Diary & Novels for over 18 y.o. presented by Reica OOGASUMI.
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      最終更新21th Sep.2021→「Balsamic Moon」全面改装
 日野署二階の刑事課第一(室)のドアを開けると、毎朝一番に出勤する島田魁さんが、びくびくしながら「山崎くん…おはよう…」と震えた声を掛けて来た。

「おはようございます…?」

 身長が二メートル近くある島田さんはSATの出身で、土方さんの為ならどんな危険な現場にでも踏み入るどころか、掻き分けてでも入り込む人なのだが、その島田さんが何だか怯えているように見えて、それが非常に珍しく、思わず「どうしたのですか?」と言ってしまった。
「あ、あ、いやいや、その、」

「何かありましたか?」

「…その……」

 島田さんの、大きくて真っ黒な瞳が刑事課第一(室)の壁時計を見た。吊られて俺も見ると、午前八時十五分。俺と同時に出勤した土方さんが、署長室のある一階に寄って、毎朝行われる課ごとの朝礼前に近藤署長と連絡事項の確認を終え、そろそろこの部屋にやってくる時間だ。

「あ、土方さん、お、はよう、ございます」

「…ちーす」

「うぃっす…」

「…ほんと朝から締まらねぇな、お前ら。島田まで、なんて抜けた貌してやがる。俺のデスクが、どうかしたか?」

 沖田さんから差し出された、ためにいさん特製・桑の葉茶をがぶりと飲みながら土方さんが、俺のデスクのほぼ真向いにある彼のデスクに座ろうとすると、

「なんだお前、本当に来やがったのか。今日は俺、何も持ってねーぞ」

 と、誰も居ない筈の空間に向かって、話しかけた。

 革のジャケットを脱いで部屋の隅にあるコートラックに掛ける。それからくるりと振り向いて、彼のデスクの真正面に綺麗に填まっている肘置き付のチェアを少し覗き込むようにして、言ったのだった。

「それにそこは、俺の席。お前はこっち」

 土方さんが書類が積まれたデスクを指差すと、

「!!」

 焦げ茶色の、ふさふさしたものが、ぽん、と土方さんのデスクの上に現れたのだった。

「うわぁぁぁぁ!」

 土方さんのデスクから一番近いところにあるデスクのチェアに座っていた沖田さんが、座ったまま俺のいるこちら側(後方)に飛びずさった。無敵な筈の原田さんも永倉さんも、髪の毛を逆立たせてチェアの上で、ざざっとこちら側に退けた。

 タヌキ、である。

 体が小さいから、コダヌキと呼ぶのだろうか。

 四足動物なのだが、前足を宙に浮かせて後ろ足二本で立ち上がった格好だと、腰から三角形の耳までの高さが三十センチ程度の体をしていて、ふさふさの尾がデスクの上で、揺れている。土方さんに何かをねだるようにして、ゆらゆらと尾を揺らしているように見えるのだが。

「だぁから、今日は何も無ぇって……、と、そうだ」

 デスクに積まれた書類の山から一枚を取って読んでいた土方さんが、顔を上げてこちらを見た。正確には、俺を見たわけでは無かったが。

「あっちにいる山南ってのが、毎日弁当作ってくるから、あいつから貰え」

 土方さんは俺の斜め前のデスクにいる山南さんを指して、タヌキにそう言った。タヌキはくるりと振り返ってから、とん、と軽い音を立ててデスクから床に降り、びくびくしてチェアにしがみついている沖田さんの後ろを通って、ゆっくり歩いてこちらにやって来た。こうして見ると、結構可愛い。

「え、あ、こっちに来る」

 山南さんの額から、珍しく汗が噴き出した。警察一家で育った山南さんが、野生のタヌキをこんなに間近で相手にしたことは、おそらく無いのだろう。彼の実家は麹町の高級住宅街にあって、番犬としてのジャーマン・シェパードとホワイト・スイス・シェパード・ドッグがいるが、流石にタヌキはいない。そう言う俺も、こんなに近くで見るのは初めてだ。北海道旅行をした際にはキタキツネを見たが、あれは車に乗りながらだったし。

