19歳の冬、私はひとりの友人を故郷に見送った。
ユーリ・クラシオヴァ。留学先のドイツでの私のアパートの同居人であった。私は彼と、いわゆる共同住居グループを組んでいた。
『今度のルームメイトは、タカシのことを分かってくれるやつだといいな…』
ユーリは、大学で専攻していた普通主学科(Hauptfach)も副専攻(Nebenfach)も同じとあって、学問のこともプライベートのことも気軽に口に出して話し合えるという、時折病的なまでに神経の尖りやすい私にとっては得難い良き理解者であった。そのユーリの父親が病で倒れ、母親も精神的にまいってしまったために、一人息子のユーリはポーランドへ帰郷することになったのである。
学問はいつでもできる、でも親にはいま付いていなければ、明日にはもういないかもしれない。
そう言いながらユーリは退学願いを提出してきたのだった。その背中を間近でみていた私の胸が、痛まないわけがなかった。
日本を離れて、あと数ヶ月で一年が経とうとしている。日本での大学進学に魅力を感じなかった私は、高校卒業と同時にドイツに渡り政治学と哲学を専攻していままでやってきた。異国の地でやってこれたのは、やはりユーリという無二の親友が傍にいたからである。英語交じりの会話をするうちに互いの国のことを話し、国の言葉を教え合い、文化を知り、互いを知った。本当に親友となった。毎日が穏やかで楽しかった。
その彼がボストンバッグ一つを持って、この冬の寒い時期に去ってしまうのである。文通と再会を約束したとは言え、私は自分の半身を喪うような錯覚に襲われそうになり、情けない貌で彼の姿を、降りしきる雪の中で必死に両目に焼き付けようとしていた。
『ユーリ…』
『タカシ、ゲンキデ』
ホームにベルが鳴り響いた。
ユーリは電車に乗り込み、ゆっくりと階段を昇った。私は電車の扉の横にある手摺りを掴み、彼をみる。なかなか離れようとしない私を駅員が見つけ、下がるように言ってきたが、それでも彼の貌から私は目が離せなかった。
『ユーリ、』
『Auf Wiedersehen!タカシ』
ユーリが笑ってそう言った次の瞬間、彼の笑顔は無機質なドアに半分遮られた。背の低い私には、彼のアイスブルーの瞳とブロンドしかみえなくなる。
そうしているうちにガタン、と音がして電車が走り出した。あ…と思っている間にも彼との距離が開き始め、電車は私をプラットホームに取り残して遠ざかる。
微かだが、私の視界の奥でユーリが私に向かって手を振ったのが見えた。私は、電車がその長い車体でホームに流線を描きながら走り去っていくのを呆然と見、車体が完全に視界から消えるまでそこに立ち尽くしていた。
クライトベルクはドイツ南部に位置する小さな町である。
マイン川の支流に沿って立ち並ぶ居住区のなかに私のアパートもあり、支流からマイン川本流に向かってしばらく行くと、私の通う大学がある。18世紀に創立されたあまり大きいとは言えない総合大学(Universität)で、町全体が大学町(Universitätsstadt)になっており学問するのに相応しい環境と言える。
留学前の私のもつドイツ人のイメージとは、常に頑健で勤勉であったが、ある意味想像どおりで、ある意味違っていた。彼らは労働に対しても休暇に対しても、学問についても遊興についても、同程度に大真面目なのである。大学で政治学を主専攻した日本人は私だけで、ほかは殆どがドイツ人であったために、彼らは暇さえあれば私を連れてクライトベルクを案内してくれた。お蔭でクライトベルクについて私はほとんどのことを覚えることが出来、休日にはユーリを連れて私のほうが案内するぐらいだった。タカシもドイツ人の大真面目ぶりがうつったようだ、とユーリは笑った。
クライトベルクにはいくつか古城があり、そのうちのひとつがマイン川支流のすぐ傍に建っている。ドイツ人の友人らは、この城はハイデルベルクにある古城に良く似ていると言った。だから春にでも、ユーリとふたりでハイデルベルク散策に行こうと計画まで立てていたのだ。
