RAKURAI
俺は、世界でいちばん美しいものをみた
落雷(一)
アクセラ・ハイブリッドがきっかり時速60キロで、晴れた空の下を滑るように走って行く。
午後一時半。
BOSEサウンドシステムから流れるTotoの"Stop Loving You"に心でグルーブしながら、俺は隣の運転席をちらりと見た。
日野署内で最もカーチェイスが上手い彼は、先程から殆ど無言で、じっとフロントガラスを見つめている。綺麗に清掃された車内に漂う彼の香りに、「乗れ」と言われた時から心が落ち着かないのだが、レイバンを掛けた土方さんは全くいつも通りの彼だった。
「あの鬼、絶対許さないんだから!見てらっしゃい、絶対仇を取ってやる!!」
喚きながら、生活安全課の本条鎌足巡査が俺の左頬の手当てを終えた。医務室の松本良順先生がちょうど出払っていて、左頬を真っ赤に腫らした俺を見つけた鎌足さんが、医務室に俺を引っ張り込んで、処置をしてくれたのだ。
鎌足さんはずっと怒っていた。「どうしてやり返さないの!やられっぱなしじゃ、ああ言うのは調子に乗るのよ、ちゃんとやり返しなさいよ!山崎さんがやらなきゃ、あたしがやってやる!」と。
土方さんに引っ叩かれた俺が、嬉しいような痛いような、いや、やっぱりかなり痛い左頬に左手を宛がいながら二階の刑事課に戻ると、俺の直属の上司である山南さんと、土方さんが言い争っていた。正確には、山南さんが土方さんに噛み付いて、土方さんを近藤署長が庇っていた。
「どうして山崎くんが君に殴られなければいけないのか、私には分からない!」
「……だから、悪かったって、」
「いったいどこに、怪我をした彼が、彼に背負われた君に殴られる必要があるんだ?!」
「まぁまぁまぁまぁ」
俺が刑事課第一(室)の戸を開けた音で、俺のデスクのほぼ真向いのデスク前で珍しく激昂した山南さんと、山南さんを何とか宥めようとする近藤署長の後ろにいた土方さんが、俺をみた。
白い顔が蒼褪めている。
俺は、平気だから
あなたの傷に比べれば
あなたに殴られた傷など、大したことないのだから
「平気です」
と俺は言った。人だかりが、こちらを振り返る。沖田さんが心配そうな顔で駆け寄って来た。
「山崎さん、大丈夫ですか?」
俺は笑った。テープを貼られた左頬が引き攣ったけれども。
「大丈夫ですよ。鎌足さんの処置が派手なだけです」
「歯肉からのガーゼ二十枚以上の出血と、切れた唇と、真っ赤に腫れた頬の、どこが無事だと言うんだ?!」
山南さんも靴音を鳴らしてこちらに来る。彼も蒼褪めていた。十中八九、土方さんへの怒りで。
俺は山南さんに、御心配をお掛けしました、と頭を下げた。仕事に戻ります、と付け加えて。
すると近藤署長が言ったのだ、
「トシ、お前早退して、山崎くんを送って行け」
「…………」
「署長命令だ、さっさと行け。山崎くんも帰る準備をしなさい」
心臓がどきりと鳴った。近藤署長の向こう側で、土方さんが蒼褪めた顔のまま無言でデスクチェアから立ち上がり、スラックスのポケットから車のキーを取り出した音が聞こえたのだ。
彼の車はアクセラ・ハイブリッド。毎朝、そのドアを開けて出てくる彼をみていた。
俺はまだ乗ったことが無い。何故なら、助手席に乗るのは大抵が近藤署長だから。
突然の展開に驚いている間に、土方さんはジャケットを漆黒のシャツを着た左肩に担ぎながらこちらに近づいてきて、「(正面)玄関で待ってろ」と言い部屋を出て行った。第二ボタンまで外されたシャツから鎖骨の下の滑らかな肌が見えた。
心臓を高鳴らせながら茫然とする俺に、山南さんが何かを言っている。俺は、近藤署長に言われて沖田さんが俺のデスクの脇から持ってきた俺のバッグを何となく掴んで、刑事課第一(室)を出て彼を追いかけた。少し足が震えていた。
二階から一階に繋がる階段に向かうと、階下で鎌足さんが土方さんに本当に掴みかかっていた。慌てて、抑えに走る。
