Diary & Novels for over 18 y.o. presented by Reica OOGASUMI.
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      最終更新21th Sep.2021→「Balsamic Moon」全面改装
 通常ならETCレーンを通り抜ける筈の料金所を一般車レーンに入り、開けたパワーウィンドウから手を伸ばして、係員に警察手帳とブラックカードを提示する。普段財布のカード入れに入れてある重いカードに印字された五七桐花紋とRYOMA SAKAMOTOの二つを見れば、いかなる時でも支払い不要でゲートが開く。

 凍り付いた係員を横目で確認する間も無くアクセルを踏み込んで、愛車のアクセラハイブリッドを時速120キロまで加速した。ここでは、誰もこの車を停めることなどできやしない。

 内閣総理大臣直轄の非公開特別警察。

 アメリカならこう言うだろう

 シークレットサービス、と―――――
   Secret Service




 
 人も車もかなりまばらな公道脇に愛車を停め、助手席のドアに体を預けながらセブンスターを吸い出して三十分。足元には、虚しく灰が溜まっている。

「遅(おせ)ぇ」

 呟いたのと同時に、俺が立っている位置の真正面から、昨夜俺を呼び出した人物が街路に植えられたサツキツツジの間から、漫画かアニメのような勢いでがさりと顔を出した。両手に、カモフラージュ用の枝まで携えて。

「何やってたんだ、てめぇ」

「すまんのぉ〜」

 へらへらっと笑いながら、竜馬が相変わらずの大股でこちらに向かって来る。八十センチの距離で俺と向き合うと、下げた頭の上に両掌を合わせて、俺を拝むような格好で言うのだった。

「この通り!面会が長引いたんじゃぁ」

「今日は時間が無(ね)えっつっただろうが」

「すまん、すまん、後で倍にして返すき!」

 平に謝り続ける竜馬に溜息をついて、携帯灰皿の上で煙草を消した俺は、乗れ、と言った。俺が背中を車体から離して運転席に向かうと、空いた助手席のドアのノブに手をかけて、潜り込むようにして、俺のアクセラに乗り込む。

 乗ってすぐに、シートをリクライニングにして最大限まで倒すのが竜馬のスタイルだ。首相官邸から徒歩十分の距離にあるここは、いつ警備の人間が出てくるか分からないからだ。

 エンジンを掛け、バックミラーを左右に動かして周囲に目が無いことを確認した俺は、車窓から完全に見えない位置で助手席に寝転がった竜馬に、後部座席に置いてあった俺のコートを掛けた。これが、ワガママな総理大臣と俺が会う時のパターンだった。

 アクセラが走り出すと、竜馬はコートの下で思い切り伸びをする。

「ふぃ〜、生き返るちやー」

 官邸は窮屈でのぉ、ええ息が出来んなが。

「で? 今日は何人抜いて来たんだ、てめぇ」

「んー…ひぃふぅみぃ……三十名はおったかのう」

 相変わらずの行動に、呆れるやら驚くやらで俺は言葉を失った。こうやって毎回こいつは、わんさかいるSPを撒いて首相官邸から逃走し、俺の車に乗り込むのだ。

 俺と竜馬は大学の同期で、卒業後は腐れ縁で繋がっていた。大学では剣道部の、竜馬が主将で俺が(鬼の)副将だったが、卒後に俺が日野署で刑事課に配属された頃に、竜馬は衆議院選で高知第一区から出馬して当選、その後どんどん上りつめて、三十代で総理大臣になった。日本は長期政権が出来にくい慣習があったが、竜馬がそれを覆し、総理に就任してから一度も退陣することなく、総理を続けている。

 助手席で寝転がるこの瞬間もだ。

 竜馬が俺のコートで頭を隠しながらそっと起き上がって、アクセラのセンターディスプレイをカーナビ画面にした。慣れた手つきでピッピッ、といじり始める。

「混んでない道がえい」

「この時間だと、それを望むほうが無理だろ」

 そうかのぅ、と言いながら竜馬はディスプレイを適当にあちこちタップし始めた。土曜日の午後に空いている道は無い。朝なら兎も角、昼過ぎから出口のあちこちで混雑が始まり、事故も起こりやすくなる。その状況で、世界一「遊」「迷」な総理大臣が発見されたら、SPつまり警視庁への信頼がガタ落ちになりかねない。警察官である俺は、それを絶対に避けなければならなかった。

