Diary & Novels for over 18 y.o. presented by Reica OOGASUMI.
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      最終更新21th Sep.2021→「Balsamic Moon」全面改装
BGM: Backstreet Boys's Greatest Hits/Best songs of Backstreet Boys


   http://youtu.be/j3vhCbZ6B5g






   ラ・フロレゾン






 山崎に連れられて、昔、彼が付き合っていた関原妙と言う女に会いに、日野市にある小料理屋「赤べこ」を訪ねたのは、山崎と二人でマンションで暮らし始めて、暫く経った頃のことだった。
 関原妙は山崎の高校時代の同級生で、母親と双子の妹と叔母との四人で、この店を守って来たそうだ。父親は大物の政治家だが、妙の母親が正妻から厳しくあたられて、大阪から逃げて来たらしい。以来、父親とは会っていないと言うが、妾の子にしては、それっぽさを感じさせない、元来は明るくて朗らかそうな女に、俺には見えた。

 その妙の双子の妹であり冴が、脊髄腫瘍で入院中であると言う。今までに放射線をかけ、化学療法もして、何とか保ってきたが、ここ最近急に悪化して、まだ三十代だと言うのに、寝たきりになった。山崎とはしばらく前に別れていたが、山崎は時折、総司や永倉を連れて店を訪れていたとのことだった。

 落ち着いた小奇麗な店で、関原妙は蒼褪めた顔で俺に頭を下げた。「山崎くんから土方さんのことは伺っています」と言って。

 お前、俺のこと何て言ったんだ、と山崎に聞くと、山崎は笑って、「これからも一緒に暮らすひと」とあっさり言った。

 おいおいおい、と普段なら突っ込むところだが、真っ青な妙を前に、ふざけている場合では無かった。俺は、妙と山崎とを近くの駐車場に停めてあったアクセラに乗せて、冴が入院していると言う総合病院の隣にあるホスピスに向かった。ホスピスに居ると言うことは、予後は悪いと言う判断が為されている、と言う意味だ。

 妙の母親と叔母は、数年前に亡くなったと言う。政治家の父親は存命だが、おそらく二度と関わることは無いだろう。と言うことは、入院中の冴は、妙にとってたった一人の肉親なのだ。おまけに双子で、きっと仲も良いのだろう。自分の半身を失うかもしれない恐怖が、妙の美しい顔を翳らせているのだと思った。アクセラの後部座席で、山崎の隣で弱弱しく微笑む妙は、もとは綺麗な顔をしているのだろう、明るい茶色の瞳が不安げに揺れて、落ち着かない様子で窓の外や自分の膝を見ていた。

 山崎が俺に話したところによると、日野市に転属になってしばらく経った後に発生した事件の聞き込みで飛び込んだ「赤べこ」で、高校時代の同窓生である妙と再開し、懐かしさの余り、以来、週末の度に「赤べこ」に寄って夕食にしていたそうだ。その頃俺への気持ちが憧れなのか恋愛なのかが良く分からず、同性愛に突っ込んで行く勇気も無かったと言う。

 高校時代を、空手と勉強のほかは母親の看病と園芸で費やした山崎は、妙からすれば、御曹司なのに何事も自分でやる真面目で優しい学生にしか見えなかったらしい。好意を抱いていたが、ちょうどその頃父親と母親との間を引き裂こうとしていた正妻から厳しく当たられ、山崎への好意どころではなかった。淡い気持ちを胸の奥に仕舞い、高校卒業と同時に「白べこ」を畳み、母親は妙と冴を連れて、大阪を去り上京した。しばらく叔母の家で暮らしていたが、後に日野市に転居して「赤べこ」を開いた。

 そこで警察官になっていた山崎と再開し、ゆっくりと男女の仲になっていったと言う。その頃元気だった冴も二人の仲を応援し、穏やかに見守ってくれていたそうだ。

 その妙が山崎と別れて間も無く冴が発症した。当初は化学療法に反応したが、徐々に腫瘍が小さくなるスピードが減った。放射線もかけたが、色白だった冴の肌が黒くなっても、期待ほどの腫瘍縮小効果が無かった。美しかった冴が痩せ、髪の毛が殆ど無くなった頃、たった一人で看病の為に病院を訪れていた妙も、別人のようにげっそり痩せていった。

