Tales of Fantasia


世界はふたりのために

 むかしむかし、あるところに一蔵という男がおりました。

 その男、昨年の暮に仲良くしていた妻を亡くし、以来山奥の小屋でひとり暮らしておりましたが、たいへん真面目な男でしたので酒や女に溺れるといったことはなく、毎日畑を耕し、冬はわらじなどを編んでおりました。

 ある風の強い冬の夜のことです。

「とんとん」

 引き戸が叩かれたような音が、一蔵の耳に届きました。

「とんとん」

「…?」

 暮れ六つは過ぎておりましょう時間ですがそとにはなにかの気配が致しますので、一蔵は編んでいた籠から手を離して戸を開けてやりました。

「…もうし」

 現われたのは肌の白く美しい若者でございました。

「…夜分遅く申し訳ございません。私は斎藤と申すものですが、なにぶんこの嵐で道に迷ってしまいました。ご迷惑でなければ今宵一晩衣(きぬ)をお貸し願えないでしょうか」

 低く艶のある声に一蔵は胸をどぎまぎさせてしまいましたが、

「…入りなさい」

 と言って彼――――斎藤と名乗った若者を小屋に入れてあげました。

 斎藤は戸口でぺこりと頭を下げて一蔵の後を追って上がり框を昇り、勧められるまま手にしていた荷や笠を囲炉裏の傍に置きました。

 大層長い時間を歩いてきたようで、若者の着物もしっとりと濡れております。とりあえず体を温めるために、鍋をかき回して椀に薬草粥を盛り斎藤に渡しました。

 訊けば、斎藤は罪を犯したわけでもないのに村を追い出されてしまったと言います。

(まだ年若いのに、なぜ)

 一蔵が尋ねますと、斎藤は悲しげにその瞳を伏せてしまいました。

「…私の目が恐ろしいと言って誰も近づけさせてはくれませんでした。子らだけでなく、村の長老にも忌み嫌われて…こうして歩いております…」

「…惨(むご)いことだ…」

 確かに斎藤の瞳は見慣れぬ金色をしておりますので尋常ではない感じが致しますが、忌み嫌うようなものではないと一蔵は思いました。むしろ宝玉のように美しく、いつまでも見ていたいくらいでした。

「宿をお貸しくださったのは、…貴方が最初の方なのです」

 そう言ってはにかんだ貌も、やはりさびしそうに一蔵に映りました。

「疲れただろう。もう休みなさい」

 布団を敷いてやって、一蔵も横になりました。



 次の朝。

「…私ごときがご好意を頂くばかりというわけには参りません。幸い、私には機織ができますので向こうのお部屋を使わせていただけないでしょうか」

「いや、そんなことは…」

 断った一蔵でしたが、斎藤がどうしてもというので隣の部屋に入れてやりました。

「日が落ちるまでに必ず仕上げます。しかし決して、中をお覗きくださいませぬよう」

 金色の瞳がぎらりと光りました。

 しばらくすると亡き妻が繰り返したような音が聞こえてきて、一蔵は少し微笑みながら藁を編み始めました。

 そとには雪が散らついております。

 一蔵は機織の音に合わせるようにして藁を編み、長いこと集中していたようでした。

 視界が明るくなったのでふと目を上げると隣の部屋の窓から夕陽が差し込んで、斎藤の姿が浮き上がりましたが、

「!!」

 障子に映ったのは、どうみても人間の姿ではありません。

(これは…)

『決して、中をお覗きくださいませぬよう』

 斎藤の声がこだましましたが、影絵のような動きに誘われて一蔵はそっと障子に近づき、指を舐めてそこに小さく穴を開けました。

 するとそこには、一匹の美しい獣がおりました。

「!!」

 一蔵が息を飲むと同時に、斎藤がこちらを振り向きました。なんて鋭い瞳。

 途端、触れもしないのに障子戸が一瞬で開きました。

「あれほど、見るなと言ったのに……」

 狼の斎藤はゆらりと椅子から立って床に爪を立てました。

「…姿を見られたからには、私は貴方を殺さねばなりません」

 ぞっとするような声音で言いつつ、一蔵に歯牙をかける気配もみせず斎藤は俯いてしまいました。彼なら、一瞬で一蔵を消すことができましょうに。

『…貴方が最初の方なのです』

 脳裏に、はにかんだ顔が浮かびました。

 一蔵は決めました。

「みなさい」

「…?」

 涙ぐむ斎藤の頬を撫で、胸まで脱いだ一蔵は隠していた背中の翼を広げました。

 翼の色は血潮色。それも片方しかありません。もう片方は根元から引き千切られておりました。

「…っ!」

 驚いた斎藤は口を開いたまま、何も言えません。だた金の瞳に緋(あか)い翼を焼きつけて、その鮮やかさに呆然としておりました。

「…遠い昔、私は篤き罪を犯して天界から堕とされた。人として生き罪を償うよう命じられ、こうして人界に暮らしているのだ」

 斎藤の瞳が大きく開かれました。

 それを見て、一蔵は続けました。

「そなたも、そうなのだろう?」

 ふるふると震えだした斎藤の白い翼を、一蔵はそっと撫でてやりました。





 野菜の種を選別する一蔵のとなりからは、軽い音が絶え間なく聞こえてきます。彼は美しく織られた衣を着ておりましたが、囲炉裏から遠く離れている斎藤のところへ行って、肩にそっと掛けてやりました。

 …とんとんからり、とんからり。

 辛い季節も過ぎ去って、梅も桜も芽吹く頃。

 とんとんからり、とんからり。

 いまはむかしの物語。