::素晴らしい日々::



 昔から絵に描いたような美人が好きで
 当然そんな女が大勢いる訳でもなく
 かと言って美人女優のファンをする人間でもなく
 実に中途半端な好みをしていると思っていた僕の前に現れたのは
 天国から降りてきたような彼だった。




 八歳のときに両親に死に別れ、四つ年上の兄とふたり、叔父の家に預けられて早(はや)幾年。医学部に入って将来を期待されていた兄は事故に遭って死に、残された僕は大学の延長で経済の世界を進むことになった。叔父の家は下関で一二を争う大病院だが赤字も多く、叔父としても僕としても完全黒字経営を目指したい。

「…というわけで、今年で借金は帳消しになります叔父さん」

「そうか!」

 僕がパソコンのキーボードから手を離し、回転椅子をくるりと回して叔父に向き直ると、叔父は座っていたソファから立ち上がってガッツポーズを決めた。

「よくやってくれた!流石は兄貴の息子だ!ワシは早速兄貴に報告に行って来るぞ!!」

 そう言うなり叔父はステッキと帽子を持って僕の部屋を後にした、執事たちが後に続く慌しい音が聞こえてくる。

「……やれやれ」

 叔父という人は根明が逃げるような根明で、根明と人のよさが相まって赤字経営に拍車をかけてきたらしい。もともと病院は叔父のものではなく、譲り受けたものなのだが借金まで譲り受けて苦労を重ねてきたと聞いた。そんな忙しい折に僕の両親が亡くなり、幼い兄弟まで引き取ったのだから、苦労は三倍だっただろう。まだまだ甘えたい盛りだった僕たちは死んだ父と母を求めて毎日泣いていたけれど、叔父と叔母がよくしてくれたからここまでやってこれたのだ。せめてもの恩返しになればと兄は医者への道を選び、僕は経営者として身を立たせようと思った。兄は死んだからいま叔父と叔母を支えてやれるのは僕だけだ。

「あ、そろそろレセプションの日だっけか………」

 壁にかけられたカレンダーに赤で○と記された日が木戸家主催のレセプションの日である。木戸家と関連する財政家を集めて今後の計画を出し合い、また下関市民団体の提案を聞いたり、互いの責任と健闘を祝ったりするパーティなのだが、僕も叔父叔母とともに毎年招待されていた。財政家が集まるだけあって、訪れる女性も華麗を極めている。僕に結婚話も毎回のように持ち上がる。周りは僕が美人が好きだと知って、彼らが言うとびきりの女性を僕に娶わせようとするが、いまいち僕は乗り気になれなかった。

 なにせ僕が好きなのはあのひとだから――――――

「…なんて知ったら、叔父貴も倒れるだろうな」

 溜息をついて僕はパソコンに向き直り、会計書のまとめに取り掛かった。





「よーっす、元気?」

 会場に入るなり、山田栄太郎が声をかけてきた。

「栄太」

「いい加減、若社長って呼んでくださいよ玄瑞先生〜そっち経営万々歳らしいじゃん」

「ま、な。栄太のところは?」

「だから若社長だってば。うちは丸儲け。あ、今度さ、うちの親父がそっちの親父さん(玄瑞の叔父)訪ねていくらしいからよろしくしてくれよな」

「今度はなに企んでるんだか」

「ん〜〜〜それは企業秘密♪」

 栄太は、ひっひっひ、と笑って向こうで既に出来上がっている高杉晋作のテーブルへ歩いていった。途端にどっと声が溢れる。高杉と栄太郎が揃えば、敵う者はいないだろうというほどの盛り上がりようだった。

 僕はちらりと向こうのテーブルをみた。木戸さんが市民団体の数名と真剣に話し合っているようだ。代表らしき人が車椅子に乗っているところをみると、今日の団体は体の不自由なひとたちなのかもしれない。木戸家では数年前から下関の完全バリアフリーを目指して、実際に体が不自由で町で不便な目に遭っているひとたちを招いて協力してもらえるように願ってきた。今日は、現在ただひとりの木戸家出身の国会議員である木戸さんに直接話をもっていけるいい機会なのだ。

 せめて欧米並みのバリアフリーが欲しい、と病院を経営する僕としてもそれは願う。日本は障害をもつひとたちにとって厳しすぎるのが現状だから、木戸さんが提案を取り上げれば、国会でも審議にかけられるだろう。日本は、なにせ首都である東京がバリアフリー非対応である。だからバリアフリーを下関から発信、というわけだ。