 コダヌキは尾を揺らしながら、山南さんのチェアの足元に、ちょこんと座り、円らな瞳でじぃっと見上げて来た。

「山南さん、エサ下さい、ってお願いしてみろ。そいつ、ここで一番のヤサ男だから、絶対くれるぜ」

 土方さんが御丁寧にアドバイスをすると、コダヌキはくぅーん、と鳴いて再びふさふさした尾を揺らし始めた。だけでなく、後ろ足で立ち上がり、山南さんに向かって前足を動かしている。

 コダヌキを驚かせないように注意しながら、俺が自分のチェアからそっと立ち上がってデスクに両手をついて、体を前に傾けると、コダヌキがくいくいっと山南さんのスラックスを掴む姿が見えた。随分人慣れしているようだ。

「わ……え、えーと? 私の弁当を、食べさせれば良いのかい?」

 山南さんは土方さんに向かって言いたいようだが、土方さんはチェアに座ってノートパソコンに釘づけになっていた。同時に複数の書類を読みながら、互いに無関係の文書を複数同時で作成出来る彼は、いったんキーボードを叩き始めると、電話がかかってこない限り指を止めることは殆ど無い。デスクの上に散りばめられている(それでも他の署員に比べれば遥かに整然としている)書類を見ながら、絶え間無く響かせているキーボードの音を聞く限り、彼の集中力の大半は、山南さんの足元に居るタヌキには向かっていないようだ。

 そんな土方さんをちらりと見た山南さんは、動揺しながらではあったが、デスクの上に置いたばかりの手作り弁当を包んだ市松柄の風呂敷を手に取った。普段、優等生的に落ち着いている山南さんともあろう人の白い手が震えている。朝、刑事課のチェアに突然現れたタヌキに、ごく自然に指示をした後に、悠々と業務をする土方さんとは対照的である。

 俺の知る限り、タヌキは肉食で臆病な分、凶暴なところがある。俺が知る知識を山南さんが知らない筈は無く、きちんとアイロンプレスされたグレーのスラックスの先を、タヌキによってちょんちょん引かれ続ける上司が流石に気の毒で、俺はゆっくりと山南さんとタヌキに近づいて行った。

 そして、震える手で風呂敷を解いて弁当箱の蓋を開けた山南さんのチェアの後ろに立つと、手にしていた割り箸を静かに割って、弁当箱からいくつかを摘み出し、蓋に乗せることにした。本日の昼食は、高野豆腐の煮物と鮭の切り身、ほうれん草の胡麻和えとブロッコリー、出汁巻き卵にミニトマトである。弁当の下段には、玄米ご飯がきっちり詰めてあった。このように、いつも弁当の中身まで優等生なのが俺の上司なのだが、野生のタヌキが苦手と言うことを、いま初めて知ってしまった。

 ノートパソコンのディスプレイの奥でこちらの気配を伺っているであろう俺の愛しい人の様子からすると、…十中八九、そう言うことを知っていたのだと思う。

 山南さんのスラックスを掴んで離さないでいるタヌキに見えるように、俺は、手始めに鮭の切り身を乗せた弁当箱の蓋を、静かに床に置いた。タヌキは、そこで漸くスラックスを掴んでいた前足を離し、切り身に飛びついた。

 むしゃむしゃと良く食べる。タヌキは、鮭の皮まできちんと食べた後で、また円らな瞳を山南さんに向けて来た。今度は、後ろ足でぴょんぴょんと、ウサギのように跳ねている。

 くぅ〜ん、くぅ〜ん。

「……え、と……山崎くん、翻訳してくれたまえ」

「出来ません(;^ω^)」

「山崎てめぇ……それでも国際犯係員かよ。十か国語が分かる癖に、タヌキ語も分からねぇとは、情けねぇこった。もっとくれなきゃ、化けて出てやる、っつってンに決まってるだろ?」

「…そう言う冗談は、やめてくれないか…」

 山南さんは、幽霊が大の苦手なのだ。土方さんはそれも十分に知っている。

 美貌をニヤけさせながら、土方さんは、蒼褪める山南さんの弁当の中身を、しっかりタヌキに食べさせることにしたようだ。彼は、俺が箸で弁当の蓋に次々と追加する山南さんの弁当だったものが、タヌキのエサになっていく音を聞きながら、再びキーボードを打ち始めた。この速さでは、出来上がる書類の枚数の記録が、また更新されるのだろう。タヌキの様子を伺う為に、静まり返った刑事課第一(室)内のなかで、彼のデスクからだけ、元気な音が響いていた。

