golden boy 5
updated on 29th Sep.2005 for St.Michael festival
こいつの網にならかかってもいいと思った。だから手料理が喰いたいなんて言った。ちょっと実現できそうに無い我侭を言ってみた。全部食べなければ帰らないとまで宣言した。
これからの俺たちはどうなっていくのだろう。…分からない。でも悪くない気がする。
(なんで?)
それは考えなくても言えることだ。
――――――俺はこいつが好きだからさ。
「斎藤、焦げてるぞ」
「…えっ…あ!」
声をかけられてはっとすると、ホットプレートのお好み焼きが焦げていた。慌ててひっくり返したが、ほぼ全面が見事に焦げていた。一瞬黙ったが、斎藤は声を励まして言った。
「い、いいさ。全部喰うって言ったんだ。この、焦げた下のところが美味いんだ」
大久保はまた噴出した。そのあと、妙に優しい目でみつめられて、斎藤はどきりとした。
斎藤が焦げと奮闘している間に大久保は蒸し器を出して茶碗蒸しを作り出した。と言っても蒸すだけなので、大久保の手も空く。空いたついでに斎藤にすき焼きをとってやり、斎藤の向かいに座って次のお好み焼きを焼きだした。
「気に入ったのか、このCD」
「え?ああうん。いい歌ばっかだな。あんたが買ったの?」
「ああ。飛行機のなかで聞こうと思って」
「へぇ」
「気に入ったのなら、やろう」
言うと斎藤は箸を止めて、意外そうな顔で大久保をみてきた。そして言った。
「んー…やっぱいいや」
「そうか…」
「……ここで、聞きたいんだ」
「…」
斎藤は俯いて作業に戻った。瞼が震えて白い頬が微かに朱を帯びている。普段あまりしゃべらない自分の口から、今日はぽんぽんと本音が出るのが気恥ずかしいのだろう。自分でも見知らぬ自分の姿に、それまでの自分がついていけなくて。
(…それは俺のほうかもしれない)
休日の前の夜にはよく緋村が訪ねてくる。あの小さな体の両手にスーパーの袋いっぱいに買い込んだ食料をもって。それでふたりで互いの食べたいものを作って音楽を聴きながらのんびり過ごすというのは、このシチュエーションとそう変わらないのだが、ひたすら斎藤の言うことを聞いてリクエストメニューの全部に応えてやろうとする大久保は、いまだかつて存在したことがなかった。
恋をしよう、と言ったのは自分だが、具体的に何をしていいのか分からないのも確かだった。とりあえず一緒に過ごすようにしていたが、大して進展もないまま今日まで来て、斎藤が日本に来たその日に電話で呼び出そうと思ったのは、ふたりの関係をもっと前に押し出したかったから。
御座なりにするのは嫌だった。斎藤から笑顔と生気を失わせてしまった既往をいい加減償ってやりたかった。そして斎藤は、今夜は帰らないと言った。大久保は了解した。
(覚悟を決めるか、俺も―――――)
恋をしよう。そう斎藤に言ってから、日本に帰国してからも斎藤のことが次第に気になり始めた。スキー誌を漁って斎藤の写真をみつけては、仕事用のためではなく、その雑誌を買って読んだ。この頃になると斎藤は日本でも注目されていたから、斎藤の写真が表紙を飾ることもあった。
ゴーグル越しにみえる斎藤の眼。のめり込むようにしてコースを滑る姿はもちろん、ゴールしてからスキーをブーツから外しスキーを手にした格好で自分のラップが破られるまでゴールゾーンで待つ斎藤の誇らしげな顔も、歯で齧ってグローブを外すときのふとした表情なんかも撮られている。
背が高く、鋭い造りの貌と、筋肉が薄くつくだけで脂肪分を外から窺うことのできない躯は、被写体としてもカメラマンの興味をひきやすいのだろう。大久保のオフィスにも、斎藤の滑走する姿を撮りたいという電話がよく来る。斎藤は、滑りが地味になる日本人のなかでは珍しく、派手な滑り方をするのだ。ガガーッと荒い音を立てて滑ると同時にあがる背の高い雪煙(スプレー)が晴れ上がった空の青と対照的で、「一度でいいからフリーライドする斎藤君を撮りたい」とカメラマンが懇願するのも無理はなかった。
その、派手で鋭いイメージのある斎藤が、スキーから離れた姿で大久保のまえで本音をさらけ出して来る。実にちいさな、取るに足らないような言葉と行動で以って、なんとか大久保の気を自分に引きつけようと。そしてそんな彼に大久保は、惹かれているのだ。他人と等距離を保とうとするはずの大久保が、本屋で斎藤の写真を探したり、まして自分の家で彼の望みを叶えてやろうとするなど…まるで経験のないことだった。斎藤を意識するまでは。いや、斎藤に会うまでは。斎藤に会って…隠された自分の思いに気づかされるまでは。
三ヶ月前、斎藤の思いを意外な形で知らされ、彼にそれを確認したときに感じた、「斎藤の手をとってやりたいという思い」は、まやかしであることに大久保は漸く気が付いた。
(還れ)
そう叫ぶのは斎藤ではなく、斎藤の真摯な瞳に反応した俺の本能だ―――――
長い間誰かを探してきて、いま漸くみつけたのだ。
「斎藤」
「ん?」
斎藤はやっと焦げを取り除いたお好み焼きを頬張っている。
「俺にもくれ」
「…うん」
斎藤は言われたまま箸で塊を千切り、大久保の口元にもっていった。口を開け、それを食べる。
「ど?」
斎藤が聞いてきたから「お前の味がする」と答えたら、斎藤がぼっと赤面した。大久保は礼だというふうに、焼き上がった新しいほうのお好み焼きを斎藤が大久保にしたように、箸を差し出して食べさせてやった。斎藤はますます赤面した。大久保は軽く鼻で笑った。
たわいない言葉。ちいさな動き。それだけでふたりの時間が満たされていく。緋村やほかの友人といるときには感じない軽い緊張感とともに、別の気持ちが頭をもたげてくる。
もっともっといっしょにいよう。眠るときも起きるときも、そのあいだも―――――
ケニーが歌っている。
"We are the bridge
We are the fire...