 母親を亡くしてから雇われていたアルバイトの若い娘が、そんな妙を心配して、山崎を訪ねて日野署に訪れたのが、先週だった。山崎は俺との生活で手いっぱいで、「赤べこ」を訪ねる頻度が激減していた為、妙の異変に全く気が付かなかった。慌てて「赤べこ」へ向かうと、一回り小さくなった妙が、カウンターに突っ伏して泣いていた。冴の主治医から、余命三か月、と告げられた日だった。

 アルバイトの燕と言う娘は、そんな妙を心配して、「赤べこ」に連日泊まり込み、住み込み状態だった。小柄で気が弱いが、良く働く娘で、今の「赤べこ」が持っているのは彼女の力がかなり大きかった。妙は看病疲れと、半身を失うことへの恐怖と絶望感とで、既に働ける状態ではなくなっていた。

 妙ちゃん、妙、と山崎に声をかけられ、顔を上げた妙は、山崎を認識して、わっと声を上げて大声で泣いた。

 冴が、冴が死んでしまう……! うち、ひとりになってしまう……!

 数年前まで付き合っていた山崎には決して見せなかった動揺した姿に、山崎は事の深刻さを漸く理解した。山崎が知っていた妙は、いつも明るくて、穏やかで、朗らかだった。妙の原動力は、冴だったのだ。その冴の命が、すなわち妙の命が、消えようとしている。

 そう察知した山崎は、妙と一緒に冴のいるホスピスを訪ね、担当医から聞いた病状を俺に話して、サロニカのものを使えないか、と提案した。

 サロニカでは、従来の治療が効かない病状の患者向けに、沢山の精油やバスハーブなどを扱っている。それも、医療機関に対してのみ卸す為、製品はすべて医療用なのだ。特異体質の俺がサロニカのものを使って生き延びていることを良く知っている山崎は、冴の体を巣食っている腫瘍(癌)にも使えないかと考えたのだ。

 俺が為兄に聞くと、可能だと言う。ただし、早ければ早い方が良い事、出来ればホスピスは退院して、「赤べこ」の二階にある自宅に戻り、そこでサロニカのものを使って全身を変える必要がある、と言った。幸いにしてサロニカには、従業員向けの専用バスが駅から出ており、運転手に言えば、バスを「赤べこ」の前で停めることが出来た。燕が冴の看病もする、と言い出した為、妙は冴を退院させて、自宅でサロニカの治療をすることにしたのだ。

 冴の腫瘍は、サロニカの精油に反応した。まず、痛みと痺れが消えた為、体が楽になった。使っていたモルヒネの量も少しずつ減らし、サロニカに俺が行くたびに、あのババアから「入れ」と言われる、サロニカで最も濃度が濃く効果が強い精油を湯に垂らして入る風呂に、冴も入ることになった。あれは、痛みと炎症を抑えるだけでなく、生体のナチュラルキラー細胞を活性化することで、免疫力を上げる作用があるのだ。俺のように先天的な異常を抱える人間が入れば、体が動かしやすくなるし、冴のように腫瘍がある人間が入れば、腫瘍細胞よりもナチュラルキラー細胞が強くなって、腫瘍が撃退されることになる。

 風呂から上がった冴を、為兄がリンパに沿ったマッサージを行うと、冷え切っていた冴の体がぽかぽかと温まって来た。冴は、嬉しい、と言って喜んだ。そんな冴の姿を見て、妙も涙ながらではあったが、笑顔を取り戻したのだ。

 今日は、冴がサロニカでの十回目の治療を行って、黒ずんでいた肌がかなり白に戻って来た祝いの席である。

 漸く女将として復活出来た妙の料理を食べようと、山崎が俺を連れて、閉店後の「赤べこ」で貸し切り状態を楽しんでいた。相変わらず燕は良く働き、弥彦と言う若い男と共に厨房でせっせと料理を作っていた。関西の薄味の煮物を、隣に座った山崎が懐かしそうに食べ、そんな山崎を見ながら、俺が二杯目のジョッキを頼もうとした矢先のことだった。