 俺の心中を他所に竜馬は、いつも、どんな時も無茶をしてはそれを潜り抜け、海外要人の来日中でさえも俺を呼び出しては都内を縦走させたが。

 ディスプレイ上で「空いています」の表示を発見出来なかった竜馬は、「任せるき」と笑って、倒された助手席に再び横になった。組んだ手で髪の癖の激しい頭を支えるように。

 頭の中で走行ルートを確認して、俺はギアを入れアクセラを加速させた。都内は走り慣れているとは言え、万が一のことを想定して、竜馬の「逃走」に相応しい道を選ぶのだ。首都高だけでなく一般道も含めて道路と言う道路が入り組んでいる23区内は、都下とは圧倒的に交通量が異なる。車好きの俺にとっては日野市を走るよりも性に合っているが、高知県育ちの竜馬は23区内の特に首都高が苦手だった。変装してはメトロで移動するのが趣味である。時間を見つける度に俺を呼び出すのは、そういう理由もあった。だからこいつは未だに、道を覚えられない。

 ……ま、「遊」「迷」人だから仕方ねぇか。

 軽く溜息を付きながら、俺は霞が関ICを抜けた。

 外堀通りから、環状線に乗る。時計回りに皇居周囲の堀を回り、新常盤橋を通過したところで、竜馬が「海、海」と言いだしたので、ルートを仕方なく変えた。江戸橋北で高速を降りて昭和通りを北上しようとしたのだが、竜馬の「海キチ○イ」が始まった為、そのまま東京証券取引所を眺めながら南下し、宝町と京橋を通過して、汐留に入った。

 この辺りは常に混雑していて、あと三割交通量が少なければもっと飛ばすのだが、タコメーターは90キロにしか上がっていない。

「竜馬」

「んー」

「いい加減、平日に呼べよ。代休日は伝えてンだろ? タラタラ走ンの、性に合わねぇ」

 よりにも依ってこんな道を、俺ともあろうものが…アクセラが泣いている。普段は60キロでしか走れない分を、竜馬を乗せて倍速にして代償するのが俺の楽しみなのだ。

「飛ばしー」

 のんびりと寝転がったままの竜馬が答えた。常々こいつには、緊張感と言うものが無い。それでも、いや、それだからこそ総理大臣なのかも知れない。

 相変わらず日本は犯罪だらけで混迷している。だからこうして俺が、呼ばれる。

 総理大臣直々の御命令で、俺はアクセルを踏み込んだ。





「ええのぅ!」

 首都高速11号台場線に入って車窓の向こうが明るくなると、竜馬が助手席のリクライニングを直して座席を通常の位置に戻した。戻す前に、勝手知ったる運転席に手を伸ばし、サンバイザーに引っ掛けていたレイバンを取って、きちんと掛けたが。

 竜馬にとって、潮風が欠如した空気と言うものが耐えられないらしい。海の無い日野市で育った俺には分からない感覚だが、特に政治問題で息詰まると海に出たがった。空と海の青さが頭をクリアにしてくれる、と言って、竜馬の「日常」から離れたがった。

 その気持ちは理解出来ないでも無い。一般国民とも剣道の剣士とも異なる政治家しかも総理大臣ともなると、日常らしい日常が送れないのだ。所轄の刑事をしていれば、毎日が犯罪塗れであり、血と火薬に塗れるのが通常だった。竜馬の場合は、計算と交渉と陰謀である。それも諸外国相手の。息が詰まるのは、当然だろう。

 竜馬はガキのように車窓に張り付いて、群青の海を見入っていた。今にもパワーウィンドウを開けようとしている。こういうところは、昔から何ひとつ変わっていなかった。

 刑事課に配属されてしばらく経った後、俺は久しぶりに竜馬と会った。大学卒業後にどういう流れかは分からなかったが政治家になった竜馬と異なり、警察学校に入って以来、ほぼ家族以外とは親しくかかわることの無かった俺の連絡先を知る人物は限られていた。携帯電話番号は変えていたし、もともとメールはあまり使わない。

