Take Me To YourParadise






「絶対やだ」

 と、数分来俺は言い張っている。

「なんで?!」

 反論するのは、ひやかしに来た俺の姉貴で。

「やだったらやだ」

「刑事がわがまま言ったらだめでしょ」

 いま職業は関係ない。

「嫌なものは嫌だ…うわ、やめろって!」

「賑やかだねぇ」

 と、姉弟の体裁を整えにきたのは俺の母だった。しかしお袋は盆に湯飲み・急須・菓子皿を乗せてきただけで、俺の味方をするつもりは全然なさそうである。

「母さん、なんとか言ってよぉ」

「そう言われてもねぇ」

「姉貴の味方なんかすんなよ」

「ふたりともあたしの子だからねぇ」

 …やはりお袋に期待するのは間違いのようである。

 諦めた俺は、姉貴が持っている服を姉貴の手から取り合えそうと腕を伸ばしたが、あと少しのところで逃してしまった。

「返せ」

「じゃぁ着るのね」

 俺がはぁと溜め息をつくと、姉貴はフフンと勝ち誇った顔になってその服を両手でぱっと広げ、お袋に見せびらかした。

「ねっ、カワイイでしょ!このフリルも超カワイイの!」

「…あら、ほんとうだ。そんなに派手なものじゃないよ。一、やっぱり着てごらん」

「やだ」

 だーれが。

 一体どこの世界に、白とピンクのタータンチェック柄の服を着る男(しかも刑事)がいるんだよ。

 しかも、しかもだ。

 …と俺がひとりごちようとしたとき、服を広げてみていたお袋の声の調子が変わった。

「…あら?これ…」

「どしたの」

「…これ、OOHARAって書いてるわよねぇ」

「うん、そうだけど」

「OOHARAって、錦糸町にあるオーダーメイドのOOHARAのことじゃないかねぇ?」

「えーっ、本当?」

「……?」

 女どもの会話がそこまで来て、俺の頭が漸く戻ってきた。

 オーダーメイドォォ?

 あいつ、そんなことひとことも言っていなかったけど。

 少し遅くなる、と家に電話を入れた大久保が帰ってきたのは昨夜の夜八時を少し過ぎた頃だった。

 昨夜は金曜日で、金曜日は午後三時頃に終わって社員に家族サービスの時間を提供することを主眼(?)にしている大久保の会社は、確かに他の会社よりも早くひけることが多く、早くひける分家族と買物に行ったり実家に帰って親孝行したりする社員が非常に多いのだ。

 なぜそれが俺にも分かるかと言うと、大久保が今日はどこ課の誰ダレ君からご実家のほうの土産をもらった、と行ってさも嬉しそうに(というか、本当に嬉しいのだろう)俺に差し出すのである。

 ので、東京生まれ東京育ちで、「故郷」という感覚の薄い俺でも、日本という、狭いようでいて広い国の地方の食べ物やらなにやらについての知識が入ってくるようになった。

 まぁ平社員が早くひける分、幹部が残業することは往々にしてあることなのだが、大久保の会社は効率が良いのか、それでも他社に比べるとやはり早いそうである。

 で。

『斎藤、これ』

『?』

 帰宅するなり大久保はきれいに包装された箱を差し出した。

『明日、お母さん達が来られるんだろう?そのときにでも開けてみてくれ』

 と言った。

 いつものごとく土産だと思ってそのとおりにしたのが間違いだった。というわけで頭痛再開。

 そして俺をそっちのけにして女どもの会話は進んでしまう。

「ほら勝、お父さんのお父さんが大事にしているスーツがあっただろう。仕立てがすごく良かったからお義母さんにあたし聞いたことがあったんだよ。そしたら錦糸町のOOHARAで作ってもらったと仰ってねぇ」

「あー、あれかぁ。オーダーメイドだったんだぁ」

「いつかうちのお父さんにも買ってあげようと思ってたんだけど、あのひと、スーツじゃなくて作務衣(さむえ)が欲しいって言って、笑っちゃったわよねぇ」

「そうそう、作務衣はお母さんとあたしと一緒に選んだんだったわ」

 そういや、俺の親父は休日となるとパジャマでもなくジャージでもなく、まして普通の服でもなく作務衣を着ているのだった。いまは退職して悠悠自適の生活だから、もしかしたらたったいまも作務衣を着ているのかもしれない。

 麻が気持ちよくてなぁ、というのが口癖だった気がする。変わり者であるのが自慢の親父は、今日ここに来る予定だったのだが町内会のなんたらかんたらに出席しなければならなくなり、急遽親父の替わりに姉貴がマンションに現れたのだった。…親父が来ていれば事態はもう少し変わっていたのかもしれない、と俺は再び溜め息をついた。

「オーダーメイドなんだから、やっぱり着たほうがいいんじゃないかい、一」

「あんたのなにもかもを知っている大久保さんが注文したんだから、絶対ぴったりよ!」

「もうすぐ大久保さん帰って来るんだろう?ほら、着てごらん」

 言うなりお袋は、服を広げてソファにむっつり座っている俺のほうに近づいてきた。姉貴は俺の逃げ道を封じるように立ち塞ぎ、じりじりと俺との距離を狭めてくる。…本気(マジ)かよ?!追い詰められる刑事なんてサマにならん!