 閉店した筈の玄関が、がらり、と横に開いて、そこに、見覚えのある巨体が出現したのである。

「やっと見つけた、こんなところに居やがったのか」

 久しぶりだなぁ。

 にやりと笑われて、

「―――――げ…」

 俺は本気でカウンター席から腰を上げて逃げそうになった。

「そこまで派手に俺を待っててくれるとは、男冥利に尽きるってモンだぜ、歳三」

「…なんで、てめぇが出てくる!」

 山崎のいる前でだけは会いたくなかった男の登場に、俺は飛び上るほどに驚愕した。今までこいつが日野市に現れることなど無かったのに。

 こちらの激しい動揺を他所に、比古清十郎はにやりと笑うのだった。俺の隣で、山崎が唖然としている。

「依頼先を回ってたら、真っ赤なアクセラを見かけてよ、この街であんなのに乗るヤツは、お前ぐらいだろ」

 今日、アクセラはここの近くにある有料駐車場に停めていた。山崎とマンションに引っ越して以来、通勤が徒歩になった為、アクセラに乗る機会が激減し、最近はずっとマンションの地下駐車場に置いてある為、人目に付かなくなっていたのだ。そんな状態なのに、どうして日野市に来ることがまず無いこいつが、俺のアクセラを今日に限って見かけてしまったのか…

 蒼褪めた俺は、不安そうに俺を見つめてくる山崎が俺のセーターの右腕の部分を掴んで離そうとしないのを何とか抑えて、まずは自分の鼓動を落ち着かせようとした。喉が引き攣りそうになっている俺とは対照的に、比古はゆったりとした動作でコートを脱ぎ、鍛え抜かれた巨体を見せびらかすようにして山崎と俺の後ろを横切り、俺の右隣に座る山崎と逆の方向、山崎と俺を挟むかのようにして、俺の左隣の席に座った。同時に、厨房の妙に「よぉ、元気か?」と声をかける。

「……知り合いなのか?」

 訊くと、妙がにっこり笑いながら答えた。

「料理学校時代の、うちの同期生が、「葵屋」で板さんしてるんですけど、そこの緋村剣心さんが比古さんの御弟子さんなんです」

「あの馬鹿弟子でも、一応、俺のただ一人の弟子だからよ、仕方ねぇから、時々葵屋に顔出してやってる。そこで昨夜、木戸孝允に会ってな。あいつ、良いツラと体してやがンなぁ、お前とは違う意味で好みだぜ、俺」

「―――――誰でも良いんじゃねぇか、てめ……」

「妬くなよ、違うって。木戸は、侵しがたい美で、お前は、侵すべき美だ。どうだ? 全然違うだろ」

 比古の言葉に、俺の隣で山崎が息を潜めたのが、ありありと分かった。

 ……やっぱ、アクセラでここに来るんじゃなかった。山崎の言う通り、タクシーで来ればこんなことには……

 車好きの性格が凄まじく災いした。そう落ち込んだ俺の顔をニヤけた面で眺めながら、比古は、木戸から貰ったと言うタヒーボと言う名のアマゾンの茶の箱を、妙に渡した。

「これを、冴に飲ませると良い。癌の治療になる。もっと欲しければ、馬鹿弟子に言えば木戸が送ってくれるそうだ」

「……?…」

 話が読めない。

 何の話だ、と俺が尋ねると、比古が話し出した。

「木戸孝允が養子に入る前の実家は、桂眼科医院つってな、医院なんだ。そこで、木戸の実の姉が医者をしていてな、木戸そっくりの物凄い美人だが変わったヤツで、癌に抗がん剤ではなくて、この茶を使う。それで、そこの燕から冴の病状を聞いた俺様が、馬鹿弟子をせっついて、茶を手に入れたわけだ。で、昨日葵屋に茶を取りに行ったら、本物の木戸が居た」