 ああ、あの顔は真剣そのものだなぁ。

 今日は木戸さんとは話せないらしい…と僕は肩を落とした。

「こんばんは」

「うわっ」

 突然背中のほうから声をかけられて、僕はびくっと震えた。

「そんなに喜ばれるとは光栄ですな」

 相変わらず根暗な登場をするのは山県有朋である。髭を生やしてかっきりとしたスーツを着ているから、恐ろしいことこの上ない。僕は呆れ顔で溜息をついて言った。

「誰が喜ぶんだ、あんな登場をされて……お前まさか、木戸さんに対してもああなのか?」

「木戸さんはちゃんと喜んでくれますよ。気配で分かるみたいです。剣道で鍛えておられますからね」

「どうせ僕は運動神経ゼロだよ」

 僕が口を尖らせて言うと、山県はぷっと吹き出した。僕が胸を張れるのは経営手腕と詩吟ぐらいなのだが、山県はこう見えても漢詩を詠むのと槍術が趣味なのだ。ひょろ長い僕に比べて、体はかなり鍛えられているし、こうして並んでしまうと僕のみすぼらしさが目立ってしまうではないか。

 僕はテーブルからサンドウィッチを摘んで、ひょいぱく食べた。山県はサラダを食べる手を止めて、目の奥で笑いながらまだ僕の傍を離れようとしない。滅多に笑わない男がにやりと笑って僕に訊いて来るのだ。

「聞きましたよ」

「なにが?」

「松陰先生の姪御さんとの結婚話が持ち上がっているそうで」

「…いつも思うんだがお前は一体どこから情報を得てくるんだ」

「何を仰るかと思えば……有名ですよ。木戸さんもご存知なんじゃないでしょうかね」

 ……っこいつは僕が木戸さんの熱烈ファンであることを知った上で、こんなことを言ってくるのだ。まったく根暗にも程がある!

 山県は受け取ったスープをスプーンでかき回しながら滔々と語りだした。

「松陰先生の姪御とは言え、ほとんど妹御として生活されてきた女性ですから、松陰先生だってそれなりの男と娶わせたいでしょう。そういう男に選ばれたんですから、名誉ですよ。もうちょっと喜ばれてもいいんじゃないでしょうか」

「まだ決まったわけじゃないよ」

「意外に冷たい人ですね、久坂さん。これで相手が木戸さんなら…」

「(小声で)こんなところで木戸さんの名を言うな!誰かに聞かれてたら…」

「誰が何だって?久坂」

 ひ〜。

 山県の頑丈な背中から当の木戸さんがひょっこりと顔を出したから、僕は心臓が飛び出るかと思った。山県が笑っている。

 くっ…

 僕はごくりと息を飲み込んで木戸さんと向かい合った。これは木戸さんの言。

「私も聞いてるよ。確か文さんと言ったよね。綺麗な女性だと聞いているけど?」

「いえ…まだ確定したわけではなくて、」

「文さんと吉田先生は乗り気なんだろう?ということは、久坂には、誰か好いているひとがいるということかな」

 木戸さんはふふ…と笑った。罪の無い微笑み。

 僕が好きなのは貴方なんですよ!

 …と言えたらどんなに楽だっただろう。

 ああ。

 僕は初めて彼に会った日のことを思い出した。高杉に連れられて木戸家を訪ね、ひょいと出てきた彼をみて、雑誌なんかで見る彼と本物とはだいぶ違うなと感じただけだった。それが彼と付き合ううちに、あれよあれよと彼に惹かれて行ったのだ。

 木戸さんは不思議なひとで、難(かた)くなったり柔らかくなったりを繰り返してスムーズにわたっていこうとする性質の持ち主だった。それが、若年で木戸家という巨大な財政家に養子入りした彼の出した、生き方だったのかも知れない。

 僕は血縁者のところに転がり込めたけれど、彼は見ず知らずの他人の家だったのだ。難すぎれば孤立するし、柔らかすぎれば芯がないということで軽視される。自分を上手く扱えでもしなければ、政治家などやっていけるはずはない、か…

 たとえ彼が政治家でなくても、彼には惚れていただろうなとは思う。彼は僕の理想にぴったりだったから。

 優秀で話に手ごたえがあって、優しくて美人で思いやりがあって。完璧ではないかっ。

 そんな彼を手に入れたのが、あろうことか僕と同性だと知ったときは放心して、普段冷静な僕が拳で窓を叩きそうになったけれど。

 大久保と言う、嫌な目をした男だった。

 鹿児島の有名所・島津の関係者だとう言う、経歴も見た目も怪しい男だった。そんな男よりも僕のほうが身も心も安全を保障したのに…

 でも別れたそうだから、僕にもチャンスはあるかもしれない。ふむ!

