Diary & Novels for over 18 y.o. presented by Reica OOGASUMI.
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      最終更新21th Sep.2021→「Balsamic Moon」全面改装
BGM: THE POWER OF LOVE(1984) /JENNIFER RUSH
   Destiny (1985) /JENNIFER RUSH
   Backstreet Boys's Greatest Hits /Backstreet Boys
       http://youtu.be/j3vhCbZ6B5g




 目が覚めると、やたらと体が怠く、寝返りも打ちたくなくて、布団のなかでだらだら過ごそうとしたところで、隣にあった筈の体温が消えていることに気が付いた。

「……」

 午前六時。

 昨夜漸く、ダンボールの山がすべて片付き、引っ越し処理が終わった。と言っても、俺の荷物よりも山崎の荷物の方が遥かに多く、職業柄、引っ越し業者に梱包を解かせたり整理をさせたりするのも気が引けた為、引っ越し当日から二週間かけて、山崎と俺の二人であの大荷物を捌いたのだ。

 園芸と語学が趣味とのことだが、半分以上が仕事なんじゃねぇかと思えるほどの量の大きさに、捜査現場で大量のゴミやら死体やらを見慣れている(と自負のある)俺も、さすがに閉口した。

 某国営放送が出版している「趣味○園芸」などの一般書店で購入できる書籍から、英語やフランス語で書かれた専門書だけで、百冊。育てて居ない筈のハーブや高山植物の写真集が数十冊。何故か盆栽の本まで十冊あり、ほとんどがカラー写真を大量に含んだ、つまり大型の重い本だった。

 これに語学辞典や語学の学習書が四百冊程度。

 ちょっと有り過ぎじゃねぇか、どこに隠してたんだ、こんなに、と質問したら、実家と親戚の家に置いてあったものを、今度こそ引き取ったんです、と微笑んだ。と言うことは、いま列記したものは他所に預けてあったものであり、山崎がここに越す前に住んでいたマンションにあった二百冊と合わせると、千冊近くになるんじゃねぇかと思われる程の大量の書籍が、山崎の荷物の大半を占めていた。

 加えて、パキラやホンコンカポックと言った観葉植物。花々の鉢植え。スコップ、バケツ、肥料や皿などの、園芸用品。これまでに書き留めて来た語学と園芸ノート。

 古めの洋楽だらけのCD。PoliceのCDは引っ越し中に俺に確保され、アクセラに収まった。ジェニファー・ラッシュの初版を発見した時は感動した。THE POWER OF LOVEはセリーヌ・ディオンが有名だが、ラッシュが歌うオリジナルの方が、透明感があって俺は好きだった。あれもいずれ確保するつもりだが、大量のCDは今は絶版になっているものもあり、処分するのを躊躇う気持ちは俺でも理解できた。

 剣道具と衣類、それに車の雑誌程度しかない俺とは異なり、あまりの山崎の荷物の多さに辟易した俺だったが、親戚が経営すると言う不動産屋の口ききで、信頼のおける引っ越し業者を通常の三倍の人数を手配して、この新築分譲マンションに手早くダンボールの山を搬入させたのだ。その半分以上が山崎の書籍とCDだった。それらを漸く、リビングと書斎と山崎の部屋と寝室の、造り付けの収納庫に突っ込み終えたのが、昨夜だった。

 CDの最後の一枚を棚に入れたとき、引っ越し作業が完了した、と言う些細な事なのに、凄まじい達成感に襲われて、俺たちは寝室の中央にあるこのベッドにごろりと仰向けになった。二人で見上げた天井には、スイッチ一つで開閉が出来る大きな天窓がついていて、そこに、黒い空を背負った三日月が見えた。輝くそれをぼんやり見ていたら、そのまま襲われ、今朝に至る。

