You,you,you take my heart and☆shake it up
絶対、うそだ。
「………」
俺は台所に立って茶を準備している。大久保はリビングで喋っている。
「おじさんこんにちわ〜」
「こんにちわ。よく来たなぁ」
「うふー」
大久保はその子を抱き上げて高い高いをしたらしく、子供の喜ぶ声が聞こえてきた。勢いあまって天井にぶつけるなよ、腕なが男め。
その子…というのは、大久保の姪で、その子の母親は大久保の3番目の妹なのだそうである。東海地方を中心に展開している一之瀬企業の社長夫人、名前は峰子…さん。だからその子は一之瀬茉莉子。
「茉莉ちゃんいくつになった?」
「5才。ようちえんのお姉さんなの」
「そうかそうか。ちょっとみないうちに大きくなって、おじさんびっくりしたぞ」
「えへへー」
いつもむっつりした顔で仕事する大久保を見慣れている人間がみたら腰を抜かすような普通の表情で大久保は言った。でも大久保が子供慣れしているのは、三人も妹がいて全員が子供を産んでいたからだろう。一番上の妹さんには二人、次の妹さんは三人、で、峰子さんにも三人で計八人の小さな子供に囲まれた時期があったのだから。
耳を澄ますと、大久保は峰子さんと喋りはじめたようだった。薩摩弁だから俺にはさっぱり分からないので聞き流す。俺は紅茶とオレンジジュースと菓子を盆にのせて持っていこうとしていた。
「はじめさん!」
「うわ!」
持っていこうと振り返ったところで、俺はいきなり声をかけられた。
はじめさん?
この家で「はじめ」は俺だけだよな。
ていうか、「はじめさん」なんて呼ばれたの、生まれてはじめてだったりする。大抵、斎藤だから。
俺を呼んだのは茉莉子ちゃんだった。
くりんとした二重の目と白い肌、明るい褐色の髪の毛をポニーテールにして、白いブラウスと動きやすいキュロットを穿いている。茉莉子ちゃんは元気な声で言ってきた。
「手、洗ってきたの。赤ちゃんみていい?」
さっと、俺の前に洗い立ての手を出して。
律儀なところに、俺は苦笑した。いいよ、と言って茉莉子ちゃんを連れてリビングの壁よりのところで眠っている利春をみせた。
「わぁ…」
「ごめんな。さっきまで起きてたんだけど」
「ううんーちっちゃーい。かわいーい」
茉莉子ちゃんは、ちっちゃーい、かわいーい、と小声で言いながら白い手を床について体を支え、利春を楽しそうに覗き込んだ。利春は白いベビー服を着て、腹をふかふか膨らまして眠っている。時折「ふぅ」とか「んぅ」とか言ってくる声が可愛いんだけど、さ。
考えてみれば、茉莉子ちゃんと利春は従姉弟なのだ。俺には従姉弟が五人しかいないのだが、利春は大久保のほうだけで八人か。うちの姉貴と兄貴と合わせれば計十二人になるから、結構多いかもな。でもって一番年下で、姉貴が子供をここに連れてくると甥たちに遊ばれる運命にある。姉貴のガキはなー、俺をみるといつも拳銃出せってうるさいんだ。姉貴も義兄さんも笑うばかりだしさぁ。それに比べて峰子さんの麗しさときたら。
「茉莉ちゃん、赤ちゃんにいたずらして起こしたらダメよ。…ごめんなさい。この子末っ子で、赤ちゃんみたことないものですから…」
「…いえ…いいっすよ……」
申し訳なさそうに微笑む峰子さんに顔を向けられて、こちらはたじたじである。俺は思わずゴクリと喉を鳴らしていた。
嘘だ。
なにかの間違いだ。
大久保の妹がこんな美人だなんて、絶対嘘だ!
そりゃ、鹿児島出身の俳優とかの顔の造りが、他とは違うことは俺だって知っている。南の人間なのに色が白かったり、こんなのいたのかよ?!と目を瞬かせるような、戦前の日本人のような顔だったりする。少なくとも最近のチャラけた平均的日本人とは一線を画しているのが鹿児島のひとだと思っていた。…大久保も、よく言えば、よく言えば、そのひとりかもしれない。
ある日「実は妹がいる」と言ってきた大久保に対し、俺は言ってやったのだ。
『やっぱ誰かに似て人間離れしてたりするのか』
ほんの嫌味のつもりだったのに。
『まぁな。三人とも美人であることは間違いない』
『…へぇ』
こいつが美人なんて表現をするのを、俺は初めて耳にした。大久保は続けた。
『あえて一番の美人と言うなら須磨子だろう。俺と一緒に出席したパーティのその場で、百人からプロポーズされたんだから』
『………』
『だが、みんな美人だ。なにせ兄がこの「俺」だからな』
クックック、と笑った大久保の痩せた肩が喜んでいた。一言余計だこの阿呆、そう言ってかわした俺だった。
しかし実際、峰子さんでこうなのである。須磨子というひとはどんなツラをしているのだろうと思ったが、頭がヒートアップして想像出来なかった。
それに、と思った。
一之瀬泰造という人を雑誌やテレビでみかけたりするが、穏やかそうな印象しかもちえない。決してガツガツとした感じの人間ではない(俺は刑事だから、人をみる目はあるほうだ。ただひとりの男を除いては)。
―――――果たして、そんな男が「大久保の妹」にプロポーズなんてしてくるだろうか。
『一之瀬君。君の企業は順調そうだな』
大久保が一之瀬氏と語り合う姿が目に浮かぶ。