 ということで僕は仕事に精を出して、病院の赤字解消をやってのけたのだが、そんなところに吉田松陰先生の姪御との結婚話が持ち上がった。

 松陰先生は僕が中学のときに家庭教師をお願いしていた先生で、隣町の自宅で学習塾をしている。生徒が多くなってきたから、講師を雇って彼らに塾をやらせて、先生はいまも家庭教師をしている。

 文さんは実際は彼の姪なのだが、ほとんど妹のように暮らしていた。塾に来る生徒と講師によく気のつく女性で、事務方をしている。僕も何度か会ったことがあったけれど、結構な美人じゃないかな。

 でも僕には木戸さんという、どうも諦めきれないひとがいるから、曖昧な返事しかしなかった。木戸さんと文さんと聞かれたら、やっぱり僕は木戸さんを選ぶよ。

「へぇ〜、久坂さんにも好いてる人がいるんですか」

「誰だれ?」

 常に話題を求めてやまない伊藤俊輔&井上聞多が僕の周りに群がってくる。

「知りたい知りたい知りたいですう〜〜」

「うるさい」

「久坂さんの理想は高いと有名なんですから、いっそのこと、ここらでバラしちゃいましょーよ」

「教えろよー」

「誰が」

「ケチー」

 お前らに言ったら、それこそ大変なことになるではないかっ。

 悩む僕の前で、にこやかに笑う木戸さん。にやける山県。後ろからどついてくる栄太郎。そして大声出しまくりの高杉。

「え〜ご臨席の皆さん、この度、我が親友の久坂玄瑞君が、かの吉田松陰先生の姪御・文さんと結納を交わす次第となりましたー」

 途端に、ホールがざわめいた。僕は慌てる。

「なななななに言い出すんだよ突然!」

「お前な〜、義理とはいえ吉田先生の弟になれるんだぞ?!名誉だろーがっ。てのはウソちゅーわけではないが、俺一人が妻帯者なのはもう卒業〜。久坂玄瑞、やるときゃやれ!子供はめちゃくちゃ可愛いぞ。そしてPTAを乗っ取るんだ!」

「そういう問題じゃないだろ!!」

「俺的にはそういう問題だ。ハイ決定〜、おめっとさん」

 高杉の問題発言の終了と同時に、会場はパチパチパチ…と拍手で溢れてしまった。木戸さんも笑って祝福している。

 なんということだ…




 という訳で僕は杉文さんと結婚してしまった。松陰先生の塾があったし僕の仕事も忙しかったから新婚旅行は出来なかったけれど、結婚してからの毎日、僕と文さんは仲良くやっていた。

 文さんは塾の事務方にひとり雇って、家事を中心にしていた。お料理はなにがお好きですか?と聞かれて、玉子焼き、と答えので、僕の弁当には毎日必ず玉子焼きが入っている。それが、美味しい。文さんの手料理は極めて普通のものだけれど、早くに両親を亡くした僕にとっては、こんな毎日が嬉しかった。

 でも、結婚して三年経っても、僕たちの間に子供は出来なかった。

 僕は病院経営をしているだけあって、医学の知識はあるほうだし、兄の遺品となった医学書があるから、それで不妊症について調べてみた。不妊症の原因は男女が一対一で、原因が明らかである場合もあれば、不明の場合もあるそうだ。

 文さんは、まず自分が行ってくると行って、産婦人科を受診した。塾で毎日子供に触れているから、文さんは子供が好きだった。ときどき、高杉が子供を連れてやってくる。高杉には東一という息子がひとりいて、驚いたことに暴れ馬の高杉が、普通に父親しているのだ。しかも結構マイホームパパで、東京に遊びに行ったりはするのだが、ちゃんと雅子(夫人)と東一に土産を買ってくる。自分勝手に生きていた高杉の変わり様には、正直僕も驚いた。