 連続で何日抱けば気が済むんだ、あいつ。





   テロ、発生。





 ぶつぶつ言いながら俺は、一人で被るには大きすぎる羽毛布団を頭から被った。普段はまだ寝ている時間の空気が、まだ冷たく感じるのだ。

 静かだ。

 ……買い物にでも、行ったのだろうか。

 道路を挟んで向かいにある二十四時間営業スーパーは、同時間対応のクリーニング店が併設されていて、品揃えも客層も落ち着いていた。マンションの東隣にはスーパーの買い物客用も含めた大型駐車場があって、南側は二階建ての小さなビルと小さな神社がある程度であり日あたりは良好、街中にある割に騒がしくなく過ごしやすい。神社の敷地には樹木が割と生えていて、夏は蝉が良く止まるが、街なかの喧騒を遮ってくれる神社は昔から大切にされており、地元の住人によって交替で清掃が為されていた。

 マンションの正面入り口から入って右側には宅配ロッカーがあり、そこが満杯の時には管理人に預かって貰うことも出来る。宅配ロッカーの向かいがコンシェルジュ(管理人室)、ここに管理人が常駐していて、101号室は管理人一家が暮らしている。

 コンシェルジュでは荷物の発送や受取、タクシーの手配、旅行代理店への依頼も出来るそうだ。俺たち警察官にはまず不要なサービスだが、家族向けに作られたマンションの他の住人は、喜んで使っていた。この時期は、クリスマスケーキや正月料理の手配でコンシェルジュの前が賑やかだった。クリスマスプレゼント向けのカタログまで取り寄せてくれるらしい。

 サービス過剰なコンセプトだが、ヤマザキゴルフの御曹司である山崎が住むとなれば、致し方ない。そう納得した俺は、二人で住むにしては広すぎるこの部屋の購入を決めたのだ。ワンフロアに四つの住宅があるが、最上階である四階だけは、広いウッドテラスに囲まれた一軒だけであり、テラスで園芸し放題だった。四階部分は建物の西側が上に向かって斜めに切り込まれており、そこが寝室と書斎になっている。

 だからこうして目覚めると、斜め上の天窓から差し込む朝日が足の向こうに当たって、ダークブラウンのフローリングに反射した光が眩しく室内を照らす。この眩しさが俺の目に当たらないように、東の壁際にベッドのヘッドボードを置いたのは山崎だった。とにかく夜はちゃんと寝て下さい、と言われた際には、俺を寝かせないのはどこのどいつだ、と言い返しそうになったが、確かに山崎と過ごすようになってから、睡眠の質が学生の頃のように深くなったと思う。それで山崎が布団を抜け出しても気が付かずに今まで、起きなかったのだ。

「………」

 重怠い体を捻って、何とか寝返りをうとうとした。瞬間、ずしり、と腰に痛みが走り、寝返りをうつのをやめて、仰向けの姿勢に戻った。

 こういう痛みには、慣れている。嫌と言うほどに。慣れた筈なのに慣れないのは、相手が違うからだ。

 三回あった当直を除けば二週間のうち十一日連続で抱かれたのは、この方生まれて初めてである。勝っちゃんでさえ無かったのだが、なんかあいつ元気。すげぇ元気。大人しそうな顔して、反則だろ、あれ…

 あちこちに残る痛みが、体に刻み込まれた男を思い起こさせる。空手の上地流で鍛えたと言う筋肉は、分かり切った勝っちゃんの躯とまるで違って、一緒に暮らし始めて二週間が経った今も俺は戸惑っていた。

 あれから、勝っちゃんが俺に声を掛けてくることは無かった。視線は感じるが、俺は振り返っていない。いま振り返れば、振り切る自信は無かった。十年以上の年月は予想以上に響いており、ここ連日山崎に抱かれている間に、あいつの名前を呼びやしねぇかと、実はヒヤヒヤしている。そういうところは醒めている俺の真実を知ったら、山崎はどう出てくるだろう。

 仰向けになったまま、天井に向かって小さく溜息をつく。右手をヘッドボードの棚に伸ばして、Zippoと箱を取りセブンスターを咥えながら、左手で灰皿を取ろうとして、数時間前まで吸殻が溜まっていた灰皿が、別のものになっていることに気が付いた。