Oh I believe
Darlin' that we've arrived
An Unimaginable life"
想像もつかない世界。もうすこしで届きそうな未知の国への橋となって炎となって、炎が、叶わなければ我が身まで燃えつくしてしまう。
手探りで知ることが出来るのはふたりしかいない。そしていまここにはふたりしかいない。恋愛ごっこから始まった煮え切らない関係の開かずの扉を開けるのはきっといまだ。いまだと思った瞬間がはじまりなのだ。
「……」
ふたりはなにも言わず、歌だけが響く部屋で音楽に乗って、その世界の端を垣間見た気がした。みているだけでは足りなかった。
(…だめかも)
斎藤は思った。
(ヘンなこと口走るかも)
なにせ当人の家でふたりきりなのだ。大久保はあれこれ世話を焼くし、トレードマークの無表情をときに崩してこっちをみつめてくる。今日帰らないから、と言った斎藤にひとこと「分かった」と告げた。それから何事もなかったかのように極自然に、まるで、上司の家に飯を食べに来ただけのようなふりをして間を持たせてきたけれど、このまま時計が進んで寝る時間帯になるまで「ごっこ」を続けられる自信はない。
たぶんこれから崩れていく。理性が崩れて感情だけになる。いまでさえ半分崩れてるんだ。いったいどうすれば…
「大久保…」
「どうした」
斎藤はテーブルに顔を横向けに伏せて、大久保から視線を反らした。
「斎藤、気分が悪いのか?もう食べられないか?」
「つぎは…焼きそばだ」
頑固な斎藤に、大久保はクックッと肩を揺らして笑った。大久保は立ち上がって、リクエストの焼きそば作りに取り掛かった。その間斎藤は気持ちを静めるためにすき焼きを食べまくり、また雑誌を読んだ。その雑誌には緋村が多く写っていた。
赤いウェアと赤い髪でジャンプ台から飛び出して得意のダフィー(空中で両足を膝を伸ばしたまま交互に前後させる)+ツイスター(体をひねる)で繋ぎ、続いて360アイアンクロス(360=360度回転、この場合は横縦。アイアンクロス=スキー板をブーツの前で水平方向に直角に重ねる)と持ち込み、早い足回りで最後のコブを締めくくる。短い時間ですべてが決まるモーグル。一分以上を滑るアルペンとまるで違うのに、緋村は両方の世界で名をなしている。トロフィーは斎藤よりも多かった。…悔しい。
「あの野郎…チビのくせに俺より目立ってやがる」
小柄であれば身軽なのだが、モーグル競技においては小回りの効く身軽さよりもダイナミックさのほうが得点が高くカウントされる。しかも時代は3Dであり、世界レベルの技を決めても、パフォーマンスアピールが大きくなければ認められないのだ。だから日本人よりもはるかに大柄な外国人選手のなか、小柄な体でW杯で入賞の常連となった緋村は、特殊な選手と言えるだろう。
緋村はもともと日本国内で長い間滑っていたから、記者らにも名を知られている。斎藤と違ってサービス精神旺盛というか、突然の取材にもゴザル口調で気楽に応える性格なので、記者からの人気も高く、それが記事となるから日本での人気がある男だ。それにつられて緋村以外のDankモーグラーの人気もせりあがっていく。
こうして、チームDankは着実に知名度を上げている。その裏でスポンサー大久保の名前も飛び交う。
斎藤は知っている。大久保の企業が世界ランクの常に上位にあることも、スポーツ専門メーカーというわけでもないから、別にスキーの世界に出資する理由なんかないということも。
「あんたさ、」
と斎藤は、出来上がった焼きそばと湯豆腐をもってきた大久保に尋ねた。
「一度聞いてみたかったんだけど…Dankでなにがしたかったんだ?」
「……」
大久保は湯豆腐を斎藤に掬ってやると、自分の皿につけた箸をちょっと止めて答えた。
「なにと言われても………緋村をなんとかしてやりたかっただけだからな…」
「なんとかってあんた…あんたがいなけりゃ、あいつが世に出ることはなかったぜ」