「鎌足さん、俺は、」
「あんた!ちゃんと山崎さんに謝りなさいよ!どうせ山崎さんに御礼のひとつもしてないんでしょ!」
鎌足さんが珍しく顔を紅潮させて怒鳴っている。本気で怒っているのだ。男なのに婦警の恰好をした彼の制服までが怒っているようにみえる。
「あんたはいつもそう!あたしたちがどんな思いでいるのか、分かってンの?あんたの独りよがりが、どっかで誰かを傷つけてるのよ!よりにもよって山崎さんを殴るなんて!山崎さんは、ずっとあんたを庇って来たのに!」
「……っ」
どきりとした。鎌足さんは、俺の気持ちを知っていたのか。
はっとして土方さんを見ると、彼の、いつの間にか拳になっていた左手が更に色を失って蒼褪めている。
(え……)
階段を降りながら俺が訝しんでいると、ぐいっと右腕を掴まれた。
「行くぞ」
「うわ、」
「待ちなさいよ!」
土方さんは鎌足さんを無視して、俺を日野署の正面玄関へ連れて行く。ただ歩くだけなのに速い足に引き摺られるようにして、俺も早足で歩いた。
背後で鎌足さんを宥める署長と沖田さんたちの声がする。署を訪れている市民が怪訝そうにこちらを見ている。それでも土方さんは一度も振り返らずに、まっすぐに署の玄関を抜けた。
駐車場に着くと、土方さんは運転席のドアを開けた。
「乗れ」
言われて俺は、目の前にあるソウルレッドのドアノブに勇気をもって触れた。掴んで、ドアを開けると、ふわりと彼の香りがして、眩暈に負けそうになる。奥歯を噛みしめ、なんとか平常心を保ちながら助手席に座り、息を整えた。
イグニッションキーが差し込まれると同時に、ダッシュボードのセンターディスプレイが青く点灯して、
(……あ…)
車内に俺の好きなTotoのAfricaが流れた。
これを、自宅で掛けながら俺は海外の記事を読んでいるのだ。風に透けそうなサウンドが心地よくて、飽きずにリピートでかけている。このひとも、好きな音楽なのだろうか。そんな些細なことが嬉しくて、少しほっとした。何せ、室内禁煙とは言え、喫煙者の多い刑事課第一(室)ではだいぶ薄く感じるこのひとの香りが二人きりの車内に充満して、俺の動悸が治まらないのだ。何の香りなのだろう。社長の家に生まれた俺は、幼い頃から沢山の貴婦人たちと会ってきたが、こんな香水は嗅いだことがない。
土方さんは、携帯電話でどこかに短い連絡を入れた後、運転席のサンバイザーに引っ掛けてあったレイバンを掛けた。掛けるときに少し乱れたミディアムの髪の毛を、軽く頭を振って、横に寄せる。チェンジレバーを掴んだ白い指が細いなぁと眺めていたら、声を掛けて来た。密室で高めのトーンは、やっぱり心臓に来る。
「山崎」
「…あ、はい」
「傷は痛むか」
「平気です」
「……」
黙ったと思ったら、土方さんは助手席のシートと俺の背中の間に左手を滑り込ませてきて、彼の手指の感覚にびくっとした俺の背中をばしっと叩いた。
「!!○×△$◎ζ◆*(涙)」
声にならない叫びを上げて、俺は助手席で悶えた。いま、思いっきり叩かれた。こんなに本気で叩かれるのは本日二回目だ。いったい何故。
「次に無茶したら許さねぇ、っつったろ?」
「…………(T-T)ダー 」
ふん、と鼻だけで言って、土方さんは引っ込めた左手を俺の胸に回し、俺の胸をぐい、と助手席に押し付けた。そのまま彼の腕が俺の左側に伸びてシートベルトを取ると、さっと締めてしまう。そして「大人しく寝てろ」と言い放った。
「三十分で着く」
「……そんなに遠くまで、どこに行くのですか?」
俺の質問には答えずに、エンジンがかかる音がして、アクセラは走り出した。そして今に至る。
俺が使ったことの無い道を、土方さんの車は躊躇いも無く登って行った。往来の多い主幹道路から対向車一つ無い道に入って、五分は立つだろうか。両脇を楢の木に挟まれた車道は日野署付近よりはだいぶ緑が濃くなってきた。俺は、フロントガラスの先を見るふりをして、無言で運転する土方さんを見ていた。