 そういう状況は、内閣総理大臣にとってはまるで意味を為さなかったのだろう。休日の朝九時きっかりに携帯電話が鳴ったのだ。

 何事かと思って麹町の官邸を訪れると、厳重な警備の先で竜馬が待っていた。……警察手帳が無ければ、誰がこんなとこ来るか。

 そう思っていた俺に竜馬が継げたのは、「本日付けで内閣総理大臣のシークレットサービスに任命する」だった。

 突然の事態に唖然とする俺の前で、総理大臣様は相変わらずの大口で言った。

「わしがトシを推薦したのじゃ。全国警察拳銃射撃大会三連覇が効いたのう!」

 ……そう言えば、前の週に額縁に填まった賞状を受け取っていた。

「…………俺の、自業自得かよ…」

 竜馬は、ワハハ!と笑った。警察官をやっている以上、総理大臣には逆らえない。深い溜息で了解して、俺は任務を負うことになったのだ。

 総理になって竜馬が新たにしたことは、日本を七つのブロックに分けて、そこに通常で言うところのセキュリティポリスとは違う形の、非公開警察官を各数名ずつ配置することだった。

 日本のセキュリティは見た目は立派だが中身がスカスカで、事実スパイ天国である。外国人では無く、最初から日本国籍の日本人が日本をスパイするのが珍しくない。日本人だから安心、と言うことが言えなくなって数十年が経っている筈だが、肝心の日本人がそれを理解していない。毎日挨拶をしているアパートの隣人が実は外国のスパイ、なのは俺たち所轄の刑事にとって日常茶飯事だったが、警視庁公安部以外で綿密に捜査しようとする組織は無かった。

 竜馬はそれを知っている、つまり、警察組織そのものを、信頼しきれていないのだ。勝っちゃんが知ったら激怒するだろうが、竜馬の判断にも一理あると俺は思った。だから引き受けた。警察内を含めて誰にも、内密にすると言う条件も飲んで。

 俺に任されたのは、第一ブロックのうち東京都内で公安部の監視対象以外の不審人物の行動を捜査監視することだった。

 もっともそれは任務の一部であり、こうして竜馬の「逃走」に付き合わされることも多々ある。だから「シークレットサービス」なのだ。

 総理就任当初から、こいつの動きは破格だった。

 非公開ではあったが、警察や官僚を含めたあらゆる国家組織内の内偵を行い、一挙に身辺の洗い直しをかけたのだ。

 結果、第一に不透明極まりなかったのが警察だった。だから、内偵の結果組織から追い出された元警察官や元官僚、奴らと繋がっている連中から竜馬が命を狙われることになり、俺のようなシークレットサービスを雇う必要が生じた。俺と同じく竜馬もある意味自業自得だったが、それぐらいは他の国では当然であり、日本が異常ぜよ、が竜馬の持論だった。

 お蔭で俺は、日野署の刑事と同時に竜馬直属のシークレットサービスの二束の草鞋を履くことになり、肉体は常に疲労困憊状態で、学生時代に比較してどんどん痩せて行った。竜馬に自分の特殊体質の件を言わなかったのは、シークレットサービスの業務にも魅力を感じていたからである。

 警官は、基本的に警察手帳と令状があれば、全国フリーパスである。問題はその令状だ。令状が裁判所から発行されるまで通常二十四時間以内だが、令状が出ない限りマルヒ(被疑者)の捜査や逮捕、勾留は出来ない。

 それが、俺たち現場の人間には実はもどかしい。手続き上の必要条件とは言え、現場としては発見次第捜査なり勾留なりをしたい、のが本音であった。

 それを可能にするのが、シークレットサービスに支給される五七桐花紋が印字された竜馬名義のブラックカードだった。

 見かけは単なるアメリカンエキスプレスのセンチュリオンカードだが、このカードにはGPSが組み込まれており、シークレットサービスのそれぞれがどこで何をしているのかを首相官邸が常に監視出来るのであった。尤も、シークレットサービスで唯一の所轄の人間である俺は、それを日野署管内で持ち歩くことはせず、竜馬に呼ばれた時以外は自宅マンションの靴だなに隠してある。年がら年中監視されるのは御免だったが、このブラックカードを所持した状態では、越権行為が許されていた。

 俺以外のシークレットサービスは、だいたいが警察庁に出向した人間かSATなどの特殊急襲部隊での活動歴がある警察官だった。が、特に俺たちが情報交換をする義務はない。官邸ですべてを集め、そこで分析し、必要な情報が官邸からそれぞれに出ていた。