 比古は、カウンター越しに差し出された熱燗を自分で盃に注ぎ、ぐいっと飲んだ。

「で、ちょうど今の俺とお前みたいに、こうして隣同士に座って、歓談してきた。テレビで見るより、ずっと美人だったな、あいつ。ま、俺はお前の方が好きだけどよ」

 にやっと再び笑った比古を、本当はぶっとばしてしまいたかった。山崎は……完全に固まっている。

 そんな俺たちを楽しそうに眺めながら、比古はまた酒を飲んだ。今まで俺は、こいつが下手に酔っぱらうところを見たことが無い。純粋に酒を楽しむ男なのだ。

「あの気品は侵しがたい。それに、木戸家と長州連(中)が後ろについてるからよ…、あいつに手ぇ出したら、また馬鹿弟子と決闘しなきゃなんねぇし、芸術家の俺としては、もう面倒な事は御免だぜ」

 元は陶芸家であった新津覚之進はマルチタレントで、彫刻家であり、書道家であり、作家であり、画家でもある。彼の正体は飛天御剣流十三代目の比古清十郎なのだが、比古自身は緋村剣心に十四代目を継承させて、芸術活動に専念する予定だった。

 が、その緋村が都内の高級料亭である葵屋の板前となった時に、彼の予定が狂ってしまった。正確には、板前となる前から緋村と交際していた四乃森蒼紫を発見した比古と、緋村との間で生死を懸けたバトルが発生し、飛天御剣流の奥義を繰り出された比古が負けた時からだった。バトルでは、比古が勝ったら緋村が十四代目を継承する、緋村が勝ったら比古が緋村と四乃森との結婚を認める、と言う内容だった。そして緋村が勝ったのだ。

 だから比古は、十三代目比古清十郎と、芸術家・新津覚之進の二束の草鞋(実際には二束を遥かに超えている)を履いた生活を続け、十四代目となる弟子を探しながら、京都の本宅と東京や鎌倉にある庵つきの別宅を往復する生活を送っていた。

 彼が千代田区の、料亭が居並ぶ通りの奥にひっそりと構えている別宅で新作の考案を練っていた時であった。その日は朝からの雨天で、しとしと降る水滴が庭にある池に咲く蓮の花を潤すのを静かにみつめていた比古の別宅の呼び鈴が鳴ったのだ。

 普段は勤めているはずの家政婦がちょうど留守をしていた為、滅多に人前に出ることが無い比古が玄関の引き戸を開けたところに、俺がいた。俺は、竜馬のシークレットサービスの仕事の聞き込みに千代田区を回っていただけだったのだが、突然出て来た、それまで見たことも無いような体躯の大男から腕を引かれ、玄関先で押し倒された。

 何とか逃げ切ろうにも、のしかかる筋肉が重すぎて、俺は全く身動きが取れなかった。警察だ、公務執行妨害で逮捕する、とでも言ってやりたかったが、シークレットサービスの特殊性を考えると、目つきの妖しい厄介そうな男をまともに相手をしたくなかった。

 一方で、比古はと言えば、俺の顔や体をじろじろと見つめながら、「これぞ俺の理想」などと呟いて、俺の体を太い左腕一本で抑えつつ(どうも経絡を刺激して俺の動きを封じていたらしい)、どこからかスケッチブックを取り出して、右手でカリカリ描き始めた。およそ五分後に完成した絵を「どうだ」と見せられて俺は、あまりに俺とうりふたつで、閉口した。「気の強そうな目をしてやがるな、気に入ったぜ、お前。これから俺のモデルになれ」と言われ、蹴りを食らわせようとしてあっさり躱され、あろうことか、左の足首を軽々と掴まれてしまったのである。

 やっと上半身が自由になったと思った途端、次は脚が奪われ、何とか起き上がった体をぐいっと引き寄せられた時には、ジャケットのポケットに入れてあった警察手帳と財布、そして、竜馬名義のブラックカードと、シグ・ザウエル・P226が見事に抜かれていたのだ。

 一瞬だった。俺には、抗う暇さえなかった。唖然とする俺を前に、比古は余裕の視線でこちらを見下ろしながら、言ったのだ。

「お前が噂のシークレットサービスか? 確か、唯一、所轄に所属してるシークレットサービスがいて、物凄い美貌だって話だったな。坂本も良い趣味してやがる、ますます気に入ったぜ。正体を内緒にしてやるから、ここに来い。都内で動くときの足場にするなら、お前も都合が良いだろう。鍵をやるから好きに使え」