近藤署長に命じられて二人で署を出て来て二十分が経ったが、彼と二人きりの空間は、未だに慣れない。普段は淡く感じる土方さんの香りが常に感じられて、勝手に意識してしまうのだ、昼休憩中に俺からしたキスを。
あのときも、彼の香りがした。男のものにしては随分淡い、これからちょうど開花する蕾のような香り。何の香りなのかは分からないが、化学的な匂いではないと思う。もっと軽くて、それでいて深い香りだ。それが、現役刑事(それもウルトラ強行犯係長)から漂ってくるのだ。
―――――あのキスの応えは、聞いていない。彼はただ、戸惑っているように見えた。俺はそんな彼さえも、愛しく思った。頬を引っ叩くわ背中を叩(はた)くわで、態度は随分乱暴だけれど、このひとは決して俺を初め周囲の人間には嘘や虚構を用いることは無かった。
何もかも真正面すぎる。真っ直ぐすぎて、相手を突き破ってしまうことがある。相手の典型が、俺の上司の山南さんだった。山南さんは土方さんとは違う意味で真っ直ぐで、互いに持っているベクトルの向きが異なる為に、ぶつかりやすいのだ。山南さんの真っ直ぐさは誠実正直性格温厚と言う真っ直ぐさで、このひとの場合は
「………」
周囲から浮き出るほどに異質さを感じさせる、真っ直ぐさ、なのだろう。
俺は、隣に座る彼の、凛とした、それでいてどこか孤独さ(―――孤立さではなく―――)を感じさせる空気を感じていた。この孤独さ加減を、彼の髪や指から漂う香りが、うまく中和させていると思う。
そこまで思考が来て、分かった。
そうか。
このひとの本体が香りの方で、乱暴に見える態度が虚構なのだ。
土方さんに連れて来られた建物は、大きな門構えと外壁に囲まれた敷地のなかに聳え立つ、地上二階建ての巨大な白壁の、やや古い洋館のような造りをしていた。土方さんが慣れた様子で駐車場にアクセラを停めると、建物のエントランスから人が出て来た。
伸ばした白髪を背中で一本の三つ編みにして、こちらを見ている。
彼女の隣には木製のプレートがあって、そこに
「ひかり工房・サロニカ」
と書かれてあった。確かに、花のような草のような、何かの香りがする。
(これって……)
俺は反射的に感じていた。ここの香りは、土方さんの香りだ。思って彼を見ると、黒シャツを着ることで更に痩せて見える背中がちょうどエントランスに吸い込まれるところだった。慌てて、後を追った。走るとまだ痛む背中を少し庇いながら。
「お入り」
こちらを見ていた老女から声を掛けられて、驚く。彼女は盲目のようだった。両目を閉じたまま土方さんの白い手を取ると、自分の指で彼の掌をなぞって、指の腹で彼の肉を押した。
「お前さん、あっちの人を殴ったね」
「………良く喋るババアだぜ、ったく……」
山崎行くぞ、と声がした。呼ばれるままに、俺は彼の後に続いて、エントランス内部のスロープを昇った。
「う、わ…………」
入った建物の中は、壮観だった。
壁一面の白。
白だと思った壁には、あらゆるところに点字が刻まれていた。それが、玄関から奥に向かっての吹き抜けの空間を覆い、窓の外だけが空がくりぬかれたように青く見える。
左右に広がる巨大なフローリングの室内に、木製のテーブルや棚があって、そこに数名の人が座ってゆっくりと腕を動かしている。土方さんに倣って、靴を脱ぎ、スリッパは履かないで部屋に入った。
内の人々も、視覚障碍者のようだった。
川のせせらぎしか音が聞こえない、静かな世界。
土方さんからジャケットを脱ぐように言われて脱ぐと、彼はジャケットを壁際にあるコートラックに掛けた。彼が近づくたびに、香りがした。
「為兄、見てやってくれ」
こちらに歩いて来た男性に向かって、土方さんが声を掛けた。ためにい、と呼ばれたその人は、眼球のうち左右ともに半分が濁っていた。焦点が合っていない。このひとも、全盲なのだろう。