 情報を得た俺たちの任務は、当該人物を逮捕もしくは抹殺すること。どの選択肢を選ぶのかは、おのおのに任される。シークレットサービスの各人には裁量権があり、処分の仕方は俺たちの自由だった。今まで何人を処分したか覚えていない。俺の射撃の腕が警視庁一を保っている理由は、普段の訓練よりもシークレットサービスでの実戦のほうが大きかった。

 自分の特殊体質を考慮すると、警察官と言っても内勤のほうが長持ちすることは嫌になるほど理解している。おそらく、俺が二束の草鞋を履いていることを医師の松本が知ったら、何としてでも辞めさせるだろう。

 あいつは死んだ親父の従兄弟で、俺が生まれた時から俺の主治医をしていた。俺の、あまりの皮膚の薄さと筋肉の柔らかさを見て、遺伝子異常だけでなくコラーゲン異常を発見し、為兄を始めとする俺の兄姉と勝っちゃんに、体を上手く鍛えさせて、正常のコラーゲンとしての機能は果たせない俺の体を、異常なコラーゲンで動けるように指導をしたのだ。だから俺は小学生の頃から試衛館道場に入り浸り、体が動く限り己を鍛えまくった。足の裏が豆だらけになったが、松本がいちいち為兄の精油も使って処置した。

 松本の処置の仕方をガキの頃から見ていたぶん、刑事になってからも為兄の製品を使えば自分の傷は自分で何とか出来た。サロニカに行けば、医療機関にしか出回らない治療用品が手に入る。それを二十三区内にも持ち歩いて、シークレットサービス業務中でも頻繁に使っていた。当該者を生存させたい場合に急所を外して撃った銃痕に塗り付けて背負い、官邸まで運ぶのだ。止血と抗炎症作用のある精油を塗り付けたガーゼを患部に押し付け、包帯でぐるぐる巻きするのは、慣れていた。

 その後のことは官邸が処理した。警視庁にもマスコミにも漏れずに、事件を終結させる。これが俺たちの任務だった。

 日野署の警察官である俺は、警視庁の管轄下で、警視庁の上が東京都公安委員会、その上が東京都知事である。俺は基本、ここに従わなければならない。

 シークレットサービスは内閣総理大臣の直轄で、警察庁の上にいる国家公安員会の管轄下では無い。公安委員会の管轄を唯一外れる警察官なのだ。警視庁でも警察庁でも公安委員会でもないところで、事件を終結させるのが、シークレットサービス如いては竜馬の仕事、と言うわけだ。

 金は要らないから官邸が握る情報を寄越せ、と言った俺に、竜馬は俺の望む情報と金を出してきた。流石に官邸の情報網は日本一で、所轄の刑事が知りえないものが即時にわんさか集まる。俺はそれを使って、日野署管内の未解決事件の再捜査にも役立て、日野署管内の治安向上を図った。

 都下である日野市は、二十三区内ほど警視庁の捜査網が綿密では無い為、やや治安が不安定で、事件を解決しても時間が経てば、雨後の竹の子のように再び犯罪の巣窟に成り得る土地だった。人口が少ない分割に次々に新興住宅地が出来て、そこに分散して犯罪者が潜伏することが難しくないのだ。昔から住んでいる市民なら兎も角、新興住宅地に入居する人間は全国から押し寄せてくる訳で、増収の為に人口を増やしたい日野市長は、それを押し留める気配が無かった。

 どうやら俺以外のシークレットサービスの連中も、似たような地域で暮らした経験があり、竜馬の意図を了承して、任務を続けているとのことだった。シークレットサービスが得た現場状況を官邸が把握し、それを警視庁に流す。結果、日本全国の不平分子は、国民の目が届かない状況で総数が漸く減って来た。

 そうなると分かって、俺も遣り甲斐を感じていたが、同時に、欲しくも無い金が溜まって行った。竜馬が俺の口座に振り込む額が、刑事課からの給料の三倍なのである。最近漸く、山崎と越したマンションの購入費用として消費出来たが、多忙のうえに余計な金が溜まる一方で、正直俺は困っていたのだ。