 比古が言うには、この別宅には月の半分も居ないらしかった。普段は住み込みの家政婦が一人と庭師がいるだけで、昔からの知人以外にこの住所を知るものは居ない、比古の本宅とアトリエは京都の山奥にあり仕事の連絡先は向こうにしてある、だからシークレットサービスの俺がいたところで、誰にも気づかれない、とのことだった。

 左脚から抜かれたマテバ6ウニカから、装填していた銃弾をすべて床に落とされた状態で銃口を鼻先に向けられ、俺は頷くしかなかった。閑静な敷地のなかだから、と気を抜いていた俺の、これは失態だった。

 現役警官が絵のモデルなど、聞いた事も無い珍事だったが、比古は庭を眺める俺をみつめてはスケッチしたり、筆と色鉛筆を咥えながら、右向け、とか顔を上に上げろ、とか指示をしたりしてきた。俺は、自分の失態が故にこんな下らないことをせざるを得ないのだ、と自分に言い聞かせ、兎に角耐えた。竜馬と官邸に迷惑をかけることだけは、絶対に出来なかった。

 比古の出方によっては、勝っちゃんにもバレるかも知れない、そうすると竜馬と勝っちゃんの仲が壊滅的になる。竜馬は、勝っちゃんをあまり評価していないらしかった。が―――――当時の俺にとっては、勝っちゃんが一番だったのだ。シークレットサービスを引き受けたのも、官邸からの情報を用いて、日野署の功績を上げる為だった訳だし…

 だから、比古から肉体関係を要求された時にも、心底嫌だったが、拒絶する権利は、俺には無かった。

 意外だったのは、比古は決して暴力的な行為は一度もしなかったことだ。大事なモデルは愛でるもんだぜ、とクサイ台詞を吐きながら、勝っちゃんがつけていたキスマークの跡を追っては、俺の体を楽しんでいた。

 そうして次々と世に送り出されて行ったのが、新津覚之進の代表作、“la floraison hors-saison”(「狂い咲き」)、通称「ラ・フロレゾン」シリーズであった。

 「ラ・フロレゾン」は、背景一杯に溢れるボタニカルアートのなかで、ロングヘアの女性が笑ったり俯いたりしたポーズで登場する水彩画である。そのモデルは、以前、世界的なファッションモデルとしてパリコレなどで活躍していた四乃森蒼紫ではないかと言われているが、四乃森にしては随分と挑発的な視線である為、別の人間ではないかとも噂されていた。モデルの正体は、俺と四乃森を足して二で割った人物、と知っているのは、比古と俺と、家政婦と庭師の四人だけだった。

 「ラ・フロレゾン」は世間の注目を集めに集め、このシリーズだけの美術展が各地で開催される時には、俺は恥ずかしくて仕方が無かった。いくら女体として描かれているとは言え、人気のある作品の殆どがヌードかセミヌード姿で、挑発的な恰好だからである。「これのどこが俺なんだ!」と激怒する俺に向かって、比古は「芸術家は嘘がつけねぇんだ。俺の客は素直でな、あるがままの草花と、あるがままのお前が好きだとよ」と言った。

 からり、と男らしい顔で笑う比古に、いつしか俺は、勝っちゃんの姿を重ねるようになっていった。

 署長になってからの勝っちゃんは、昔と比べると少し変わった。両肩に重責が圧し掛かり、霧雨の夜に俺を抱くときくらいしか、気を緩めることが出来なくなったのだろう、十代二十代の頃の明るさの質が変わっていた。昔は大地のようだったが、時折切羽詰まった表情が見て取れて、あんなに大きかった大地が徐々に切り取られて行くようだった。

 人は変わるものだ。年々痩せて行く体を持つ俺は、嫌と言うほどにそれを知っている。なのに心のどこかで、それを拒否する俺がいた。

 少年の頃のように、何物にも縛られずに、勝っちゃんと二人で広い大地を走っていたい。何者をも恐れずに、二人でいたい。それは、勝っちゃんが結婚した時から、俺の、永遠の夢になった。