その人は土方さんの隣の位置に立って、俺と向き合った。
「山崎、これが俺の兄貴の為時郎。為兄と呼んでる。この工房の所長をやってる。為兄、これが山崎っつって、」
「トシが殴りつけて怪我をさせた、静かなひとだろう。アヤメの匂いがするね、あんた」
驚いた。思わず目を瞠ってしまった。確かにいま俺は、アヤメを育てている。だがそれを、家族以外では松本良順先生にしか伝えていない。警察官の間ではそこまで伝えるような機会が無いからだ。
「………最初に怪我させたのは、俺じゃねぇ」
「悪化させたのはトシだろ。お前(めぇ)、アヤメ育ててる男を殴るモンじゃねぇよ。このひとは自分の為に花育てる性格じゃねぇ。おおかた、家族のひとに宛ててでも育ててンじゃねぇかい」
「……っ!」
茫然とする俺に土方さんは、為兄はよ、こういう男だから、安心して、傷を見てもらえ、と言った。
俺は、ためにいさんに促されて、三メートルほど向こうのテーブルに連れて行かれた。テーブルの上には白い布とマットレスが敷いてあって、どうやらただのテーブルではなさそうだった。
ためにいさんは、服を脱いでそこに座って背をこっちに向けな、と言った。どうして俺の傷が背中側にあることが分かるのだろう。
俺は、シャツを脱いで作業台らしきそこに上がって座った。
からから、と音がしてパソコンチェアが引かれて、ためにいさんはそこに座った。俺の視界の左側で、土方さんは
「お前さんは、これ」
などと言われて、先程玄関で俺たちを迎えた老婆の掌から、何かを受け取っていた。ガラスがぶつかる音がして、大きな溜息をついた土方さんは、そのままどこかへ行ってしまった。
同時に、背中にためにいさんの手が触れて、俺のガーゼが取り去られていることが分かった。温かい、柔らかい指だ。土方さんの指もこんななのだろうか。
「松本はよ、口は悪いが(治療の)腕は良いンだ。昔っからあいつが世話になっててなァ」
ためにいさんは、松本良順医師は自分たちの父親の従兄弟だ、と言った。初めて知りました、と答えると、ためにいさんは
「似てるだろ?」
と笑った。俺も笑った。背中が痛む。
「!!」
「おぅ、悪(わり)ぃ悪ぃ」
言って彼は何かの瓶を開けたらしく、ふわりと香りが漂ってきた。まただ、やっぱりこれは土方さんの匂いだ。
大量の花と草を混ぜたような、それでいて青臭さが無いようなあるような、非常に微妙で、濃い香り。その辺で売られている香水やブランド香水とは全然違う、植物そのものの香りだ。
濃い匂いを嗅いでいると、背中から全てのガーゼが無くなったようで、蒸らしタオルが押し当てられた。なのに、痛くなかった。タオルに何かが含まされていて、ためにいさんはそれを俺の背中にゆっくり押し付けている。さっきの香りが背中から漂ってくる。
「医学ってのはな、ロクなモンじゃねぇよ。分かり始めた連中はよ、イソジン消毒なんざもうやってねぇみてぇだが、あんたがあいつといる限り、いつどんな現場に突っ込まされるか分からねぇからよ、松本は仕方なくイソジン塗りたくったンだろ」
気の毒だねぇ、とためにいさんの声がのんびりと空間に響いて行く。俺が座る作業台の向こうで、二人の人が、高さは違うがこの作業台と似た造りのテーブルで、ピペットを使って沢山の瓶から液体を入れたり出したりしている。
「ここはよ、」
とためにいさんは続けた。彼は、俺がどこを見ているのか分かるようだった。俺の首や背中の筋肉の動きを感じて、それを把握するのだろうか。
「俺がこんなだからよ、あいつらも俺と同じよ。生まれた時から、色も光も見た事ねぇ。その分、影も知らねぇ。だからよ、普段から光と影を見慣れたトシやあんたたちには分からねぇモンが分かっちまうのよ」
耳と鼻が俺たちの武器だぁな。
「トシやあんたたちの武器は足と、眼と、拳銃だろ。俺たちにはンなモン無ぇ。だから、あんたのこういう怪我もよ、怪我じゃねぇんだわ。血も血じゃねぇし、肌も肌じゃねぇ。だから、医者が治せねぇ傷を診られるのよ」