 俺の預金残高は、いっぱしの警察官がもつ額ではないし、山崎のように学生時代に株をやっていた過去があるわけでも無い。放置すれば、俺が死んだ時に多額の遺産が出現するわけで、そういう揉め事はとにかく避けたかった。

 だから、いま暮らす分譲マンションは、俺と山崎とで折半して購入したのだ。それでも余る金の使い道を、浪費の趣味も無い俺は未だに悩んではいるのだが、竜馬は好きに使えと言うばかりだった。

 日本一どころか世界一忙しい総理大臣である筈の有難い御命令なのだが、

「使うヒマなんてねーよ」

「わしも無いきねぇ、お竜(りょう)に渡しちょる」

 お竜。

 京都の祇園で働いている芸妓で、竜馬の恋人である。生涯独身宣言をしている竜馬の相手すなわち事実上のファーストレディであるが、祇園甲部で勤め続け、月の三分の一程度は上京する生活を続けている。

 目鼻立ちのはっきりしたきつい感じの美人ではあるが、祇園一の芸妓と名高いお竜は、年々舞妓も芸妓も減る祇園を立て直す為に、日々芸を重ねているらしかった。

 観光客が殺到するようになり、祇園の形は本来からはだいぶずれた。それが、祇園で生まれ育った彼女には耐えられないらしく、頭も顔も良いお竜を、祇園から出して女優にでもしようとしていた大手プロダクションの誘いを何度も蹴って、祇園一の芸妓に上りつめた。

 あの女とは何度か会ったことがあるが、最初から俺を目の敵にしている。

 あんたはん、こないにええ顔(かんばせ)してはるのに、なんやのん、その口

 てめーにだけは言われたくねぇよ、それで良く祇園に居られるな、信じらんねぇ……祇園が狂ってンじゃねぇの?

 ……日野市の皆はんがお気の毒どすなぁ

 ああ?!

 …そんな会話(?)を挨拶代わりに毎回と言うほどしているが、芸妓姿ではないお竜は、上京して銀座を歩くのが好きだった。最近の祇園には、銀座からホステスを連れて来る客が多く、座敷では見られない彼女たちの姿を目にしておきたいのだそうだ。

 ホステスとは異なり、芸妓は伝統的な濃い化粧をする為、その化粧さえしていなければどこでも自由に歩きやすい。買い物をしながら、座敷で見かけるホステスの銀座での姿を観察するのが仕事でかつ趣味になっていた。

 大量に居るSPを撒いて「逃走」する竜馬と、銀座を観察して歩くお竜。似た者同士の、どうしようもない夫婦は、竜馬が首相になる前から続いていると言う。

 何となく由美に似ているあの女と会うと、女ってのは結局誰もが同じような生き物なのかと思う。派手に着飾り、煌びやかな空間のまん真ん中を歩いても、必ず後ろに男がいる。出ようと思ったら世の中の表にいつでも出て行けるのに、男を前に押し出して自らは引っ込もうとするのだ。

 ……あいつも、そうだった。

 己の手から放した女の顔を思い出して、やや思考が落ち込んだ俺に、開け放った窓の枠に左肘を乗せた竜馬が、海を見ながら言って来た。高速道路走行中なのに窓を開けるのは、こいつの癖である。俺のレイバンが吹っ飛ばなければ良いがと言う心配をよそに、どこから出したのか分からねぇが、俺のレイバンに竜馬は勝手にネックストラップを付けていた。勝っちゃんが良く、そうしていたように。

「近藤とは別れたが?」

「……っ」

 突然の言葉に、窓枠に置いてあった右肘が、びくりと震えた。時速120キロでこの問いかけは、心臓に来る。俺は、やや黙ってから応えた。

「―――――なんで知ってンだ、てめぇ」

 日本一の情報網を持つ首相官邸は、俺たちシークレットサービスの個人情報のみならず、家族関係や交友関係までのすべてを掌握する必要がある。が、俺は勝っちゃんとの事は、官邸にも誰にも伝えていなかった。さすがに由美の事は伝えていたが、由美と別れた際には何も言われなかったのだ。

