Diary & Novels for over 18 y.o. presented by Reica OOGASUMI.
Sorry,this blog is Japanese only.
最終更新21th Sep.2021→「Balsamic Moon」全面改装 日に日に別人のようになって行く母に自分が出来たのは、いつも母が手入れしていた花をきちんと咲かせる事と、毎日ゆっくり声をかけて、母が見たいものを見せ、やりたいことを介助することだった。担当医からは告げられなかったが、重度だと寝たきりになることもある疾患と知り、子供心に怯えたのを覚えている。
俺の長兄は、生まれつき顔面の右半分に大きな血管腫があった。目の周り全体が赤いあざに囲まれていたため、なかなかレーザー治療が出来ず、今も目の周りには痕跡がある。尤も兄は血管腫の残骸をアイパッチに見立てて自らを「海賊」と言って喜んでいたが。賢い彼は、見た目の障害をものともせず成績優秀で、父の経営するゴルフ場を継ぐ気に満ちていた。父は大阪でゴルフ場とゴルフクラブ、ゴルフスクールを運営している。 次兄はスポーツ万能で、府の大会で上位常連だった。しかしプロになる気はまるで無い様で、長兄とともに会社を継ぐ、と言い張っていた。血管腫の残る長兄の身を、次兄なりに案じたのだと思う。 対して俺には、これと言った取り柄は無かった。良く言えば、生真面目で大人しい、悪く言えば、おもろない男。いつも自分の前にゆく兄ふたりを羨ましいとは思ったが、自分に無いものを得ようとしても虚しくなるだけだと分かり切っていた俺は、自分に出来ることを確実にこなし、出来ないことを出来るようにするのが精いっぱいだった。 そんな折に、母が発症した。 まず俺は、天気の良い日は高校から帰宅したその足で、母を車椅子に乗せて散歩に連れ出すことにした。母は一人で上手に歩く事が出来ず、片足を前に出そうとすると、もう片方の足がすぐに後をついてきてしまうようになっていた。一人での外出は危険と判断し、外出の時は車椅子を使うことにしたのである。もともと通っていた家政婦も一緒に来て、母の買い物に付き合った。ただの高校生にも、車椅子を安全に押す事は出来た。 次に俺がした事は、母が好きな花の手入れを手伝う事だった。菊、椿、牡丹、(花)蘇芳、薔薇…。それまで庭の草むしりさえしたことが無かった俺にとってはすべてが大困難で、母が大事にして来た花を枯らしてしまうのではないかと、心配でしょうがなかった。が、やるしか無い。家族で園芸が出来るのは、母だけだったのだ。俺は高校の園芸部顧問に頼んで、花の剪定や殺虫の仕方などを繰り返し習いに行った。病床の母の代わりに花の世話をしたい、と言ったところ、顧問は初心者向けのガイドブックや花の種を分けてくれた。分からなかったら鉢植えごと、持ってくるようにとも言われた。 俺なりに努力して、花を保てるようになってきた。 が、薔薇の棘取りだけは苦手だった。棘に刺されながら棘取りに励む俺を、かつてとはずいぶん変わった、表情を上手く作れない頬で、母はじっと見ていた。 口数が減った。笑顔が減った。体が動かなくなった。だが、この人は俺にとって、在りし日の母のままだった。医師から殆ど見放された母のなかに、俺は、母の真の姿をみつけなければならなかった。それが自分の使命だと思った。 「おかん、そろそろ土手のマーガレットが咲くで。晴れたら見に行こか」 カーテンの隙間から差し込む夕陽を浴びて、俺には母の無動の頬に、微笑みをみた気がした。 土方さんを知ったのは、母のリハビリテーションが進んだ、高校三年生のゴールデンウィークだった。俺は大学を自宅から通える距離にするつもりだったが、従兄弟の山崎陽介が、「大学くらい東京で過ごせば良いのに」としつこかったため、陽介に連れられて彼の通う大学を見学に行ったのだった。 