 一方で、比古はいつでも変わらなかった。

 好きな時に東京に来て、好きな時に絵を描き、好きな時に俺を抱いた。俺が居ようが居まいが、書に向かい、木を彫って、キャンバスの色を重ねた。時間にも人間にも、縛られていなかった。「敢えて言うなら、俺を支配するのは天気と土方歳三」、そう言って盃を空ける男に、自分には無い余裕を感じて、体だけと言いながらも、俺は少しずつ、在りし日の勝っちゃんを比古に求めていた。

 それを知ってから知らずか、比古は、俺が勝っちゃんと抱き合おうと、由美と抱き合おうと、何も言わなかった。それが心地よくて、俺たちの関係は、知人以上恋人未満のまま、続いていた。俺が山崎に告白された頃まで。

「や、山崎、俺がこいつと居たっつってもよ、だいぶ前の話だし、」

「最後にヤってから、まだ半年くれぇだぜ。二人で見たろ、うちの庭の花と池に映った半月。俺が誂えた浴衣似合ってたぜ、あの夜はな…」

「てめぇは黙ってろ!」

「なぁんだよ、」

 比古が太い腕を組む。視線は既に芸術家の域を越えて、十三代目になっていた。おそらくは地上最強の、男の目。この目に、幾度射抜かれたか知れない。かつての勝っちゃんのような、底光りするこいつの目が好きだった。

「京都の庵と窯が豪雨で壊れて、俺が一人で修復している間に、何だよ歳三、さっさと鞍替えか? 由美はどうした? 俺よりも長かったんだろ?」

「とっくに別れた。つーか、俺がいつ、てめぇと付き合ってたよ。体だけの関係だって、最初からそう言う約束だったろ。だいたい、てめぇの巨根の相手してたら、こっちが持たね、」

「………体だけの関係だったんですか……」

 あ。

 ―――――やっべ…

「ま、大人の仲ってヤツだな。俺はンなつもりは無かったが、そうでも言わねぇと、鬼の土方は落ちなくてよ……こいつを落とすの、苦労したぜ、俺ともあろうものが二年もかかった。漸く甘えてくれるようになったってのに、ちっと俺が東京を留守にした間に、いくら寂しかったからってよ、」

「誰が、てめぇなんかを寂しがるか! つーか、いちいち事情を説明すんな!」

「…………」

 まずい。山崎がどん底に行った。こいつは真面目なのだ。俺や比古よりも、遥かに深く物事を考えて、良家の息子らしく、何事も真正面から生真面目に受け止めることしか知らない。同時に複数の男に抱かれていた俺とは、全く別の種類の人間である。比古が、俺と勝っちゃんのことを口にしない状態で、こうだ。勝っちゃんとのことまで露見したら、こいつはどうなってしまうだろう。

「流石、ゴルフ屋のボンボン。馬鹿正直に反応してやがるぜ。歳三、お前、こんなのが好きなのか」

 うるせぇ。いまそれどころじゃねぇ。

「これで分かったろ? お前みたいな魔性の男を相手に出来るのは、由美でもボンボンでも無くて、俺みたいな…」

 比古が滔々と語りだすと、隣で俯いていた山崎が、ぼそりと呟きだした。

「……土方さん、ほんまに美人やし、きっと相手は沢山おったのやろうと予想はしてましたし、新津先生の一人や二人くらい、へ、平気ですよ…………どうりで、(色々と)慣れてはる筈や………」

 その面は平気じゃねぇだろ。つーか、最後の一言は余計だ、余計。

 品の良い顔が、見たことも無いくらいに歪んでいた。その顔で山崎は、腹の底から絞り出すようにして、続けた。巨根、巨根、と呟いているように聞こえるのは、空耳だろうか。

「……うちは、大阪の実家は、五階建てなんですけど……ワンフロアに一枚ずつ、特大サイズの『ラ・フロレゾン』が飾ってあって、……玄関のものは特注品で……帰省する度にあれをみるのが……俺の楽しみで………」