 昨日まではクリスタルガラスの灰皿だったのだが、今は真鍮製になっている。昨夜(正確には今日未明)は何本吸ったか、覚えてねぇが、結構吸ったと思う。ここに来てから、これでも本数は減らして、いまは一日六、七本になっていた。

 山崎は、煙草の灰が良い肥料になるから、と言う理由で煙草を吸い始めたそうだ。灰を作るのは任せろ、と言った俺を、喜んだような困ったような顔で見た。どうやら俺を禁煙させたいらしい。昔に比べて痩せたから、と何度も繰り返していた。そもそも俺も、被疑者の取り調べに付き合う時の為に喫煙を始めたのであって、好きで吸い始めた訳では無い。しかし、ここ数年で筋肉が落ちた為、禁煙したほうが良いだろうと思っては居た。このまま行けば、割と早く禁煙出来るかも知れない。購入したばかりのマンションをヤニだらけにするのは、さすがに引ける。

 勝っちゃんに付き合って吸い始めたPeaceも、缶ごと捨てた。折角の新居に、もう二人で会うことはない男の匂いをつけるのは嫌だった。第一、このマンションの名義人である山崎に申し訳なかった。勝っちゃんを尊敬しているらしい山崎は、俺と勝っちゃんの事を知らない。署長は土日は出勤しないものだが、たまたま居た勝っちゃんとすれ違った山崎が普段通りに挨拶する声が、俺にも聞こえた。

 引っ越しが漸く落ち着いて、昨日はおよそ二週ぶりに二人で土曜の十五時過ぎまで署に勤めていたのだ。例年のことだが、始末書を始めとする書類の作成は、年末に向けて増加する。以前は日没まで署で紙に埋もれているのが毎週の土曜だったが、俺が強行犯係長になってから、と言うか、竜馬命令のシークレットサービスとの二束の草鞋を履くようになってから、平日と当直中に書類を仕上げるしか時間が無くなった。他の刑事に土日があっても、俺には無い週があり、それがいつになるか予想が付かない。

 まして刑事課は他の課よりも業務が多い割に配属人数は大して変わらず、一人一人の業務量を上手く割り振らなければ、課全体が滞る可能性があった。永倉はともかく、総司や原田は強行の才能はあるが書類作成は遅く、刑事課第二(室)にいる二十代の連中と大差無い処理能力であり、内勤では頼りにならない。そう踏んだ俺は、せめて日当直でない土曜日を強行犯係の書類作成日(補)に割り振って、日曜日を完全に休ませることにしたのだ。そうでもしなければ、奴らが持たないから。

 竜馬曰く、俺は典型的なワーカホリックで、竜馬も同じとのことである。だから意識して仕事を忘れる時間を作らなければ、この病はもっと重くなる、だそうだ。傍目から見れば、竜馬は常にヘラヘラ笑い、いつでもどこでもニヤけて(世間はこれを「楽しそう」「朗らか」と表現して)いるが、そう見える顔の一方で、俺のアクセラに乗っている時にはサングラスの下で高らかにいびきを掻いて寝る日もあった。寝不足なのではなく、頭を空っぽにするために寝る、と主張する総理大臣様の仕事に土日は無く、官邸に来客の無い日でも二十四時間体制で業務をしている。

 政治家ちゅうのはそういうもんじゃき、とヘラヘラ笑うが、大学でともに剣道をしていた頃に比べると、格段に自由が激減しただろう。あいつは自由の申し子のような存在で、だからこそ閉塞しがちな政界のまん真ん中に躍り出たのだが、自由の申し子である竜馬が、なぜ自由の無い総理大臣を続けているのか、俺には理解できない。

 竜馬を見れば、刑事の自分はまだ恵まれているとさえ感じる。警察と言う縦割り組織の下っ端にいるが、勝っちゃんにずっと守られてきたからだ。日野署の署長になった彼は、幼馴染と言うこともあり、俺が昇任試験に合格して警部補になった直後に俺を強行犯係長に任命した。以来、俺は自由にやってきた。が、いつまでそれが続くかが不透明になった。俺が勝っちゃんと別れ、勝っちゃんには試衛館道場を継ぐと言う大前提があるからだ。