そこで私は溜め息をついた。愚かなことに、私はユーリの写真を一枚も撮っていなかったのである。四六時中ともに過ごしていたのに、彼の思い出となるものを積極的にもとうとしなかったのだ。いつもいつも、肝心なところで抜けてしまう私を理解してくれたのは彼だったのに。
さくさく、とうっすら雪の積もった街を歩きながら、再び私は溜め息をついた。
バイエリッシェアルペンを遠く南に望むこの街に降る雪は、私の育った日本海沿岸に降る雪とは質が違い、水分が少なかった。夏も日本に比べれば湿度が低い分過ごしやすく、冬も思ったほど寒くない。土壌も、ドイツのなかでは肥沃のほうであり、ワインや小麦などで生計を立てている家庭も多かった。無論工業もないことはないのだが、環境保全に対する意識が非常に強いため、街の景観も自然も大切に守られている。街ひとつだけ取っても、学ぶべきところが非常に多かった。
だから留学してきて本当に良かったと思うのだが、親友を喪って次にやってくる同居人と上手くやっていけるのだろうか、という不安が頭を擡げてきて、どうにも落ち着かない。最初からユーリという、公私ともに親しい人間に会えたのが災いしなければ良いのだが、ひととの出会いは私個人の力ではどうにもならない。
例えば、もし次に訪れる同居人が、晋作のような人間だったらどうするか…と考えるだけで私の頭は即座に痛み出すのだ。
高杉晋作は高校のときからの親友で、私の知りうる限り、一番の世話の焼ける男だった。放っておけばいいのに、困るのは晋作がどんな悪さをしようとも周囲が誰一人としてそれを諌めず、寧ろちやほやして、ついには全員で彼を祭り上げることだった。
生まれも良く、また頭の回転も早く、第一カリスマ性があって、どうしても周囲から羨望の眼差しというものを惹きつける男なのだが、とばっちりがこちらに来るのには毎回うんざりしていた。しかし、何度酷い目に合わせられても(といっても高校生のやることだから、いま考えれば大したことはないのだが)結局彼の思うが侭にさせてしまう私も、やはり晋作を甘やかして喜んでいるのかも知れない。
晋作は折角行くのなら大きな国がいい、と言う理由だけで留学先をアメリカに決め、ドイツにいる私のところに気が向けば電話をかけ、ついでに遊びに来るという、相変わらずの好き勝手ぶりを発揮していた。…もしもそういうタイプの人間が今度の同居人だったら、私はこの異国の地で一体どうなってしまうのだろう…?
思いながら私は階段を上って、コートのポケットから鍵を取り出して扉を開けた。コートに積もった雪を払って静かに扉を閉める。部屋は、さきほどユーリと出るまでずっと暖めていたのでそれほど冷えていない。私はコートを脱いで壁にかけた。
「………」
仕立ての良いバーバリーのコートは祖父の形見である。私がいつも左腕につけているローレックスは、私が高校に入学した折に―――――いや、正確は私が木戸家に入った折に―――――祖父から贈られたものだった。
『お前は桂家から貰った大切な坊…自分を粗末にしてはいけないよ…』
私は、山口県の萩に生まれた。生家は眼科医院を開いており、私はそこの長男であった。私には年の離れた姉が一人いて、私が小学生のとき医科大学に入っていて、父の後を継ぐと張り切っていた。
私は父を尊敬はしていたが、何故か医学には興味を抱かなかった。一対一の世界よりも、もっと広い世界で生きてみたいという気持ちが強かったのかもしれない。医者になるつもりは全くなかったが、いわゆる勉強が好きだったので剣道と平行して励んでいた。
木戸家から養子入りの話が入ったのは、私が中学二年のときである。尤も、私は知らなかった。私がその話を聞いたのは中学三年の秋のことだった。
母の話では、父は相当悩んだらしい。桂という家は別に旧家でも資産家でもない、ただの家だったが、それでも年老いてから生まれた長男に家督を継がせたいという気持ちが、父にはあったようだった。だが、相手が木戸家ということで、即座に断ることも出来なかったと聞いた。
木戸家は山口県下関市に本拠地を置き、主に中国・四国地方をその原動力の基盤とする大企業グループの総帥である。「木戸興業」がその正式名称であるが、俗にKグループと呼ばれ、瀬戸内工業地域を中心に、日本全国で各産業部門のシェアを確保している。しかし木戸興業の本来の役割は地元で産業を興し、就職口と給料を提供し、会社運営の手解きをしいずれは自立させ、最後にその会社のほとんどすべての権利を譲渡して、地元の民を主体にして産業をその地に根付かせることであった。今までに全ての計画が成功するという、日本では稀に見る実績をもつ総帥を務めている。