「………マジかよ……(T-T*)……」

「親父とお袋が、新津先生の大ファンだす……」

「おお、ヤマザキゴルフクラブは、昔からの取引先だ。こいつの両親とも、会った事あるぜ。山崎は、お袋さんとそっくりだな。あのお袋さんに似れば、ヤサ男にしかなれねぇよなぁ」

「……お前のご両親は、ちったぁ、趣味を見直したほうが良さそうだな…」

 呟くと山崎は涙目になって、椅子に座ったまま隣の俺に抱き付いて来た。

 山崎が泣きながら言うには、ヤマザキゴルフは昔から新津覚之進の作品をゴルフ場やゴルフクラブに飾っており、人気がありすぎて滅多に手に入らない「ラ・フロレゾン」の透かしシリーズ(障子紙に、俺がモデルをした女がボタニカルアートと共に印刷されたもの)を、エントランスやロビーでライトアップしているそうだ。

「土方さんをモデルにしてはったなんて……俺、あれ好きやったのに……」

「うちも、個展の度に観に行ってます。物凄く綺麗やもの。次は冴も連れていきたいわぁ」

「いま新作を作っている最中だからよ、楽しみに待ってろ。自信作だぜ」

「世界中で俺の土方さんのヌードが晒されてはるなんて……」

「京都の俺の家の風呂はよ、『透かし(シリーズ)』で囲んであってな、豪雨であそこが壊れたから、必死に直して来たんだよ。あそこが俺の生き甲斐だし、他の誰にも触らせたくねぇし」

「…………(あとで殺してやる)」

「『透かしシリーズ』は…うちのゴルフクラブで飾ってるのは違いますけど、大体が花のユウガオをテーマに描かれていますやん…」

「そうだ、こいつをあるがままに描いてたら、ああなった。花言葉は「夜の思い出」。「妖艶」てのもあるな。ぴったりだろ、こいつに」

「………」

「……言ったろ? 俺は、お前が考えてるようなヤツじゃねぇって」

「………(T△T) 」

「歳三…お前、ほんとにこんなガキが良いのか? 由美もだけどよ、お前、趣味悪すぎ。人見る目がなってねぇ。どうだ? もいっぺん俺と」

「だから、てめぇは黙ってろ!!!!!」





 何とか山崎を宥めてから一か月後、マンションに、高さが一メートル近くある特大の荷物が届いた。

 あて先は「山崎丞様」になっていたが、贈り主欄が空白だった。俺は訝しんだが、山崎は若干蒼褪めた顔で、巨大な包装紙を丁寧に剥がした。

 出て来たのは、ロングヘアの女が描かれた「ラ・フロレゾン」、では無く、明らかに俺が俺のヘアスタイルで、今までの作品のなかで最も挑発的、じゃねぇ、扇情的な目線でこちらを誘う恰好をして(ヌードでよ…)、高芯咲き剣弁の深紅の薔薇の中にいる絵だった。

 おまけに、スケッチブックが一冊ついていた。それは、今までに比古が描き溜めていたであろう俺のデッサン集で、表紙には比古の字でこう記されてあった。

 引っ越し記念に一冊だけ贈ってやる。残りの九十九冊はすべて、俺のものだから安心しろ。新津

 山崎の両腕がぶるぶる震えている。殺気さえ感じるのは、どうか気のせいであって欲しい。

 …畜生、あの野郎…………

 俺の安眠を返せ―――――!!!







≪あとがき≫



 「風のなかのライラ(おまけ)」はコメディですよ〜(ニコニコ)。

 蒼紫が元パリコレモデル、と言う設定をやっと使えました。サイト休止する前から構想していた設定なのです。

 うちのライラは魔性です(魔性でない男を書いたことが覆霞にあっただろうか、いや、無い)。

 うちの比古は、原作よりも超自由人、にしています。

 この作品は、覆霞が数年かけて獲得したとある資格を無事に更新できた日に、記念として書き始めました。サイト休止中に、国家資格を含めた複数の資格の新規申請を行い、これを書き始めた日に無事に更新試験に合格したのでした。合格証書が輝いているぜ! さっそく更新証明書を職場に飾るぜ!