 昇任試験次第だが、勝っちゃんが署を辞めたら、(井上)源さんか山南が署長につくことになるだろう。山南だけは避けたいが、山崎にとってはその方がやりやすいか。山南が警部か警視になれば、山崎が国際係長に上がれるわけで、俺と山崎が実質刑事課を仕切れることになる。(山南が刑事課長になるのはかなり面倒くさそうだから、ここを源さんに任せたい)

 が、それはまだ暫く先のことになるだろう。勝っちゃんが署長になって以来、日野署の評判は上がった。日野市からも、ぜひこのまま続けて欲しい、と言われたとか言っていたから、道場に異変でも起こらない限り、あと数年はいまの体制が続くと思う。

 と言うことは、だ。

 これから俺は、あの勝っちゃんのいる場所で、山崎を守って行かなければならない。山崎の上司である山南は勝っちゃんとの信頼関係が十分にあると同時に、俺との仲は険悪とまでは行かないが、互いにウマが合わず、何かと対立してきた。信任厚い山崎がその俺と同棲していると知ったら、山南は卒倒するかも知れない。おまけに、同棲を言い出したのは山崎のほうだと知れば、ショックで欠勤するかも知れねぇ。…それ、いいな、あいつ居ないと山崎を使いやすいし、やっぱその作戦で行くか、などと一人ごちた時だった。

 カチャリ、と遠慮がちにドアが開く音がした。

 寝たまま、首を右に回転させると、「朝から沢山は吸わないで下さい」と眉を顰めた山崎がこちらへ近づいてきて、ヘッドボードに置いてあったセブンスターの箱を奪った。

「俺のニコチン」

「昨夜沢山吸ったから、ニコチンは供給された筈です」

「半減期は三十分だから、すぐ足りなくなるンだよ」

「松本先生にニコレット処方して貰いましょうよ」

「俺、小顎症で顎の関節が弱いからガムは合わねぇ」

「では、ニコチンパッチ」

「肌荒れるから嫌だ」

「………」

 ふぅ…と小さな溜息をついた山崎は、何とかしないと、と呟いた後で、おはようございます、と言いながらこちらに上半身を倒して俺の煙草を取り上げ、キスをした。

 唇から、レモングラスの香りがする。

 サロニカで為兄たちが作っているハーブティを気に入った山崎は、リビングの壁の一部を、ハーブを入れたガラスボトルだらけにした。ざっと数えただけで、三十種類はあるだろうガラスボトルを造り付けの棚に入れて、空いていたボトルには自分でブレンドしたハーブを入れた。

 流しっぱなしにしているU-SENを聞きながら、楽しそうにガラスボトルを詰め込んだ山崎は、ダークブラウンの木材で出来たリビングを植物でいっぱいにしたい、と言った。植物にある蒸散効果が、弱い俺の肌を乾燥した空気から守ってくれるから、と。転居前から育てている植物の他に、寒さに強いユッカと大型のポトス(オウゴンカズラ)の鉢、それにオリーブの鉢まで購入し、オリーブの実を実らせると言って今から張り切っていた。

 そんな山崎を眺めながら、リビングの隣で開け放した和室の畳の上で胡坐をかいた俺は、山崎が捨てずに持ち込んだレコードとレコードプレーヤーをいじって、好きにして良いですよと言われたからと言う理由で、和室の壁にこれもまた造り付けた棚に、既に絶版になっているレッドツェッペリンを並べて喜んでいた。兄貴が二人ともレッドツェッペリンのファンだと言う大阪の山崎家は、レコードが数百枚とCDが数えきれない程あって、いつも誰かの部屋で必ず音楽が流れていると言う。このマンションに、家庭用のU-SENをつけたい、と言ったのは山崎だった。

 土方さんのリクエストはありませんか、と訊かれて、サロニカのバスハーブとバブルバスを使えるバスタブ、と言ったら、ジャグジーを付けやがった。サロニカにあるバスタブを見たのだろう、病気のある体を全方向でハーブだらけにする為に、あそこのバスタブは非常に細かい気泡が出る仕様になっているのだ。サロニカの精油を浴びて育った俺は、あのバスタブでバブルバスに浸かっては毎回かなり強い眠気を感じ、本気で眠りそうになっていた。