そして俺は、いったん立ち上がって作業台にうつ伏せになるように言われた。ためにいさんはいまは俺に背中を向けて、小さな透明の瓶の集合から、色々と選んでいるようだった。盲目なのに、何の介助も無しに。
俺は、枕を借りてうつ伏せになった。頭を沈めると、柔らかく、香りがした。
瓶が軽くぶつかったり、蓋を開ける音がしたりして、そこからまた香りが漂ってくる。次第に俺の周囲が香りで溢れて、空気を吸い込む度に匂いがこちらに浸透して、俺自身が無くなりそうになる。……眠くなってきた。
寝て良いよ、とためにいさんの声が聞こえる。
土方さんがいるこの状況で、寝たくないのだけれど。どこかへ行ったまま、戻ってこないし。
さっき見た背中は、出会った頃と比べるとやっぱり痩せていた。シャツの下で蠢く肩甲骨の綺麗なラインがくっきり見えて、スキニーパンツのウエストが異常に細かった。子供の頃から続けていると言う剣道で体を鍛えてきたのに、ある筈の筋肉が無い。どのくらい前からは分からないが、俺が日野署に配属された時から全身の厚みが四分の三か三分の二になったように見える。体の幅はそこまで変わっていないが、腹から背中までの厚さが無くなっていた。痩せた分、目が大きく見えて、ますます美人になっていたが。
不思議なのは、土方さんがいつまでも老けないことだった。署内で一番美しい婦警を自称する鎌足さんが、「あいつが使ってるアンチエイジングって何だか知ってる?何でいつまでも顔が変わらないのかしらねぇ?皴やシミの一つも無いのよ、散々外回りして来たのにー」と、俺を掴まえては、署内の美化活動の一環としての花壇の手入れを自分と一緒にさせながら、愚痴ってくるのだ。
『絶対おかしい』
『土方さんのどこを、おかしいと感じるのですか?』
『だーって、あたしよりも仕事して、あたしよりも忙しいのに、あたしよりも綺麗なのよ。化粧もクレンジングもしてないし?!あたしがひと月いくら、化粧代に費やしていると思ってるのかしら ι(`ロ´)アノヤロウ!! 』
『……婦警さんが、「アノヤロウ」は良くないですよ』
『…あーあ…。山崎さんはこんなに優しいのに、あいつさー、あたしのこと「オカマ男」だの「コスプレ」だの「変態」だのって日野市中に言いふらしてるのよ。酷いと思わない?』
鎌足さんがオカマでコスプレで変態なのは、ただの事実なのだが、鎌足さんが言うには、土方さんのあの顔で言われると夜も眠れぬほど腹が立つのだそうだ。お蔭で不眠、とも両目に隈を作った顔で良く言っている。
俺は、鎌足さんと逆だった。
確かに口が悪いが、性格が悪いわけでは無いと、初めて彼を見た時から思っていたのだが、彼と同じ刑事課配属になって一緒に仕事をして、その印象が確証になった。指示や分析は的確だし、刻々と変わる現場状況に澱みなく対応していた。個性が豊かすぎる刑事課の人員配置もあっさり出来る為、表向きは強行犯係長ではあるが実際は彼が刑事課長の働きをしていた(それが故に、学者タイプの山南さんと対立しやすい)。
それでいて、強行犯係が動かなければならない事件が少ない時期に、沖田さんと永倉さんがぶーぶー言いながら始末書の山と戦っていれば、その未完成の一部を無言でさっと取って、驚くほど綺麗な文字で書き始めるのだ。彼のデスクがある刑事課第一(室)で仕事をするようになってから、そういう彼を良く見ていた為、彼が周囲から称される鬼とはだいぶ違うことを知っていた。初めて会った頃と全然変わっていないじゃないか―――――と。
だから鎌足さんとは逆で、土方さんの事を想像すると俺は俄然幸福になるし、良く眠れる。基本的に夢は見ない体質である為、鎌足さんのように、彼が夢に出て来るから魘される、という目に遭ってみたいとさえ思う。