さらに木戸家には代々奇異とも言える慣習があり、それが養子取りであった。
別に、子供に恵まれないなどの理由があるのではない。木戸以外の家から見込みのある人間をグループに引き入れ、将来に繋げるのである。私はそのひとりに選ばれたのだった。
その時点で木戸家に既に三人の男児が養子入りしており、私は四番目という段階だった。不思議なことに、木戸家では四番目を養子に迎えるということに対する反対意見はでなかったと言う。つまり、私の養子入りを渋っていたのは桂のほうの父なのだった。
無理もないわよ、と姉は言った。
『なんだかんだ言っても、父さんは小五郎が家を継ぐのを楽しみにしてきたんだから』
私のもとの名を桂小五郎と言う。
『小五郎は…生まれたとき小さくてね、2300グラムしかなかった。だから父さんの両手ぐらいしか身長がなかったのよ。小さいから余計可愛い可愛いってねぇ』
優しい父が好きだった。
母も、姉も好きだった。
しかし私は木戸の家に行きたかった。広い、大きな世界を知りたかった。父に伴われて行った木戸の家で会った、木戸総一郎と言うひとのもとで生きてみたかった。
木戸総一郎もまた、他家から養子入りした人間である。私が初めて会ったときには、木戸家の常で、年齢の順に関わらず総裁に最も相応しいと判断された者が務めるグループの会長の席に座っていた。既に老境に入った彼の目からすれば私など生意気な学生にしか見えなかっただろうに、彼は私を見るなりまるで本当の孫を慈しむかのように目を細めて喜んだ。
その席では、大して会話は弾まなかった。弾ませなくても、総一郎というひとには人を惹き込む力があり、私はもちろんのこと、父もまた彼の魅力に根負けしたのだった。
中学卒業と同時に私は住み慣れた萩の町を離れ、下関の木戸家に入った。だけでなく、名前を木戸孝允に改めた。と言ってもこの大層な名前は祖父となった総一郎が私に与えたもので、初代会長の孝久という名前から一文字をもらったのだった。
そして下関の私立高校で、私と同い年で、木戸家と昔から交流のある資産家の高杉の家の長男・晋作と出会った。晋作は仏頂面をしていたと思った次の瞬間にはこちらを舐めたような表情になったりと、ころころ貌の変わる男で、めっぽう剣道が強い癖に趣味は三味線という、かなり変わった学生だった。
晋作にとっては私という人格が面白かったらしい。高校ではクラスも同じだったこともあり公私ともに親交を深めていったが、傍からすれば木戸の家の一番下の息子が高杉の坊ちゃんの面倒をみている、ようにみえたようで、実際そのとおりだった。
だからそういう人間がユーリのあとに来ることになれば、私は背負わなくて良い責任やらを無理矢理背負わされるわけで、折角学問するのに相応しい環境にある身にしてみれば、出来るなら勘弁願いたいのである。
私はリビングのソファに座った。セントラルヒーティングが効いて来て、室内は早速暖まっている。このアパートというか貸家は二階建てで、一階を共同で、二階をそれぞれが個室をもって使っていた。
ユーリ…
アイスブルーの瞳と綺麗なブロンドをもつ友人は、ポーランドの冬は厳しいと言っていた。彼の郷里はバルト海に面した港町だと言う。家は貿易業を営んでいて結構裕福なのだが、父親の病は回復の見込みがあまり期待できない状態であった。
『孝行は親が生きているうちにしかできないからね』
と、彼は言っていた。
『ニッポンにも雪は降るの?…タカシは体が弱そうだから、僕がいなくてもちゃんと食べなければいけないよ。来年のクリスマスには君もニッポンに帰るんだよ。…あれ?ニッポンにもクリスマスはあるのかい?』
いつか日本に行きたいと言っていたユーリ。冷たい雪と氷に閉ざされた国に降る雪は、ドイツよりも日本よりも凍てついているのだろう。