『はい、おかげさまで。本当に大久保さんには何もかもお世話になって…』
『いやいや礼など構わんよ、お互い様の世界だ。ところで一之瀬君、今度私の妹と会ってみないかね?』
大久保に面と向かって断れる人間なんかいやしねぇよ。俺だって毎晩…
「なにか言ったか?」
「え?ああ、」
俺は知らずの内に呟いてしまっていたらしかった。危ない危ない。
そんなこんなで晴れて見合いした一之瀬氏が峰子さんに本気になったと考えるのが妥当じゃないだろうか。優しそうだしなぁ、誰かさんと違って。
優しくなければ、兄が勝手にあてて送りつけた熱海温泉二泊三日旅行券を送り返したりしねぇよな。
いまから一週間前のこと、家に電話があった。インターネットサイトで大久保が応募したところ、本当に一等があたってしまったのだ。だがそれは二名様用で、屈指の高級旅館と言うことで、さすがに生まれたての赤ん坊を連れていくわけにもいかず、大久保は自分の妹夫婦へ譲ったのだった。
こういうことは結構あるらしく、妹夫婦はすんなりと受けたのだが、「利ちゃんなら私がみるから、今度こそ兄さんたちが行ってらっしゃいよ」と峰子さんが申し出てきた。大久保は「できた妹をもって幸せだ。なにせ『俺の』妹だからな」と笑って(というかニヤけて)峰子さんの好意に甘えることにしたのである。まったく羨ましい限りである。
ていうか、こんな女兄弟なら俺も欲しかった。うちの姉貴を思い浮かべればがっくりしてしまう。元気なのはいいが、俺の元気まで奪う性質なのだ。それに兄弟がてんでばらばらの顔・体つきをしていて、はっきり言って似ていない。対して、大久保のニヤけた面を除けば、大久保と峰子さんのもつ色素の薄さ加減とか雰囲気とかは結構似てると思う。茉莉子ちゃんは峰子さんに似てるようだった。
茉莉子ちゃんは峰子さんのカーディガンを掴んで峰子さんを見上げた。
「ママー、茉莉も赤ちゃんほしーい」
「まぁ…それはちょっと、難しいんじゃないかしら…」
「え〜やだ〜ほしーい」
「茉莉ちゃん…」
峰子さんは困ったわ、という顔をしたが、それが百合の花が風に揺れるような感じで、みているほうは唖然としてしまうのだ。少なくとも、こんな綺麗なひとを俺はみたことがない。女優でもこんなのいないぞ。顔は小さいし色は白いし(化粧なんてほとんどしてねーよあれは)手足は細く長く、顔のつくりは品がいいし。
俺は正気を無理やり取り戻して、その兄貴のほうをみた。そいつは峰子さんに見惚れる俺をみて、フフンと如何にも鼻高々な表情をしていた。
―――――だから絶対、うそだ。
これは夢。きっと夢なんだ。
と俺が自分に言い聞かせるそばから、峰子さんは大久保を「兄さん」と呼ぶのだった。
峰子さんが、警視庁のお仕事は大変なのでしょう、出発前ですしどうぞ休んでいらしてくださいな、と言って立とうとした俺をそのまま座らせた。有難いけど申し訳なさのほうが先に立つのは何故だろう。緋村だったら命じてでも作らせるのに。
峰子さんには、絶対土産を買ってこようと俺は思いながら、俺は荷造りを始めた。荷造りといっても大した量ではないが、大久保があそこに行こう、あそこにも行こうと煩いので、動きやすい服がいいかな、うん。一番大事なのはここで留守番する利春のおむつや着替え、タオルとミルクなんだけどさ。
利春はまだ寝ている。ひとりでみると分からないが、健診で病院に行ったり、買い物に行ったりすると分かるのだ。うちの利春が赤ん坊のくせに如何に手足と睫毛が長いかが。目の色もグレイで人形の瞳のようで、俺から産まれたのに俺にはちっとも似ないで…ああ、将来が末恐ろしい。
峰子さんは、持参してきたエプロンを身に着けて台所に立っている。大久保はソファに座って人の気も知らずに、膝の上に座らせた茉莉子ちゃんに本を読んでやっていた。
「おじさん、シンデレラちゃんはどれくらいきれいだったの?」
「きっと茉莉ちゃんのお母さんが三人いるぐらい、綺麗だったんだよ」
「そうなんだー。ねぇおじさん、茉莉もママみたいにきれいになるかなぁ?」
茉莉子ちゃんの質問に、大久保はらしくなく破顔して「当然だろう」と胸を張った。
「茉莉ちゃんは、絶対美人になるさ」
「ほんと?ほんとにほんと?!」
「間違いなしさ。ほら、おじさんがこんなに美人だから」
本気(マジ)な顔して自分のことを指さすし。
何やってやがるんだ。ばぁ〜か。
自称“美人”野郎は、俺のきつい視線を浴びていることを知りつつも、阿呆なセリフを続けるのだった。
「茉莉ちゃんも、俺に似て美人になるだろう。おじさんは心配だ。変な男にもっていかれたらおじさん泣いちゃうぞ」
「茉莉、ケッコンしないもん。かっこいーキャリアウーマンになるんだもん。それでパパにおこずかいあげるの。おじさんにもあげるね」
「……」
茉莉子ちゃんがそういうところで確りしているのは、峰子さんではなく誰かに似た所為だろう。茉莉子ちゃんに将来小遣いをもらえると分かった大久保が蓄えた髭でにんまり笑いながら俺のほうを向いてきて「次は女の子もいいな」とほざいてきたため、俺は大久保用に注いだコーヒーに砂糖をがばがば入れてやった。