 僕も父親になったら、あんな風になるんだろうか、なんて考えたりした。取り敢えず僕は文さんの診察の結果を待つことにした。

 産婦人科から帰ってきた文さんは、なんだか妙に落ち込んでいた。

「文さん」

「…あ、お帰りなさい」

「具合でも悪いんですか?」

「あ…いえ……大丈夫です。すぐ、ご飯の支度しますね」

 そう言って彼女は立ち上がったが、悉く滅入った顔をしていて、ほんとうに元気がなかった。不妊のことで、なにか酷いことでも言われたのだろうか。とても、僕の方から聞きだせる状態ではなかった。

 その後の文さんの様子もおかしかった。ここのところ毎日、ソファに座って編んでいた赤ん坊用の編み物にも手をつけず、ひたすら俯いてしまっている。せっかく淹れたお茶もすっかり冷めてしまった。

「文さん、どうしたんですか?」

「……」

「医者に酷いことでも言われたんですか?」

 所謂ドクハラでも受けてきたのではないかと、僕は思ったのだ。

 すると文さんは、

「すみません」

 といきなり僕に頭を下げた。

「すみません、すみません…」

「ど、どうしたんですか」

「…私は、これからも、子供が産めない体なんです…」

「え…」

「治療しても、出来ないんです……」

「文さん…」

 と言うことは、僕たちの不妊の原因は文さんにあるということか。

 しかし治療しても子供が出来ないとは、どういうことだ。僕は眉を顰めた。でも落ち込んでいる文さんを問い詰めるわけにもいかなかった。

 子供のことは後で考えることにして、いったん話を打ち切った。文さんはその日ずっと、苦しそうな顔をしていた。

 次の日は日曜日で詩吟の会があり、僕は朝から家を留守にしていた。羽織り袴に下駄という格好でマンションから出て、近くの公民館まで下駄の音をからんころんと鳴らしながら歩く。会は昼前に終わって、再びからんころんと鳴らしながら、元来た道を僕は帰った。

「ただいま文さん」

 マンションに帰っても、文さんの姿は見あたらなかった。

「買い物にでも行ったかな」

 僕は軽い気持ちで台所に行って、水を飲もうとコップに手を伸ばし、それに気がついた。

「……」

 テーブルの上に置かれた白い紙に連なる、細い、文さんの文字。



「私とは離縁してくださって構いません」



 僕は下駄を鳴らして隣町まで走っていた。羽織袴がひらひら言って、僕の格好をみて皆振り向くけど、構うものか。

 走りながら僕は、今まで読んだ兄の医学書を思い返していた。感情の無い文章を頭で繰り返すうちに蘇ってくる、昨日の文さんの顔。診察結果が出る前までの顔。結婚したときの顔。毎日、僕を送ってくれるときの顔。

 文さんは橙色が好きだった。なぜなら僕が好きな色だから。結婚した年の冬に彼女は橙色が入ったアラン模様のセーターを編んでくれた。僕が風邪をひいたときは、朝から晩までずっと世話をしてくれた。なにもかも、僕のために。僕が小さい頃親を亡くしたから、兄も亡くして、僕がひとりぼっちだから、出来た隙間を埋めるようにして、僕の傍にいてくれた。

(文さん―――――)



 体の左右に傷があって

 胸は小さいままで

 治療しても子供には恵まれなくて

 彼女の体は

 染色体は





 ――――― 46,XY ―――――





「松陰先生!!」

 ガラリと玄関の引き戸を開けると、松陰先生が困惑した顔で僕をみた。

「久坂くん…」

 僕は下駄を脱いで言った。

「文さんと会わせて下さい」

「それが…文は…」

「話だけでもいいんです」

 失礼します、と言って僕は先生の家に上がった。玄関の隅には、文さんの靴がきちんと揃えられてある。

 僕は足音を抑えることを忘れて、文さんの部屋に向かった。文さんの部屋は和室で、閉じられた襖を開けることは出来るのだけれど、僕は自分を落ち着かせるために、開ける事はぐっと堪えた。

「文さん、聞こえていますか?僕です、久坂です。…手紙、読みました」

 部屋の気配は動かない。それでも僕は続けた。

「……ひとりで溜め込むなんて、酷いですよ。僕のこと、信じて下さらないんですか?文さん、僕、帰りませんから。貴女が僕のために玉子焼き作ってくださるまで、帰りません」

「……」

「文さん」

 きっと彼女は何も知らされていなかったのだ。多分、松陰先生も。亡くなった文さんの両親だって、彼女の体のことを、たとえ真実だからと言って、おいそれと彼女に打ち明けることは出来なかったのだ。だから誰も何も悪くないのだ。