 どこで注文したのか知らねぇが、山崎はサロニカのバスタブとほぼ同じバスタブをこのマンションに導入した。御蔭で越してきて以来、俺は体調が良い。毎晩、山崎につきあえる程に。僅か二週間で回復した体で吸うセブンスターが旨くて、だから、せっかく点けた火を消したくは無かったのだが、山崎の指が、無慈悲にも俺のニコチンを潰してしまった。

 ベッドに寝たまま、恨めしそうにニコチン強奪犯を見上げる俺に微笑みながら、山崎は腕を伸ばして寝室の入口とは逆方向にあるカーテンを指差した。

「窓の外を、見てみて下さい」

 ん?と思いながら立ち上がって(腰が痛ぇ)、山崎が差し出したワインレッドのガウンを羽織って室内の南側にある窓に寄り、綺麗なプリーツを作ったカーテンを開けると、

「お」

 ウッドテラスが、ふんわりと雪に覆われていた。どうりで、今朝が明るい筈だ。こうして窓の傍に立つと、冷気が窓からこちらに浸透してきて、少し、寒い。

 若干震えた俺を、ガウンごと山崎が抱きしめて来た。アラン模様のセーター。

「……なんだ、お前、冷えてるじゃねぇか」

「下で、他の住人の方々と一緒に、雪かきをしてきたんですよ。管理人さんの家族も急遽追加で二名駆けつけて、いま結構な騒ぎになっています」

「署からの連絡は?」

「…実はテロがありまして」

「何ぃ?!」

「違いますよ、恐ろしいテロではなくて、」

「恐ろしくねぇテロがどこにある!」

「あるんですよ、それが」

 言って山崎は、左腕で俺を抱きしめたまま、いったん解いた右腕で後ろの辺りを探って、はい、と俺の胸の前に携帯電話を差し出した。再び抱きしめられる俺。

 携帯電話の画面には、真っ白な世界に、小枝やみかんで顔を作られた雪だるまが、玄関脇や駐車場の端に立っている写真が数枚あった。

「人の邪魔にならないところに突然雪だるまが出来て、こう言うの、『雪だるまテロ』と言うそうです。早速、鎌足さんが署の駐車場の雪かきをして、ほら、」

 山崎が見せた携帯メールの添付写真には、ピースサインをした鎌足の隣に、鎌足と同じ背の高さをした雪だるまが立っている。

『一名確保しました。融ければ無罪放免で釈放。山崎巡査部長の戦果報告をお待ちしています』

 とメール本文に書かれてある。俺が、お前の戦果はどうだった?と尋ねたら、二名を確保しました、と笑った。三階に住む双子の小学生と作ったと言う。これが記念撮影です、と雪だるまを挟んで小学生と撮った写真を見せた。

「それで、雪かきに参加した礼とのことで、コンシェルジュからこれが配られたんです」

 言って山崎は、この部屋に入って来た時に持って来て、今は足元のフローリングに置いてある紙袋から、林檎を取り出した。

 紅玉とジョナゴールドである。

 無農薬だと聞いて、即行で雪かき参加を申し込みました、とお前は笑って言うのだ。

「署長は夜明け前から出勤されて、近隣の雪かきをされたそうです」

 御立派ですよねぇ、と感心する山崎に、俺は、そうだな、と言って、再び近づいて来た山崎の唇を感じ、目を閉じた。





 すべてを伝えれば、お前の理想は崩壊するだろう

 ずっと迷っている俺の答えはまだ出ていない

 お前になら幾ら笑われても良いのだが

 お前の理想を潰したくは無い俺には、まだ勇気が無いのだ

 抱きしめる腕に埋もれながら、もう少し、迷っていようと思った





 久々に、一面の雪を見たくなった俺は、山崎から借りたアディダスのウィンターコートを着て、寝室の窓を開けて、ウッドテラスに出た。日野市で生まれ育った俺でも初めて見る大雪だ。ここまで視界が白くなると、気温とか寒さとかが、どうでも良くなる。