一度寝てしまえば、コールが無い限り起きることは無い俺は、当直明けの入り(当直を終えてもそのまま通常勤務をする)の日に眠気が酷いぐらいで、普段はこんなに眠くならない。その俺がいま、猛烈に眠い。
「………、」
俺は眠気に堪えていた。ためにいさんが話しかけて来なければ、間違いなく爆睡していただろう。
「あいつのことは、許してやってくれ」
と言いながら、為時郎さんはうつ伏せになった俺の背中に、何かのオイルを塗って行く。それが、ちっとも痛くなくて、気持ち良いのだ。非常に軽くマッサージされている感覚である。じんわりと背中から内臓までが温まっているのが分かる。
「あいつはよ、俺たち兄弟が本来吸うべきだった厄介なモンを、一人で背負っちまってよ、ああやって、耐えるしかねぇのよ、あいつの体はよ」
………体?
意外な言葉に、俺は聞き耳を立てて少し眠気が弱くなった。なんとか、踏ん張りたいが瞼が閉じて行くのが辛い。
「本当は毎日でもここに来させてぇところだが、刑事は因果なモンだからよ、こっちに来たい時に限って、事件が起こるらしくてな、最後に来てから二か月は経ってるな」
それであんたに酷いことをしちまった。
俺の背中に丁寧に刷り込むようにオイルを塗りながら、為時郎さんの声が響いた。それを聞きながら俺は、どうしてそれが、俺に酷いことをしてしまったことになるのか、分からなかった。どこからか風が入って来て、今度は別の香りがした。再び強い眠気が来てしまい、ためにいさんの声が、俺の意識が、遠くなる。
土方さんの、体……
ステアを握っていた長い指。整えられた指先。
チェンジレバーを掴んだ時の指の関節が、尖っているのに滑らかに見えて、俺にはとても不思議なものに見えた。男にありがちなゴツゴツした関節では全くないのだ。それでいて造りが細いから、尖っているのに滑らかに見える。長いが太い指をしている自分のものとも、違った。ためにいさんの指も、長くて細いと思う。土方さんの家系は、そういう人たちなのだろうか。
せやかて、血ぃ繋がっている割に、松本先生は俺の指と同じで結構太いねんで……
誰が見ても老医師の姿の松本先生と、誰が見ても美少女の土方さんが、どうしても重ならない。松本先生は日野署の嘱託医で午後だけだが週に三回ほど出勤する他は、市内で長年、松本医院をやっている。
(……確か、お母さんが若くして亡くなった……)
松本先生の言葉を思い出す。土方さんの母親だった土方芙蓉さんは、土方さんを産んですぐに亡くなった。土方さんと同じ顔をしていた。
と言うことは、土方さんと同じような体つきだったのだろうか
眠気に堪えて、そんなことを考えていると、それまで嗅いだことの無い、花の集合体のような強い香りがして薄く目を開けた。
真っ白のバスローブを纏った土方さんがちょうど、うつ伏せた恰好で頭を左側に向けていた俺の左にあるロッキングチェアに、ゆっくり座るところだった。
上気した頬と、柔らかそうな肌。
俺は、世界でいちばん美しいものをみた。
≪あとがき≫
BGM
Livin' On A Prayer/BON JOVI
Africa/Toto
Spiritual Man/Toto
車が好きです。都内に引っ越してからと言うもの、移動は電車で足りるので車は手放したのですが、遊び好きの上司に彼の車・メルセデスベンツのゲレンデを運転させられています。あれは本当に運転しやすい。ゲレンデ大好きだー。
でもライラには似合わないと思ったので、アクセラハイブリッドにしました。こいつ、絶対カーチェイス上手いよなぁ、と思いながら。
ソウルレッドプレミアムメタリックは派手だったかなぁ。
うちのライラは見た目も性格も派手仕様なので、落ち着いたカラーの車が思いつかなかったのでした。
たぶん山崎の実家で、兄上ズがゲレンデを二台くらい(クラス違いで)持ってるんじゃないかと思います。
本家「Balsamic Moon」の二人にはどうみてもTotoは似合いませんが、この二人なら結構 良いでしょ?