 結婚式のときの文さんは、とても喜んでいた。僕なんて、まだまだ木戸さんに対する想いを残していた男なのに、そんな僕でも喜んでくれた。大した取り得の無い僕を、貴女は普通に、受け入れてくれたじゃないか。

 だから次に彼女を受け入れるのは僕の番なのだ。

「…離縁なんてしませんから。絶対しませんから」

「…」

「貴女の体がどんなであろうと、僕の妻は貴女なんです!」

 途端、ぱぁん、と襖が開いて、彼女が僕の胸に飛び込んできた。いままでに無い、というぐらい、彼女は大きな声で泣いた。僕たちのことを見守ってくれていた松陰先生の深い溜息が、僕の背中のほうで聞こえた。文さんはかなりの間泣き続けていたけれど、僕は彼女の好きなようにさせた。僕の着物がぐしょぐしょになっても、構わなかった。

 彼女の涙が治まってから松陰先生を含めて、僕たちはゆっくり話し合った。

 文さんは、どうしても僕の子供が欲しいと言った。

「僕の子供って…」

 文さんが言うには、僕の遺伝子を継いだ子供が欲しいのだそうだ。

 つまりそれは、文さん以外の女性の卵子から出来る子供ということで。

 だが文さんの体には子宮が無い。

「私は、どんな形でもいいんです。玄瑞さんの赤ちゃんなら…」

「………」

 代理母なら、外国に行かなければならない。卵子提供プラス代理母となると、リスクが高まるな…

 さてどうしたものか。僕が思いあぐねた瞬間、松陰先生が文さんに向かって言ったのだ。

「どんな形でもいいのだな」

「はい」

「久坂くんの子なら、相手は誰でもいいのだな」

「はい」

「………」

 ―――――相手?

 松陰先生の意図するところが分かって、僕は顔の前で手を振った。

「って、それは、いくらなんでもあんまりですよ!」

「いいんだ、文がいいと言っているのだから」

「しかしですね――」

「いいんだよ。その代わり、文と僕を、名付け親にさせてくれないか」

「……」

 二人とも大人しい顔をしているのに、過激な性格だったんだなぁ。

 それからしばらく経って、僕は顔なじみの女のなかで、一番聞き分けがよくて、一番気性のさっぱりした女に頭を下げに行った。

 代理母をやってくれないか、と。

「代理母?」

「そう」

「それって………日本では法律違反じゃないの?」

「他人の子宮を借りるだけなら、違反行為として罰せられる」

「そんなのダメよぅ」

「仮にも僕は病院経営者だ。君をそういう目には遭わせないよ」

「そうよね、天下の久坂がそういうことは、しないわね」

「君の子宮と、卵子を、提供して欲しい」

「………へぇ…」

「金はいくらでも出す」

「やーねぇ」

 僕が言うなり、彼女はカラリと笑った。

「やってやろうじゃないの、“代理母”。お金なんて要らないわよ。これでも結構稼いでるから、一年ぐらいは遊んで暮らせるの。それよりも、アタシの子供、可愛がってよね」




 翌年、赤ん坊が我が家にやってきた。

 文さんは、松陰先生と話し合って、その子を「ゲンキ」と名づけた。

「げんき?」

 玄機とは、死んだ兄の名前だ。

 不吉な予感がした僕が二人の顔を見比べると、松陰先生は僕の顔の前にパラリと半紙を広げた。

「ゲンキはゲンキでも、ヘルシーな方のゲンキだよ」

 なるほど、“元気”か。

「せっかく元気に生まれたのだから、そのままの名前がいいと思ってね」

 松陰先生は晴れやかに笑った。

 文さんは元気を胸に抱いて、幸せそうな顔をしている。僕は本気で、こうしてよかった、と思った。

 以来僕の家は、赤ん坊の泣き声と笑い声で毎日が賑やかだ。高杉も自慢の息子を連れてきて、うちの息子で遊ばせている。文さんは、高杉の雅子さんと仲が良くて、女同士で盛り上がることもしばしばだ。

 ああ、赤ん坊を抱いて笑っている文さんは、綺麗じゃないか。木戸さんと同じくらい、綺麗じゃないか。

 そう言えば、今度彼が木戸家のパーティのために、こっちにやってくるんだっけ。

 きっとそのときに…

 この子を僕たちの子供として彼の腕に 抱き上げてもらおうと、思う






 久坂を書ける日が来るとは思っていませんでした。私の方から、彼にお礼をいいたい気分です。文さんとお幸せにね、秀三郎。
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