真っ先に連れて行かれたのは、新しく出来たばかりらしい、剣道場だった。インターカレッジで優勝した為、古くて小さかった道場が新築されたのだった。 そこに、胴着を着た彼が居た。 「あれが、ここの部を優勝させた先輩だぜ」 陽介が言うには、OBの土方先輩と坂本先輩が、弱小だった剣道部を強豪にしたのだそうだ。二人は、昨年まで副主将と主将だった。 「美人な方が、鬼の土方先輩」 「………綺麗やなぁ」 全然、鬼には見えなかったのだが、陽介は「鬼」を繰り返した。 「すっげー鬼だぜ、あの人。超絶スパルタで、俺の友達が何度も逃げたくなってる」 「インカレで優勝したんやろ?ごっついなー」 「いまは警察官なんだってさ」 「似合うなぁ」 「丞ぅ、関心してんじゃねぇよ。美しい薔薇には毒があるって言うだろ」 「…………誰が毒だって?」 突然、俺たちの背後に現れた彼が、竹刀で彼の肩をバンバン叩きながら言い放った。意外にも、高めのトーン。 「てめぇにも稽古つけてやろうか、山崎陽平!」 「うわぁぁぁ!ご勘弁を〜!!」 平服低頭する陽平を睨みつけて、「最近のガキどもはなってねぇ」などと罵っていたが、俺には彼の、後輩に対する情愛のようなものが感じられたのだ。単なるスパルタの為に、休日にむさくるしい大学生で溢れる道場に、わざわざ、来るものだろうか。それに指導がいちいち、的を得ているように見えた。全然手を抜いていないが、心が籠っている。籠りすぎて、誤解されるが。 このひとは 鬼やない そう思った。 大阪に戻った俺の頭からは、彼のことが離れなかった。彼のこれからを、見たくなった。東京の警察官と言うことは、警視庁になるのか。俺が大阪府警に就職すれば、会う日もあるのだろうか。だがもし俺が、東京で暮らしていれば、 もっともっと身近に もっともっと間近に 「……………」 そうして高校最後の夏が始まる頃、俺は両親に、東京の大学に行きたい、と申し出た。法学部に入って、それから警察官になろうと思っている、と。 意外にも、両親は賛成してくれた。 「丞には、好きなことをさせてやりたい」 母の意見に、二人の兄も、あっさり頷いたと言う。 「おかんの事は俺らが看るさかい、東京に行きぃ」 言われて初めて気づいた。父も兄たちも、ずっと俺のことを見ていたのだ。俺の行動を黙って見て、静かに微笑んでいてくれていたのだ。病に侵されて病前の姿を失くしていった母のなかに、俺が真実の母の姿を見出していたように、彼らは普段これと言って自己主張をしない俺の中に、見出していたのだった。 真実の俺というものを 「上手いな、お前」 風呂上がりの土方さんが、濡れた髪のままで言う。全身びしょ濡れになって玄関に現れた彼を俺は、無理やりバスルームに押し込んだのだ。先に帰宅していた俺が入るために、湯を溜めていたのだが、彼を先に入らせた。 その間、俺はリビングの端のほうで、鉢植えの薔薇から棘を取っていた。母の花の手入れを手伝うのが当初の目的だったのが、今は趣味になってしまった。このマンションを買ったのは、署に近く、向かいにクリーニング店が併設された二十四時間営業のスーパーがあるなど便利で、そして広いからである。広いところでなければ、植物を育てる気にならない。狭い空間で彼らに呼吸をさせるのは、嫌だった。 「やってみますか?」 「そう言うの、得手じゃねぇ」 「あなたにも苦手なことがあるんですねぇ」 「悪(わり)ぃかよ」 生乾きの髪の毛を面倒くさそうに掻き上げて、気に入っているらしい、ソファに深く凭れかけた。ハイバックのそれは、ヘッド部分もリクライニングも出来て重宝、と言う理由で、彼が転居前の部屋からこのマンションに持ってきた。 一人暮らしをしていたマンションの部屋を、彼は割と綺麗にしていた。