 竜馬はパワーウィンドウを閉めて、車内が完全に密室になってから、こう答えた。

「小田急センチュリー、あそこはの、木戸さんの後輩がサード(第三)でやっちょるホテルじゃき」

「………ンなの、俺らが知ってるワケねぇだろ…」

 木戸孝允は、竜馬の親友で、西日本の財界を握る財閥「木戸興業」の末子で、養子入りした人物のなかで最も出世し、現在は大臣職に就いている。

 のんびりとした声がこちらの心臓を抉り取って行く。

「近藤とおんしが「ほり川」を出て客室に行くのを、たまたまその、木戸さんの後輩が見ちょった」

「―――…っ」

「槍術の段持ちでのぅ、おんしが射撃大会で初優勝した際に、招待席で見学しちょった。おんしの顔を覚えちゅうよ」

 また、俺の自業自得だった。

 知ってたンなら早く言え、と言いたくなったが、もう勝っちゃんとは終わった。俺が、振り切った。竜馬、お前がそこまで、

 ―――――俺をみているのなら、容易いだろう。

 アクセラが台場出口を降りて、デックス東京ビーチ前に止まると、空は快晴だった。竜馬好みの、青い空と青い海が目の前に広がる。潮騒の音がして、勢いよくドアを開けた竜馬が歩き出した。こいつは難治性の海キチガ○なのだ。さっさとついて行かねぇと、「遊」「迷」な総理大臣には、何が起こるか分からねぇ。いや、正確に言うと、何を起こすか分からねぇ、か。

「今日は何もすンじゃねぇぞ!」

 竜馬には腐るほど前歴(マエ)がある。キャンプ場に突然出現して、子供たち相手のサインおよび握手会、新幹線に突然出現してごく普通のサラリーマン集団と即行面会、小学校と中学校を「急襲」し授業を占領。下町のサロンに入って土佐弁教室を開催。

 これを、俺たちシークレットサービスをつけた状態で、日本全国で繰り広げるのである。

 お蔭で竜馬の人気はうなぎ上りで、俺の過労は蓄積する一方だった。尤も、竜馬の狙いは、そうやってシークレットサービスが追いかける被疑者たちを突然に炙り出し、竜馬が「逃走」する間に、俺たちが当該者を処分するのである。

 そんな状態で携帯しているのは、一般に警官が持つ拳銃では無く、シグ・ザウエル・P226。装弾数が15発のオートマチック拳銃で、日本のSATにも一部配備されている。任命時に世界中の拳銃を試射したが、俺の手にはザウエルが最も馴染んだ。日野署の刑事をしている際には自宅マンションのベッド下に隠しておいて、竜馬に呼ばれた時のみショルダーホルスターに突っ込むのだ。

 他に、イタリア製リボルバー式のマテバ6ウニカをアンクルホルスター(足首用ホルスター)に入れていた。

 土曜日の午後は、付近住民のみならず、全国からの観光客が押し寄せてくる。この状況で、銃撃戦は避けたい。いまのところ、誰の気配も感じないのは助かる。

 俺が道路脇の駐車場にアクセラを停めている間に、竜馬は天井から長い可動式のひさしをつけたコーヒーショップへ入って行って、何かを買っているようだった。官邸では味わえない普通の味、を「逃走」時に味わうのが好きだそうだ。即行で戻って来た竜馬から渡されたブラックを受け取って、「あちっ」と言いつつ飲んだ俺を、レイバンを掛けたままの竜馬が笑う。

 言動が年齢不詳の竜馬が買ったのは、ストロベリーなんたらソイラテ、と言う、俺には理解不能のブツだった。パステルピンクのコーヒーっぽい飲み物の、どこが普通の味なのだろうか。

 アクセラを出る時に持ってきたオークリーのスポーツサングラスを胸ポケットから取り出し、掛ける。そうすると、少しはこの、刑事に似合わぬ面妖な面(つら)に対する注目度が減るからだ。レイバンは普段使いで、オークリーは実戦で使用することが多かった。

 なんたらラテを美味そうに飲みながら、竜馬は海岸まで歩いて行く。俺は前後左右に気を張りながら、隣を行った。大勢の家族連れが常時行き来して気が気で無いが、これだけ大勢のなかで竜馬だけを狙撃するのは、逆に難しい。竜馬は、店の前にそれぞれ配置されているガードマンの見える位置をわざと歩くかのように、ややふらふらしながら海岸を目指して階段を降りた。降りる途中で、渡されたメモ。