 出汁巻き卵を一つだけ残して、山南さんの弁当の上段を食べ終えると、タヌキは蓋から離れ、今度は体をくるりと反転させて、土方さんのデスクを見上げた。最後の出汁巻き卵を口に咥えたタヌキは、山南さんの場所から土方さんの方へと、移動し始めた。

 土方さんのデスク脇には、観葉植物のオーガスタが置いてある。タヌキはその鉢の隣に腰を下ろし、土方さんのほうに体を向け、また尾をゆらゆら揺らし始めた。

 桑の葉茶を飲みながら、土方さんは言った。

「そこに居ても良いが、仕事の邪魔するなよ」

「(ゆらゆら)」

「邪魔したら、タヌキ鍋にしてお前を喰ってやるからな。もう五年も喰ってねぇンだよ、俺」

「((((;゚Д゚))))ガクガクブルブルガクガクブルブル」

 ――――――…今の土方さんの台詞には、俺もタヌキのほうに同情した。エサを与えてから食べると言うのは、まるでヘンゼルとグレーテルや。

 刑事課第一(室)の空気が凍った。土方さんの隣のデスクにいる鑑識係長の武田観柳さんは、長年大事にしているらしい美濃焼の湯呑を、派手に音を立てて床に落としてしまっていた。ああ、私ともあろう者がなんてことを、などと言う嘆きの声がする。

(山崎くん)

 山南さんが、チェアに座ったまま、立っている俺を見上げてくる。

(きみ、本当にあんな人が良いのかい?)

(――――あんなって、なんです)

(いまにきみが食べられてしまうのではないかと、とても心配だ。せっかく優秀な部下に巡り合えたと言うのに、食べられてしまうなんて惨すぎる。最近きみは顔色が良いし、既に餌付けされてるんじゃないのかい??)

(………)

 それは誤解である。

 土方さんは、相手がどういう人物(いまの場合はタヌキだが)かを承知の上で、あのような台詞を吐くのである。からかっても大事にならない相手にだけ、(手を抜かずに、きっちりと)からかい、悪態をついても突き返してくる相手にだけ、悪態をつく。

 第一、マンションのなかでは俺は何も変なことはされていないし、きつい言葉も吐かれていない。殆ど悪態もつかれない(つかれるのを待っているのに)から、若干拍子抜けしているのだが、自宅では普通の人なんやなぁ、と思って、幸せな毎日を過ごしているのだ。

 久しぶりに午後六時台に仕事を終えて帰宅した昨夜は、夕食を摂りながら二人で、録画だったがメジャーリーグを観た。「お〜!」と盛り上がったり、「あー」と悔しがったりした。洗濯が終わるまでの間、Youtubeの動画で見つけた作業用BGM「波の音」を聞きながらリビングのソファで雑誌を読む筈が、いつの間にか寝ていたし、突然飛び起きたと思ったら、廊下にモップをかけはじめたし。

 土方さん曰く、家事をすると、ストレス発散になるのだそうだ。確かに、強行犯係長として強盗・殺人・暴行・誘拐などを扱うだけあって、常に過緊張状態である。そんな彼にとっては、何気ない掃除や整理整頓が、自分を日常生活に戻す為のイントロになるようだ。彼の部下である永倉さんは掃除が上手く、三つ子が生まれた原田さんは家庭ではすっかり父親で、島田さんの趣味はなんとカリグラフィーだ。

 彼がSAT現役だった頃、彼の所属していた班の制服だけは、「SAT Special Assault Team」の文字が島田さんによってデザインされた書体だったが、近寄りがたいSATのイメージを一新してくれたと言うことで、彼が刑事になった今も大切に使われている。

 それぐらい、強行犯係の刑事たちは業務と日常に乖離があった。一番大きな乖離があるのは、野生のタヌキと会話が出来る土方さんなのだろう。会話と言うか、命令に聞こえるが、きっと俺の気の所為やろ。