「…俺が緋村を世に出したわけじゃない。彼が自分で出て行ったのさ」
「…」
「俺は金と物資を提供しただけだ。…お前もな」
スポーツは金がかかる。時間にもスタッフにも余裕をもたせないと、選手がくたびれてしまう。莫大な労力と費用を拠出できないスポンサーはその役から早いうちに降りないと、痛い目にあう。それはまた選手も然りで、良い成績を残さなければスポンサーのほうから撤退していくし、チームが契約を放棄するという、非常に不安定な世界だ。
その不安定な世界に喰らいついている大久保と緋村。チーム開設時は日本のナショナルチームはもちろん、他の国からも全然注目されなかったのに、チームでただひとりの選手・緋村が順調に成績を伸ばしたため、一躍Dankが知られるようになった。日本ナショナルチームとは違うカラーのウェアを着た日本人が、強豪を抑えてトロフィーを掲げあげ、周りの人間に小さな体を抱えられた姿はDankの勝利を示した。それを新聞でみた斎藤は正直、「凄ぇ」と思った。だが緋村はモーグルで斎藤はアルペンだから、「違う世界の話」と認識したためDankへの興味はそこで途切れた。
スキースクールの卒業を間近に控えても、斎藤に日本に帰る気はなかった。日本では勝てないことは、順位表をみれば一目瞭然だったからだ。俺はどこへ行こう?…緋村が斎藤を訪ねてきたのはそんな折だったのだ。
『拙者、緋村というでござる~』
赤い髪の毛に黄色いサングラス。なんてちゃらちゃらした野郎だ、というのが第一印象だった。はっきり言って関わりたくない、一番苦手な人種。
『日本に帰るでござるか?』
『…さぁ』
『是非会ってもらいたいひとがいるんでござる!』
『…誰』
『大久保さーん。Dankのスポンサーで、拙者の恩人かつ友人でござるぅ』
こいつの友人ならきっと、もっとちゃらちゃらしたやつだろうなと思った。
『大久保さんには拙者から話しておくでござるからさ』
『え…まだ了解もらってないのに俺ンとこに来たのか?それに俺はアルペンで、お前とは違うっていうか、』
『だって拙者ひとりでいるの寂しいでござるしぃ、斎藤は日本に戻る気ないんでござろ?拙者、斎藤のずばっとした滑りが好きでござるよ。日本に帰れば斎藤の滑りはたぶん消えるでござる』
『…』
こいつ分かってたか、と斎藤はそこで緋村を見直した。錐が進むような滑りは斎藤の売りなのだ。スキークラブのトレーナーにも何度関心されたか知れない。だが日本ではその荒さは無駄として積極的に排除されるだろう。斎藤はそれを生かしたかった。殺したくはなかった。
緋村はつま先で立って、斎藤の顔に自分のをぐぐっと近づけて言った。
『実は拙者も、技術中心の滑りに我慢できなくて日本を飛び出してきたでござるよ。その手伝いを全面的にしてくれたのが大久保さん。別に、Dankはモーグル専門チームじゃないでござる。これから守備範囲を広めていけばいいんでござろ』
『でもでかいチームだと堅苦しそうだし、そうなると俺、いにくいし』
『大久保さんが言ったでござる。チームDankは誰も束縛しない、束縛されないって。大久保さんは自分で言ったこと、きっちり守るでござる。じゃなければ拙者みたいなのに出資なんてしないでござるよ』
『…そりゃそうだ。相手がお前じゃぁな』
ぽつりと呟いた斎藤の嫌味に、緋村が「おろ~ん、かわいい顔して斎藤ってきっつー」と言ってきたため、斎藤は緋村の首根っこをつかまえて、「十八の男をつかまえて可愛いとは何事だ」と言いながらウエスタンラリアートをかけてやった。
無名の男を世界の舞台に引き上げてしまった大久保。
言ったことはきっちり守るという大久保。
…今夜も?
「俺の望みは…そうだな」
大久保が喋っている。斎藤は俯き加減で、大久保の声を聞いている。
「選手もスタッフも、メンバーの全員がDankとして、高みを目指し続けること…かな。伸び伸びしている君たちをみるのが楽しみなんだ」
「…そっか…」
「お前は?斎藤」
「俺?」
「お前の望みは何なんだ」
「……」