あとがき(令和3年9月)
作中のライラの愛車「アクセラハイブリッド ソウルレッドプレミアムメタリック」はその後公式に名称が変更となり、「MAZDA」に統一されました。ライラの性格的には「アクセラスポーツ」の方が合っている気がしましたが、AMGを乗り回していると言う裏設定があったため、敢えて「ハイブリッド」にしました。
マツダの「赤」への拘り記事を発見しました。車好きの方、ぜひご覧ください(コピペで飛んでください)。
メカ部品の商売をしていた親戚の方針で、覆霞はマツダ車は買えないので、マツダ車に関しては全て妄想ですが、街中で見るとソウルレッドは確かに美しいと思います↓↓
https://www2.mazda.com/ja/100th/virtual_museum/episode/episode005.html
覆霞は都内ではペーパードライバーをして大人しい人のフリをしていますが、実際に車を買うときは、上司の血縁者で覆霞と仲良くしてくれている人が就職予定のYANASEから買うと思います。メルセデスが好きな人が多い環境にいるもので。あと、運転がしやすいからです。上のあとがきに書いたとおり、ゲレンデにやられた、惚れました。車体は大きいのですが、運転のしやすさに驚嘆しました。
「頭文字D」の高橋涼介が乗っているサバンナRX-7(FC)がマツダ車と知って、「絶対買えないわな、こりゃ……」と思いながら、漫画を読んだ記憶があります。涼介のファンになれなかったのは、これが一番の原因です。R32乗りの凛さんの方が好き。涼介は金持ちお坊ちゃまなので、現実を知らないのでしょう。二人の息子にマツダ車を買わせる高橋病院の高橋家には正直、「センス無ぇな」と思います。…あれ? 凛さんも同じような立場だった気が……凛さんガンバ!R32乗りだった貴方を覆霞はいつまでも好きだよ!(これを書いている背中で、スカパーが「頭文字D Fifth Stage」を流しています)
生まれて初めて運転した車がR32でした。最初やや重いんですが、いったんノルと軽い軽い。子供の頃からおもちゃの車を扱ったり、叔父がメカに詳しかったりで、自然と車が好きな人間になりました。そうしたら周りの人がYANASEに就職することになり……彼はいま日産車に乗っています。国産車が嫌いなわけではないのですが、覆霞の周辺はメルセデス馬鹿が多いのです。これを作っているモニターの壁紙は未だに「AMGルマンレッド」だし、もう病気かも。R32、本当に良い車だと思うので、日産には頑張って欲しいです。
ライラの血縁にはメカニックに詳しい人がいない設定なので、そこまで拘らなくて良いかな、と思い、作中での愛車をアクセラにしました。同時に、顔が広くてプロ集団に囲まれている比古清十郎は、メルセデスを愛用している設定です。縁(えに)ちゃんの愛車は、AMG GT 43 4MATIC+。インテリアに美貌の姉さんの写真を貼りまくっている予感が(笑)。「姉サン…」とつぶやきながらクーペを走らせている縁ちゃんを、いつか書きたいです。でも、一番好きなエンジン音はポルシェ。聞こえてくると、つい聞き入ってしまいますが、うちの縁ちゃんにポルシェは似合いすぎなので、設定上却下しました(笑)。
お世話になりましたBGM: https://www.youtube.com/watch?v=FQJLoF6acjw