    杉並区内にインドネシア系マフィアあり

    薬物および銃火器の密輸密売および

    障碍年金の搾取を含む違法ビジネスを展開

    役所窓口と病院経営者に協力者あり 現在調査中

    日本人とインドネシア人とのハーフとの情報あり

    発見次第 処分せよ

    生存状態が望ましい




 最近、思うことがある。

 海風を浴びて生き返ったと喜ぶ竜馬を助手席に乗せて、再びアクセラを走らせた俺は、麹町に向かう高速道路の上で、心の中で同じ言葉を繰り返していた。

 俺のもとで働き続けるよりも、警視庁に出向したほうが良い。このままでは、あいつの能力を発揮出来ないからだ。

 十か国語の語学能力に加えて、日野市だけでなく隣接する昭島市、国立市、立川市、八王子市の地図と過去の犯罪、捜査状況、未解決事件などを良く知っていた。山崎が言うには、語学学習と同様に、暗記と暗唱が得意とのことだった。だから国際係長の山南よりも有能で、署内のあちこちから案件がしょっちゅう来ていたが、それをいちいち適切に処理をするのが山崎だった。

 それでいて、自ら持つ知識や能力を鼻にかけず、鎌足なんかと署の花壇の手入れをしたり、清掃を手伝ったりと、刑事課ならぬ行動を、嫌がりもせずのんびりと行う、不思議なヤツだった。

 一緒に暮らし始めて分かったのは、山崎はかなり忍耐強い人間であることだった。

 言葉を喋らない草木と一人で向き合い、勝っちゃんや鎌足から預かってまで育て上げ、大輪の花を咲かせる。それでいて、自分が育てる花はオーニソガラムやサギソウと言った、白くて大人しい花が多かった。(理由は、俺に似ているから、だそうである………)

 時間のある時にパソコンかテレビで海外の中継を見ながら、語学の為の耳を鍛え、ジョギングの最中は海外のラジオを録音したものを聞く。昼休み中は永倉と一緒に料理番組を見て予習するのには笑ったが、俺と暮らすマンションでは、俺といるか、園芸をするか、家事をするかと言う、性格そのものの生活を送っている。

 俺が「これで犬猫でもいれば、完璧だよな、お前」と呟くと、「俺はもう、何も要りませんよ」と微笑んだ。

 その笑顔を見て、思ったのだ。

「山崎を、警視庁に出向させてぇ」

 捜査(第)一課が良い。

 俺の声に、助手席の竜馬が振り返る。明るい茶色の癖のある髪が揺れて、こちらを見た。

「……出向させて、どうなる?」

「所轄よりかは人脈も広がるし、第一仕事も幅広くなるだろ」

 山崎もノンキャリである。だから出世は望んじゃいない。が、俺は出世と実力は違うと思っている。

 山崎の力を生かさせたかった。山崎を更に伸ばしたかった。所轄にい続けて、悪い事は無い。副所長に上がれれば理想的な方だろう。が、それで本当に良いのだろうか。

 シークレットサービスに任命されてから、俺は所轄ではない世界を知った。所轄の刑事では入り得ない首相官邸には、世界各国のあらゆる情報が二十四時間で流れ込み、かつそれを分析する専門家が多数勤めていた。そのうち、最も語学に長けている人間でも、一人で七か国語が限界だったのだ。

 山崎はそいつらの上にいる。ましてあいつは、どこにでも誰とでも打ち解けて、相手の空気に浸透しながら、自分の業務を確実にこなし、それを誇示しなかった。部下にするには恐ろしいほど適切だろう。だから、

 このままではこいつは、一生地べたを這いずり回る位置から抜け出せねぇ

 ―――――そんなモンは、俺ひとりで十分なんだよ

 もう一度俺は竜馬に、山崎を出向させて本庁に行かせたい、と告げた。

「わしには山崎くんが、それを望んどるとは思えんがのぅ」

 珍しく否定形で答えた竜馬に、珍しく本気で俺も反抗した。

「……俺が命じれば、あいつは行くだろ」

 つーか、行かせる。

「わはは!大した自信じゃのぅ」

 結構結構、と竜馬は笑った。

 ……笑いごとじゃねぇだろう。

 山崎は三十代後半である。年齢が若ければ若いほど、環境の変化には順応しやすい。温厚な性格で、これと言って格別な自己主張をしようとしない山崎は、どこにでも誰とでも馴染める性質(たち)だが、山崎にとっては、いまがまさに絶好の機会だと、俺は思っている。