 覆霞、実は賭けをしていまして、覆霞がこの専門家の世界から消されるか、それとも認められるかで、職場の上司とも綿密に相談を繰り返し、消されるのを覚悟で、省庁と学会に対して、真正面から真っ正直に登録&更新をしました。そしたらOK。やったね!

 そんな科学の世界に比べ、芸術に生きる人の純粋なことよ…

(酷い芸術の世界もあるらしいですが、科学よりは可愛らしいと思います)

 と言うことで、比古を書きたかったのでした。

 また書こうかなぁ。次は、山崎が出てくる前の比古×ライラ。

 JUNEで三角(以上の)関係で無いとモゾモゾするんです私が。

 これでやっと、すっきりしました。

 勝っちゃんだけだと、なんか足りなくてねー、勝っちゃん、既婚者ですから。真面目なライラは実は凄く気にしていて、そういうことを気にしないで気楽に付き合える男がいたほうが良いな、と思って白羽の矢が立ったのが比古です。芸術家の彼の、ライラは良いモデルになるだろうし、と思ってほぼ一晩で書きました。
autor 覆霞レイカ2014.03.29 Saturday[03:14]
覆霞レイカ 様  今日は 国家資格更新試験 合格 おめでとうございす 「ラ・フロレゾン」 拝読させて頂きました。コメントの様な読書感想文を書いてみました読んでみて下さい。 為兄さんの作る サロ二カ は 凄いですね 山崎君のお母さんの パーキンソン病 には効かないでしようか ? 比古師匠 の登場には驚かされました 師匠が居ると 明るくなるし 華やかになりますね 千代田区に在る 別宅に仕事で聞き込みに行った土方さんを押し倒して 「モデルになれ」と 強制します。 (此処の描写は鮮やかですねー!) 「これぞ俺の理想」とか・・・・「蹴りをくらわせようとしてあっつさり躱され、あろうことか、左の足首を軽々と掴まれてしまったのである」・・・・ 「・・・・銃口を鼻先に向けられて俺は頷くしかなかった」・・などです。強引なところがありますが 病気の冴さんにと 妙さんに薬を持ってきてくれるのですから優しいところもありますね。 比古師匠と土方さんの 関係を知った山崎君はボロボロに落ち込みますが 比古師匠と比べられて劣等感を持たない男性はまず居ないでしょう、居たとすれば坂本総理 木戸さん 土方さん 位でしょうね 。レイカ様  またもや 質問ですけど よろしいでしようか ?  その 1 四の森蒼紫は 男でしょうか ?  女で しょうか ?   緋村と結婚 したのですから女ですか ?                  その 2  一体 緋村と 蒼紫が  交際を始めたきっかけは 何だったんでしょうか ? 私にとってはこれが 一番 気になる謎 です       その 3  パリコレのモデルを勤めるほどの 美貌を誇る 四の森が よく 緋村と 結婚をしたなー?・・謎 です 教えて頂けないでしょうか ?                     もしかしたら  比古師匠は 四の森蒼紫 を 初めて 発見したとき 土方さん 同様 「これぞ 俺の理想」と 呟いたのかもしれません  それで モデルに なってくれと 頼みに行ったのを 緋村が 「駄目でござるよ ! 師匠の モデル なんかやったら その日の内に 食われてしまうでござる !  」 など という 会話が有ったのでは と 一人 想像してみたりしました 。土方さんをモデルにした 比古師匠の 作品は想像 するしかありませんが 私としては アルフォンス・ミシャの 描く女性像を 想像しました 。比古師匠のせりふの中で一番面白かったのは 「・・・・由美もだけどよ、お前、趣味悪すぎ。人見る目がなってねえ。どうだ?もいっぺん俺と」 もう 言いたいほうだい(笑い)  しかし 目の前で 土方さんを口説かれた 山崎君 の気持ちは如何ばかりか?!!  ああ 可哀想 !! と  思いました        では 失礼します 質問の 答えお願いします   未完成 の コメントが たくさん行って 失礼しましたどうぞ 消去 なさってください
 桂 恵2014/06/01 04:05 PM
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