 それに、優秀な筈の上司が、一つだけ忘れていることがある。突然現れたタヌキの所為で、動揺しているのだろうが。

「山南さん」

「……こうして今日も、私の手作り弁当が空になって行くのか…昨夜から利尻昆布で出汁を取ったのに……あ、何だい、山崎くん」

「俺は喰われる方では無くて、喰う方ですから、安心なさって下さい」




「……………」




 ばたん、と大きな音を立てて、土方さんのデスクの向かい側、沖田さんのデスクの真正面で、島田さんが頭からデスクに倒れ込んだ。武田さんのデスクでは、五十万円以上するノリタケ スタジオコレクションの花瓶が、がしゃんと割れた音がする。今朝自分で入れたコーヒーを飲んでいた永倉さんと原田さんは、せっかく淹れたコーヒーを真新しい真っ白のシャツに零して、二人で「あ``あ``あ``あ``あ``」とか言っていた。

 ぶるぶる震えながらチェアにしがみついていた筈の沖田さんは、瞼を閉じて既に固まっている。ちょい白雪姫入っとるかもしれへん。

 その向こうにある土方さんのデスクで、電話が鳴った。受話器を取った土方さんがキーボードを叩くのを止め、手早く会話を切って立ち上がる。

「…島田、てめぇ、朝っぱらからなに昼寝してンだ。俺の前で昼寝なんざ、百年早ぇンだよ」

「…………土方さんとたぬき牧場に行くのが私の夢だったのに 。゚・(>﹏<)・゚。」

「ああ?! 四丁目交差点付近で傷害事件だ、ガイシャは総合病院に搬送中、さっさと行くぞ。着いて来れないヤツは置いて行く!」

「………墓場までも憑いて行きます!」

「漢字が違う気がする!」

「違いませんっ!!!」

 巨体で泣きながらデスクから立ち上がった島田さんは、俺に対するものであろう殺気らしきものを全身から出して、マッハで部屋を出て行った土方さんをダッシュで追い掛け始めた。永倉さんと原田さんたちが後に続く。まだ固まっとる沖田さんは大丈夫やろか、と少し心配する俺は、朝から元気な土方さんを見送れたさかい、そろそろ業務を始めなあきまへん。

「これ、俺がやっておきますので」

 俺は、力作であっただろう弁当の上段を殆ど食べられて、意気消沈している山南さんのデスクにあった、作り掛けの書類を手に取って、自分のデスクに戻った。今日もやるかー、と気合を入れながらチェアに座ったところで、鎌足さんが部屋のドアを開ける。

「刑事課のみなさ〜ん、おっはようございまーす! 一階から薄皮饅頭の差し入れですよ〜。ねぇねぇ! さっき鬼が言ってたんだけど、珍しい毛皮があるってほんと? あ! 毛皮はっけ〜ん。やぁん、ふっさふさ❤ で?! どうやって食べるの?」

 鎌足さんの台詞に、びくりと全身を震わせたタヌキは、最後の出汁巻き卵をしっかり咥えたまま、素早く鎌足さんの足の間を駆けて、逃げて行った。

 こうして、

 土方さんは、今朝俺が作り、先程土方さんが署長室の冷蔵庫に仕舞って来た彼と俺の弁当を、今日も死守することに成功したのだった。








≪あとがき≫

 このシリーズでライラを、誇り高き農家出身としているのは、史実のライラに対し、「百姓のどこが悪いンだよ、ライラ〜。そもそも百姓と言うものはねぇ」と滔々と説教したいからです。(彼が悪いわけではなくて、原因は、特に江戸幕府だろうけど)


  秋の田の かりほの庵の 苫をあらみ わが衣手は 露にぬれつつ

     天智天皇


  久かたの 天道(あまぢ)は遠し 黙々(なほなほ)に 家に帰りて 業(なり)を為(し)まさに

     万葉集


 うちのライラはTPPについて、身分が警察官でなかったら、「百姓舐めんじゃねぇ!」とか言って、鍬と鋤を持って突撃します。そう言うライラは、凄く好きです(笑)。TPP推進派を襲撃するの。医家出身の小五郎が「TPPで、混合診療を解禁しなければならない!」と言いながら、永田町周辺を逃げ回る。…面白そうで、ちょっと涎が出てきました。書きませんけどね。
autor 覆霞レイカ2014.05.06 Tuesday[04:09]
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