無駄なものの無い、こざっぱりした部屋が、彼らしいと思った。部屋を汚くしていると、合鍵を持っている姉にひっぱたかれる、のだそうだ。 蘭さんは彼より四つ年上で、隣の国立市に嫁いでいる。この薔薇は、彼女に贈ろうと思って育ててきた。週に一度、マンションの管理人に預ける形で、野菜や果物を届けてくれている御礼に。彼女が好きだと言うノヴァーリスは薄紫色で、最強の青薔薇と言われている。 冷たくて柔らかい葉だが、葉の先は細かいトゲトゲが無数についていた。 彼は子供の頃、「バラガキ」と呼ばれていたらしい。 『バラガキって、薔薇のように美しい子供だったから、バラガキと呼ばれていたのでは無いですか?』 と言い、全土方家から大爆笑されたことがある。 土方さんと一緒に暮らすことを決めて、マンションの下見に行った後の、最初の休日。警察官には基本、土曜日も日曜日も無いが、刑事課は土日が休日が普通だ。交代制で当番はあるが、日野署では半日交代制で、土日は基本的に休みである。土方さんが命令さえ出さなければ、と言う条件つきだが。 蘭さんを初めとする兄姉に非常に大事にされている土方さんと同居することを、俺はきちんと土方家に伝えたかった。こそこそ隠れて同棲するよりも、正々堂々と一緒に暮らしたい。そう言った俺に驚きながらも、彼は了解してくれた。 日曜日に連れて行かれた土方家は、立派な門と大きな屋敷を構えていた。地元では有名な豪農であることは知っていたが、彼には兄が三人に姉が三人も居て、姉さんたちは嫁いでいるとは言え、大所帯だったのだ。三人兄弟で育った俺にとっては、こんなに大きな家族と言うものは、正直珍しかった。 俺が勘違いしていたバラガキ云々に大笑いした後、涙を拭いながら、土方家の人たちが次々に言った。 『トシ、良かったな〜。こんなに楽しい人に見染められて』 『本当だなぁ。いくら美人でも(性格に)問題がある歳三をどうしようと、俺たちは何度も親戚会議を開いたもんだが、これで一件落着だ』 彼らの大笑いで、張りつめていた空気が、一気に柔らかくなった。土方さんは、噴き出した後でソファの背もたれに突っ伏すようにして、だらりとしている。 『…悪かったな、美人で』 『当たり前じゃないの!母さんが命を懸けて産んでくれたんだから。でも、あんたがあまりにもバラガキで、もうもう、私は気が気じゃなかったんですからね!』 蘭さんが、土方さんと良く似た顔でがなるように言った。彼女は土方さんの母親的存在で、彼女だけには、彼も逆らえない風だった。蘭さんは土方さんを小突いた後、奥の間の仏壇に行って、ちーん、と鐘(りん)を鳴らし合掌した。彼の父親は彼が生まれる前に、母親は生後間もなく死亡している。だから彼は、親と言うものを知らない。 兄さんと姉さんたちに囲まれて、普段は鬼で通っている土方さんが、とても人間的にみえた。 親を知らないぶん、こうやって大切にされて来たのだろう。 俺は土方家の人たちに深々と頭を下げて、同居させて下さい、と頼んだ。彼らは、うちのバラガキを宜しくお願いします、と丁寧に頭を下げて来た。 『見た目は薔薇のように美しいですが、心に棘が沢山生えているから、どうぞ抜いてやってください』 そうすると歳三も、本当に薔薇になるかもしれないし、と土方家の人々は笑顔で見送ってくれた。 翌日、以前俺に「バラガキ」の意味を教えた、生活安全課の本条鎌足巡査が土方さんと、盛大な追いかけっこを繰り広げた。思い出しながら、くすりと笑ってしまい、それを土方さんに訊かれる。 「『バラガキ』の勘違い騒動のことを、思い出して」 「………言うな、それを」 鎌足の野郎〜 ぼやいて、土方さんは腕を伸ばして、サイドテーブルに置かれたミネラルウォーターを飲んだ。途端、「てっ」と体を強張らせる。慌てて俺が近寄ると、彼の掌から鮮血が零れていた。 