 警視庁捜査第一課の課長が、俺のところの山南の兄貴で、その下が以前日野署で交換研修生として勤めていた斎藤一なのである。二人とも、キャリアにしては温厚で、ノンキャリに対する差別的な視線を持っていない貴重な人材だった。特に斎藤は永倉の、警察学校時代の同期で、総司とも親しくすると言う、柔軟な男だった。

 キャリアの、ノンキャリに対する風当たりは勝っちゃんから耳が腐るほど聞いている。いくら時代と総理大臣が変わっても、警察の上を変えることはかなり難しい。頑強なそこに風穴を開けようとして、警視庁管轄下、ではなく、総理大臣直轄のシークレットサービスを竜馬が設置したのも、警視庁に対する挑戦の意味もあった。

 組織立てて物事を動かすのは大いに結構。が、組織に縛られて有能な人材を埋もれさせては人材のみならず国家の無駄遣い。有能な人材を発見して育て上げるのも、国家の仕事である。メンツよりも、実を取れ。

 それが信条の竜馬であれば、俺の言わんとすることは分かるはずだ。

 使えるやつは、どこででも使え。行けるやつは、どこにでも行かせろ。

 そうやって、警察を強くするのだ。国家を強くするのだ。それが総理大臣の、最たる務めだろうが。

 言うと竜馬は、助手席を再びゆっくりと倒して、レイバンを掛けたまま寝転がった。

「トシよぅ」

「あ?」

「愛じゃのぅ」

「うるせー」





 東京メトロ永田町駅出口に続く階段から、山崎が飛び出してきた。軽く癖のある髪の毛が弾んで、アクセラを見つけてまた駆けてくる。

 山崎が助手席のドアを閉めた瞬間に、フロントガラスにいくつもの水滴がついた。

「さっき、急に雷鳴がして」

 と、山崎が見上げた窓の外が、一気に雨になった。俄か雨やろか、と呟いた山崎が、シートベルトをしたことを確認して、俺はギアを入れる。

 アクセラが動き出した。

「どうだった?」

 と尋ねると、山崎は、はぁ、と溜息をついた。

「どうでしょう……自信はありませんねぇ…」

 何せ、合格率5%の難関である。優等生の山崎でも、この反応は致し方ない。

 竜馬が総理大臣になってから、山崎のような国際犯罪の捜査取り締まりを行う職種にも、新たな資格が生じるようになり、今日はその二次試験日だった。これを通れば、山崎は全国に並み居る国際犯罪担当者のなかで、特殊事件が発生した際、捜査の主導権を握ることが出来る。合格者にキャリアとノンキャリの差別は無かった。有資格者となれば、警視庁との合同捜査の際に正々堂々とキャリアに意見することが出来る。

 如何にも竜馬らしい遣り方に、全国から志願者が殺到した。キャリアにとっても、俺たちノンキャリに支配されるなど、冗談ではないだろう。だから必死になって資格を獲りに来るため、年々志願者が増え、合格率が下がっているのだ。

「…ほんまに自信ないです」

「じゃぁ、三日間俺抜き、だな」

「いいいいいいいや、絶対合格してます!!」

 必死になって「絶対合格、絶対合格」を繰り返す山崎を横目で見て笑いながら、俺はレイバンで隠した瞳の中で決意していた。





 俺と会ったことで大阪を捨てて来たお前

 俺を想いたくて女と別れたお前

 これ以上何かを失わせるわけにはいかねぇ

 お前がもう何も要らないと言うのなら

 俺がお前を前に上に押し出してやる



 それが 俺からお前への

 Secret Service








≪あとがき≫

 高速道路で窓を全開にするのは、かなり危険だと思いますので、そこは超妄想です。うちの竜馬ならやりかねないなぁと思って書いたもの。

 アクセラ欲しいよぅ。お台場付近をがーっと飛ばしたい。

 でも買ったら絶対休日ごとに乗回して、PCに向かわないだろうから、眺めるだけにしています…
autor 覆霞レイカ2014.03.20 Thursday[05:02]
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