 ふと、予感がしてウッドテラスの端にあるフェンスから身を乗り出すと、すぐ下の駐車場で総司が雪だるまテロを決行していた。俺のアクセラは雪に埋もれてボンネットが白くなっている。視線を感じたらしい総司が顔を上げて、こちらに大きく手を振ってくる。

 俺は「確保してくる」と山崎に行って、隣の自室へ入って着替えた。

 エレベーターで一階に降りると、マンション玄関に繋がるスロープと階段の両脇に、高さ一メートルくらいの雪だるまが二体あった。これが、山崎が子供たちと作ったと言う雪だるまだろう。スロープの右側が花壇になっている筈だが、そこに雪が積もり、高さ三十センチくらいの雪だるまがちびちびと並んでいる。

 マンションとスーパーの間にある道路の歩道には、俺くらいの高さの雪だるまがあった。誰だよ、こんなにデカいのを作ったのは。

 呆れながら駐車場に向かうと、雪だるまになる予定の雪の塊を転がしながら、「おはようございます。土方さんも、テロですか?」と言って来た。

「取り締まるほうに決まってンだろ」

「え? 誰を取り締まるんですか?」

「勿論、沖田総司巡査部長。警官の癖に、テロの実行犯してやがるからな」

「ひっど! 僕はこうやって、日野市の大人に、子供の心を教えていると言うのに!」

「いつまでもガキのてめぇと一緒にするンじゃねぇよ、大人が可哀想だろ。大人の警官は、まず雪かきするもんだろうがよ。スコップどこだ、スコップ」

「この駐車場は昼まで閉鎖ですって、ちゃんと守衛さんに確認しました。あとで除雪車が来るそうですから、それまでは雪だるまテロしまくって良いそうです。雪だるまテロで、雪かきのお手伝い。ほら! 僕はこうやって日野市に貢献してますよ」

「……テロするために、守衛にわざわざ確認するンじゃねぇよ……」

 普段はどこか抜けているのに、こういう時だけは用意周到である。総司は、いい年をして姉の光(みつ)さん夫婦が暮らす一軒宿の近くにある独身寮で暮らしているが、週末は光さん夫婦の家で過ごすことが多かった。いつまでもガキなのはその為もあったが、俺と同じく総司も早くに両親を失くしており、たった一人の肉親である光さんが、総司を離したがらなかった。刑事の、まして強行犯係員であるぶん、いつ殉死するか分からない。そう言うことで、いつまでも独立しようとしない総司を、俺を含めた日野署の連中は誰もせかしたりしていない。

 勝っちゃんは、そんな総司を心配しつつも猫かわいがりし、天然理心流の継承者を総司にと決めて以来、光さんを除いて考えると、実質的な総司の保護者的な立場を取っていた。だから俺が強行犯係長になった時から、総司を俺に預けて強行犯係につかせたままでいる。美少女顔の総司は、俺と同じく、見た目では強行犯係には全く向かないが、性格も言動も知り尽くしている勝っちゃんと俺が、総司の後見をするべきだと言って聞かなかった。

 俺が勝っちゃんと別れて単なる親友の位置に戻ってからは、総司だけが、俺と勝っちゃんを繋ぐ存在なのかもしれない。

 総司は、俺と勝っちゃんの間を知らない。が、十代で天然理心流の免許皆伝を獲った総司は、可愛い外見とは裏腹に実は勘が鋭い。だから、いつ、俺たちの関係が壊れても、不思議ではないのだ。

 だからいまのうちに、しっかりと総司と関わっていたかった。

 そう思いながら俺は、総司の雪だるまテロに付き合った。年が一回り近く違う俺と総司は、総司が幼稚園の頃から、雪が降る度にこんなことをしていた。数年に一度だけであったが、日野市でも雪だるまを作ったり、ミニスキーを履けたりするくらいの降雪があって、その時も総司は大喜びで、光さんに怒られるまでずっと雪のなかにいた。