ポーランドを出るときに母親が贈ってくれたというコートを風にはためかせながら、彼よりも頭一つ分背の低い私と視線を合わせるために長い背を屈めるようにして顔を私に寄せてきた。毎日並んで台所に立って互いの料理の腕を披露しあった。
キオスクで見つけたと言う日本産の煎餅を買ってきて、美味しそうに平らげた彼。少し遠出をして、帰道に迷って呆然とした私をわざわざ探しに来てくれた彼。タカシが風邪をひくと天国のgrandpaが泣いてしまうよ、と言って笑った彼。
彼の笑顔が私の脳裏に焼きついている。本当の親友と呼べる人間に漸く会えたと心から喜んでいたのに、こんなにも早くに失ってしまうとは。…この部屋に彼が戻ることはないのだ。
私は膝の上で手を組んだ。
そのまま両肘を腿につけて、組んだ手の甲に額を乗せる。そして潤みだした目を閉じて遠く故郷の大地に帰った友人へと祈った。
ユーリ…ユーリ……元気で……………
それからの数日を、私はユーリの思い出とともに過ごした。彼は大学での友人はあまり多くなかったが、それでも「いつもつるんでいる彼はどうしたの?」と尋ねてくる人もいたりした。
何人かのほかの友人とともにいても、やはり周りから温かい空気が消えたようで、私は心に空いた穴をぼんやりとみつめたまま自分もその穴と同化していきそうな今にも鬱に向くような精神状態になっていた。だから次に来る留学生は日本人だという噂が囁かれだしても、私は大して興味を抱かなかった。
「元気ないねタカシ?」
「...Ja」
「ニッポンには帰らないの?」
「帰らないよ」
「ニッポン、ショーガツ!キモノ着ないの?」
「Nein」
「タカシ、つまらない」
…悪かったな。
私はひとりごちた。アメリカ人とドイツ人のクウォーターで日本がアメリカとドイツの次に好きという彼女は、私をからかうだけからかって教室を出て行った。私は溜め息をつきながら本とノートをブックバンドで括り、席を立った。
外に出ると「タカシ遅ーい!!Hurry Up!」という声に襲われて、私は再び溜め息をついた。彼女、エレオノーレは、ユーリが帰ってからは私を連れて歩くのが習慣にしているようで、口さえ慎めば人形のように可愛らしい顔立ちをしているのに彼女は大変なお喋りで、つまり私はつかまってしまったようだった。
「タカシ、新しい留学生見た?」
「いや」
「He's a thin man!So cute!私タカシも好きだけど、ああいうひとも好き。きっとタカシとお似合いね」
「ふうん」
「…やっぱり今日のタカシはつまらない」
つまらないどころか、私はその留学生と一つ屋根の下でこれから暮らさなければならないことに対する不安で埋もれそうになっていて、とても彼女のジョークに付き合える余裕はないのだ。
どんな男なのだろう。私はエレオノーレがひとりで喋っている間にも、去ったユーリの顔と思い出しながらその留学生の顔を想像していた。
エレオノーレは「Tschûß!」と手を振ると、角を曲がった。私はその十字路を真っ直ぐ歩いてアパートへと歩いていった。雪は降ったりやんだりだったが、私がアパートに着く頃には降り積もった雪が歩道から消えないほどになっており、今夜は冷えるかもしれないと、私はコートの襟を立てた。
階段を上り、鍵を開ける。毎日の動作の隙に、ユーリの顔が浮かんでは消える。ユーリに重なる祖父・総一郎の顔。あれほど私を可愛がってくれた祖父は、一年前に死んだ。心労も重なって衰弱していく祖父の枕もとで、私は尊敬する政治学者のいるドイツの大学で修学したいと言った。祖父は行っておいでと答えた。
『お前の望むままにゆくがいい…しかしいつかは必ずここへ帰っておいで。いいな?お前になにかあったら桂の家に申し訳がたたん。お前は儂がみつけた子。だからお前は飛び立って必ず大きく羽ばたくとも!』
それが、祖父が私に残した最後の言葉だった。祖父・総一郎は去年の暮れに家族に看取られながら静かに息を引き取った。
あの喪失感、虚無感を、私は忘れられない。親しいひとが亡くなるという場面に生まれて初めて接触した私はその後の高校生活を半ば自失して過ごせざるを得なかった。尤も、語学の勉強だけはきちんとこなしていたが、あっという間に月日が去って、気が付けばドイツに渡っていたという感がある。