ペットボトルのどこかについていた薔薇の棘が、刺さったらしかった。そうか、彼はソファに座る前にペットボトルを俺が座る隣に転がして、薔薇を眺めていたから。 俺はサイドボードに行って、救急セットを持ってくる。ちゃんと消毒しましょう、と言うと、彼はしぶしぶ、ほの白い掌をこちらに差し出した。左手の小指の下四センチほどの位置に、小さい棘が、彼の肉を噛んでいた。 ゆっくりと、ピンセットで取り除く。鋭い棘が彼の肉からするりと抜けて、三角の欠片になった。 薔薇の棘は、もともとは表皮だったと言う。それが、動物の捕食から薔薇が身を守るために変化した。オーストラリアの草食動物が少ない地域では、棘のある植物が少ない。つまり、攻撃してくるものがなければ、表皮は棘にならなくて済んだのだ。園芸部の顧問から借りた本は結局、顧問が俺に譲ってくれて、暗記するほど読んだ今は、この部屋の書棚に立ててある。 無数に生える棘と格闘しながら、高校生の頃から、ずっと考えていたことがある。 園芸部の顧問に誘われて覗いた顕微鏡のなかには、棘と表皮の拡大された形が見えた。棘の表面は分厚い細胞の塊で、その細胞の細胞壁が非常に硬いのだが、もともと表皮細胞だっただけあり、細胞の基本的な構成は同じだ。硬い細胞壁を破れば細胞質があって、核とミトコンドリアと、葉緑素がある。そこから葉緑素が無くなれば、葉や茎は、緑色にはならない。棘も色素を失って、透明の体になる。棘も葉も花も茎も根も、みんなみんな透明なのだ。 生き物は海から来たという説がある。ならば、棘の起源だって海だ。 棘だと思うから 棘に見えるのだ。 棘は 棘やない 海や 流れる血液は綺麗な紅だった。 血液には赤血球が流れていて 赤血球にはヘモグロビンがあって、だから赤く見えるのであって この人の真実は 透明なのだ 鬼やない 俺は別の、消毒綿用のピンセットで瓶から綿を取り出すと、消毒液に浸して、彼の傷をそっと撫でた。彼の掌がびくっとなる。薔薇の棘は尖っていて、とても痛い。赤く染まる消毒液を、綿で丁寧に拭いてから、カットバンを貼った。そして俺は、掴んでいた彼の手首から上腕に自分の掌を滑らせて力を掛け、一気に押し倒した。 「…やま、ざきっ……」 押し倒して、バスローブから露わになった彼の肌に頬をつける。 立ちのぼる、石鹸の香り。 掌をローブと肌の間に這わせると、白い躯がダークブラウンのソファの上で震えた。 知りたい。真実のこのひとを。 鬼と言われて来た彼は決して、俺を拒絶しなかった。想いを告白した時も、こうして体を重ねる夜も、決して。 雨に降られて冷え切っていた躯は、風呂ですっかり温まり、室内に漂うノヴァーリスと石鹸の柔らかい香りに包まれ、肌理の細かい表皮が、俺を誘う。するりと背中を撫でると、先程まで花をいじっていた所為で冷え切った俺の指の温度に、彼の肌が粟立った。小さく体を震わせる土方さんに、俺が「すみません」と謝ると、顔を伏せた彼の生乾きの髪の毛が小さく左右して、再び俺を拒否はしないことを、表明した。 棘なんか ない 冷たい氷雨の降るなか、傘が無くて困っていたその辺のおばあさんに、自分が差していた傘を渡して、びしょ濡れになって帰ってくるこの人が好きだ。 このひとが好きだ 「今夜、あなたを抱く。覚悟して下さい」 漆黒の瞳が困惑と羞恥に揺れるのを確認して俺は、くつろげていた彼のローブをいったん合わせなおしてソファから自分だけ立ち上がって身を翻し、廊下の奥にあるバスルームへ向かう。廊下の時計の針が、そろそろ二十四時を超えようとしている。 日野市は明日も、雨だろう。 その雨粒でさえ海から来た。雨も彼も海から来て、透明なのだ。 あなたの 透明の海で、たゆたっていたい
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