった。Dankに入っても、別に誰からも縛られてはいないと思ってきた。
ひたすら雪に塗れ、コースに突っ込んできた。心も体も毎日がスキーだった。だがトレーニングのない日、ぼんやりと雪山を眺めていたら大久保のことが脳裏を過(よ)ぎる様になった。
凍てつく灰色の瞳は、いつも、どんなときでも冷たいだけじゃないことを知ってる。ときどき笑ったり、誰かのために怒ったりもする。
そんな大久保の姿を思い浮かべるうちに、もしかしたらはじめて会ったときからこんな気持ちを抱えていたのかもしれないとまで思うようになった。彼が気になって気になって仕方が無かった。
だが鼓動の速さとは裏腹に、胸の奥底はいっこうに熱くはならず、むしろ沈んでいく一方で―――――
ショックだった。
自分が同性愛者かもしれないということが。
それまでの斎藤にとって同性愛はまったく理解できないことだったのだ。少なくとも自分には関係ない世界だと思っていた。そして大久保のような世界的な有名人が同性愛を受け入れるということも考えられなかったのだ。
このことに気が付いて以来斎藤は、暗くて寒い雪山にひとり取り残されたような感覚に陥ってしまった。
誰かに相談に乗ってもらいたくても、もらえない。助けを求める勇気もない。さし伸ばした手を振り払われたら、もう二度と彼らは斎藤をそれまでと同じ視線ではみてこないだろう。斎藤には、ひたすら滑るしか残されていなかった。滑走している間は、自分の焦げ付くような思いを忘れることができた。
しかしブーツを(スキー)板から外して板を肩に担ぎ、見上げた空の青さに「ああ」と思い切り胸のうちを吐き出したくなった。
この気持ちはたぶん、恋だ。
空ゆく雲が俺の心を、あいつに届けてくれたらな……
呆然と東を眺める斎藤に、トレーニングを終えてきた緋村が「さーいーとーお~」と言いながら腕を振ってきた。斎藤ははぁと息をついて緋村たちのほうへと歩いていった。
このままもし心のなかの大久保の締める割合が、斎藤の不安と同じように広がっていったら、斎藤にレースで勝ち続ける自信はない。ランキングを落とすだけだったら、大久保のなかの斎藤の価値は色褪せるだろう。
(…やだな)
離れるのはいや。
捨てられるのはいや。
でも、同性愛的な想いに気づかれて嫌われるのはもっといや。
だから大久保がここに現れて声をかけられても、あるようなないような返事をするだけで項垂れるしか出来なかったのだ。手洗いに立ち上がったついでにフロントに行き自販機でミネラルウォーターを買って、ふてくされたように飲んだ。その間も大久保の視線に怯えていた。燻りつづける想いが斎藤をそうさせた。…万が一想いが通じたところで、なにをどうしたらいいのかも分からなかった。
(だから傍で眠るくらい、いいよな)
近くにいればいい夢とかみられるかもしれないんだ。
思いながら斎藤は、大久保が追加で被せてくれた羽毛布団で温まりつつ、叩かれるキーの音を聞いていた。
カタカタ、カタカタ…キーの音が暖かい。部屋のなかも、布団のなかもあったかい。いつのまにか斎藤は眠っていたのだった。
大久保の夢をみた。あいつの肩にもたれかかって、おそろいのマグカップに注いだカフェオレを飲んだりしてさ…暖炉のある部屋で飯食べて…そのあとワインとか飲むのかな……楽しいよなー……そういや、洗濯と料理が趣味とか言ってた。意外と家庭的なんだ…好きな料理教えてくんねぇかなー…あいつが風邪ひいたとき、好きなスープとか、作ってやりたいからさ…
その日の夢は淡く、それでいて濃厚で、凍えていた斎藤の心を満足させた。
斎藤にとって予想外だったのは、斎藤が夢のなかで思った言葉が、大久保の耳に届いていたことだった。寝言というかたちで大久保に聞こえてしまっていたのだ。
流石の大久保もぎょっとして思わず振り返った。キーボードを叩く手が止まっている。
(何だって…?)
布団にくるまった斎藤は体を丸めたまま、緋村と飲んでいたときとはまるで違うリラックスした顔をみせている。
買い物、とか、いっしょに、とか言っていた。
「……んでこんな冷…てぇの?…あっためて…やろうか……ふふ…クスクス………」
「斎藤君、起きて…いるのか?」
「だって俺…あんたのこと…好き…だもん……」
「……っ…」
「……お…くぼ…」
名前を呟くなり、布団にくるまった斎藤はふわりと笑ったのだ。その顔があまりに幸せそうで。
キーボードの上で止めていた手で大久保は自分の額を押さえた。しばらく観察していたが、やはり斎藤は大久保の名を呼びながら微笑んでいた。
「………」
ゆっくりと立ち上がり、起こさないように斎藤の体を自分の布団のほうへ引きずって何とかなかに入れた。大久保はパソコンを閉じ自分も布団に入って、すやすや眠る斎藤の寝顔をじっとみつめた。