 昔から、俺たちはずっと三人だった。勝っちゃんがいて、総司がいて、俺がいた。俺が山崎を選んだと言うことは、すなわち、三人の関係がこれから変わって行くと言う意味なのだ。

 俺たちは、きっとバラバラになるだろう。総司は嫁さんを貰って、勝っちゃんは署を辞め、俺は山崎と生きる。永遠だと信じていた関係の未来が見えて、動きが止まった俺の顔を、総司が心配そうな表情で覗き込んで来た。

「何でもねぇよ」

 俺はきちんと笑えているだろうか。そう思った時だった。

 上の方から、土方さーん、と声がしたので首をひねりあげると、マンション四階のフェンスから濃紺とグレーのストライプ模様のエプロンを身に着けた山崎が、フライ返しを掴んだ右腕を軽く振っていた。ともに見上げた総司が隣で言ってくる。

「あなた〜、御飯よ〜、ですって」

 山崎にエプロンは結構似合う。ああ、腹減った。あいつの飯、旨いんだよ。ハーブティとグリーンサラダと、すりおろし紅玉入りパンケーキが俺を待っていると思うと、気持ちがなんだか浮かれて来た。

 それでつい、言ってしまったのだ。

「俺は旦那じゃねぇよ」

 それを聞いた総司の動きがぴたりと止まった。

「――――――――え」

 いつも通り犬コロのようにひっついて来る時の表情から、化け物を見るかのような容貌(かお)に変化していく。

「…え………まさか……それって……」

 …?

 何か、変な事を言ったか?

 俺は、俺は旦那じゃない、と言っただけだが。

 総司は、雪だるまに埋める筈のペットボトルの蓋を雪道に落としながら呟いた。

「……土方さんが、まさかの嫁役……?」

 ――――――――あ

 やべ。

 頭の中に、ブリザードが発生した。

 漸く、俺は何故総司が顔を真っ赤にしたり真っ青にしたりする理由が分かってきた。時は既に遅し、だったが。

 総司は棒立ちの姿勢から、後方にじりじりと後ずさり始める。

「まて総司、そういう意味じゃ(正確には確かにそう言う意味だが、俺に対する文句は一切許さん)、」

「緊急連絡! 大ニュースだ!!」

「総司っ」

「大変だぁぁぁ〜!」

 総司が喚きながら、雪道を駆け出す。追いかけようとして、俺は腰の鈍痛が辛く、第一歩から先を続けるのが苦痛だった。大腿の内側が泣いている。昨夜散々つけられた、キスマーク。

 ……ちくしょう…

 自由の利かない俺は、足元にある降り積もった雪を速攻で丸めて、総司の真っ赤なマフラーめがけて投げつけた。俺の得意はスライダーなんだ、よっ。

「(い)った!」

「(痛ぇのは俺の体のほうだ、馬鹿野郎っ)待ちやがれ、ってんだろ!」

「待ちませんよー」

 新婚さんいらっしゃぁ〜い、と総司は笑いながら駆けて行った。昔のように。案の定、俺から二十メートルも離れていない場所で「うわぁっ」と派手に転ぶ。チャンス到来、俺はきしむ体に鞭打って総司に走り寄り、雪を掛け、雪玉を投げまくった。起き上がった総司も、負けじと応戦する。

 透(とう)く空気が澄んでいる日曜の朝。

 薄い色の空の下、新雪の積もった駐車場の上を、大の男ふたり(しかも刑事)が雪合戦。総司が投げれば俺が避けて、俺が投げれば総司はクロスした腕でブロック。いくつかの轍が走る以外には、真っ白で柔らかい世界に、幾つもの雪玉とその残骸と、俺たちの声がこだましていった。

 そうして三分もしないうちやってきた山崎に、俺はコートごと引っ張られ、総司はと言えば、ちょうど迎えに来た光さんにしょっぴかれて行った。

 部屋に戻った俺が、怒涛のごとく、濡れた服を脱がされ、バスルームに突っ込まれ、それから色々と、実に色々と突っ込まれたのは、言うまでも無い。
autor 覆霞レイカ2014.03.29 Saturday[03:12]
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