そしてユーリに会った。晋作よりも大人で、私と同じ視線で立っている心穏やかな友人だった。
『今度のルームメイトは、タカシのことを分かってくれるやつだといいな…』
彼との思い出、ユーリの言葉が蘇る。エリオノーレが言うには日本人だと言う。
『きっとタカシとお似合いね』
男同士なのに、可笑しな台詞だ。
……それは私に対する彼女なりの、励ましの言葉だったのではないだろうか。
私ははっとした。
ユーリが去ってからそういえば、エレオノーレ以外の友人からもほとんどユーリの名を聞いていない。第一、ユーリが去るまえまでは私はユーリと常に二人で行動していただけに、エレオノーレとはそれほど親しい仲ではなかったのだ。ユーリが去ってすぐにエレオノーレが私に接近してきた。それは、鬱になりがちな私を彼女の底抜けの明るさで現実に引き戻そうとしているということなのではないだろうか。
ふと零したことがあった。
『ユーリ、君がいなくなったら私は…』
そのとき私は彼の荷造りの手伝いをしていた。私の愚痴に、ユーリは手を止めて私をみた。
『タカシ』
『…いや、すまない。忘れて欲しい』
『Nein』
『?』
ユーリは立ち上がって私に近づき、私の肩に手を置いた。
『大丈夫。タカシには友達が沢山いる』
『…!ユ、』
『僕は信じてる。だから君を置いていける』
『…ユーリ…』
『僕はここが好きだ。タカシのいるこの町が好きだ。この町も、この家も…僕の好きなここに、僕の親友を傷つけるやつなんか入ってこれない』
ひととの出会いは、自分で選ぶことは出来ない。しかし、ひととの関係を作ることは出来る。それを保つのも壊すのも、結局は自分だ。
実家との別れや祖父との死別、さらに親友との生別が私の精神を蝕もうとしている。しかし同時に、世界は私に対して本当は常に開かれているのではないだろうか。そして新しい世界に目を遣り、そこへ飛び込んでいけるだけの力を、私は祖父や木戸の家やユーリからもらってきたのではないだろうか。
やがて訪れる留学生という男に対しても。
きっとそうなのだ。
ユーリ曰く、信仰とは疑うことを止めて信じることなのだそうだ。ならば私はこの異国の地で、私の人生なり生き方なりを疑わずに信じてみようか。
記憶のなかでユーリが微笑んだ気がした。
そのとき、玄関のベルが鳴った。私は立ち上がり、玄関へ行って錠を開けた。すると黒いコートが目に飛び込んできた。随分背が高そうだ。
「Entschuldigen Sie? Ich heiße...」
男はそこで口を止めた。
「……」
私が見上げたのは、雪を背にして浮かぶ、薄い色の虹彩。
灰色だろうか、しかし部屋の灯りを浴びて金色に輝いてみえる。男はその瞳を見開いて、私の貌をまじまじとみつめてきた。
「……………」
「……?」
貫くような視線が痛い。…何だ?
私は彼の沈黙を破るために、彼が手にしていたメモをみて日本語で喋った。
「確かにこれはここの住所だけど…日本人の方、ですか?」
男の彫りがあまりにも深いために、私は確認した。
「え、あ、…はい…」
どうやら日本人のようである。の割に背が高く、漆黒のコートが白い肌と対照的である。髭をたくわえてはいるが、年齢は私とそれほど変わらないだろう。少なくとも、晋作のもっている不安定要素は彼の雰囲気からは垣間見えなかった。
ユーリ、私はどうやらこの男とやっていけそうだ。
思いながら、私は手を差し出した。
「私は木戸。木戸孝允」
「大久保です。…よろしく」
そう言って握った手は冷たくて大きかった。
その大きさに私が「大きいな」と笑うと、大久保と名乗った男はどこか切なげな貌で私をみて静かに微笑んだ。男の顔の隣で、私のユーリが笑った。
お待たせしました。
サイト開設すると決めてから二年、そして「ぽかぽか堂」呉いちよう様に大久保×木戸やります宣言してから10ヶ月も経ってしまいました。呉様ごめんなさい…でも私がいなくても呉様をはじめ、木戸孝允愛好家の皆々様が結構いらっしゃるようなので、私は安心してました。
クライトベルクは想像上の町です。ドイツ語の表記は舞台を1998年以前に設定している(つもり)なので、旧式です。覆霞のドイツ語はあてになさいませんように。