「ちょっと待てって!」

「せーの」

「わーっ」

 …………

 大久保の笑いが止まらない。

 通常それは「微笑み」と表現されるものなのだろうが、俺にはいやらしいワライにしかみえなかった。

 お袋は鼻歌を歌いながら夕飯を作っている。姉貴は俺の背中に立ってさっき無理矢理俺に着せた服のリボンを結んでいた。

「はい出来た!」

「………」

「可愛い可愛い!ねっ大久保さん!」

 言うと姉貴は大久保のほうをみて、俺の背中を押した。そして俺は、どうしても大久保の視線とかちあってしまう。いやらしい目つき。取り澄ました表情を作りながらも、瞳の奥で笑ってやがる。

 大久保はじぃっと俺をみた。みるなり、

「似合うよ」

 と言った。

「…ッ」

 嬉しくなんかない!と、俺は叫びそうだった。そんな大久保に、姉貴が拍車をかけた。

「んもう一ったら、これ、あんたのために大久保さんが注文してくれたのよ?!お礼の言葉とかなんかないの?」

「……」

「大久保さんごめんなさいね。一って、言葉足らずなのよ〜ほんとは嬉しいくせに、さっきも「絶対やだ」って言ってなかなか着ようとしなくて大変だったの。ねぇ母さん!」

 お袋まで入れるなって。ややこしくなるから。

 俺がひとりごちている間にお袋は大久保に茶と菓子を勧め、俺をみて笑った。

「ほんと大久保さんすみませんねぇ。一は昔っからシャイでねぇ」

「わかってます」

 それは誰よりもこの俺が一番、と胸を張って大久保は自信ありげに答えた。

 …どーゆー意味だそれは。

 俺はぶつぶつ文句を言ったが無視され、俺は手首を姉貴に掴まれた格好で廊下に引きずり出された。

「はい、鏡で最終チェックしましょ。さぁ、こっち来なさい」

「おい、って、うわ!」

「大久保さんも母さんも来て!っほらどう?!かーわいいでしょ〜」

「………」

 断じて認めたくなかったが、玄関先の鏡のまえには、マタニティドレスを着た俺が立っていた。ただのマタニティではなく、レースとリボンが散々つけられている、着る相手が違うだろうとしか言いようが無い服装である。ていうか、俺はこんなものを着たがる連中の気が知れないとさえ思うのだ。なんでこんな不恰好で効率性の無い格好をせにゃならんのだ、しかもこの俺がっ。

「似合うじゃないの〜よかったわね〜これであんたも立派なママよ」

「一があたしのお腹にいるとき、あんまり動かなかったもんだから、てっきり大人しい女の子だと思ってたんだよ。それが生まれたら男の子で、刑事になっちゃったから吃驚してたんだけどねぇ…ちゃんと似合うじゃないか。大久保さんにきちんとお礼するんだよ。一、聞いてるかい?」

 聞かねぇよそんなモン。どこの世界に、どピンクのどレースマタニティを着る刑事がいるんだよ。

 鏡の中の俺は拳をつくってふるふる震えていた。それは、マタニティの華やかさと裏腹で傍目からみれば可笑しかったが、とうの本人の身からすると気色悪いこと甚だしい。

「…なんで俺がこんな格好するんだよ…」

 これでも剣道部の主将やってたのに…などとぼやきながら俺は服の贈り主を横目で睨んだ。大久保はにやりと笑った。

 俺たちが睨み合っているのを他所に(正確には、俺が大久保を睨んで、大久保は俺を笑っていたのだが)、お袋と姉貴は夕食の準備の続きをしに、キッチンへ戻っていった。キッチンからはいい香りがしてくる。今夜は大久保の好きな五目寿司なんだそうだ。

 大久保の笑いはまだ止まらない。それがあまりに愉しそうで、俺はキレた。

「あのなぁ!!」

 俺は腹に力を入れすぎないようにして大久保に近づき、やつの襟首をひっつかんで刑事(デカと読む)の目で詰め寄った。攻撃的な嫁だなぁ結構結構、とか言いながら、大久保は嬉しそうな顔を崩さない。

「なんだよこのデザインは?!なんでこんなピンクなんだよ!」

「似合うからいいじゃないか」

「良くないっ!俺はお前と違って、これからこの格好で四六時中いなけりゃならないんだぞ!誰か訪ねて来たらどーすんだっ」

「赤ん坊孕んだ母親が、いつも真っ黒とか真っ青の服を着るわけにはいかんだろう、それにその格好はかなり似合って、」

「あのな、バカッ刀斎とか四乃森とか、沖田とか原田とかが暇つぶしに来るんだ!誰かさんがさんざん宣伝したお陰でな!」

「それはお前ひとりで買い物に行かせるのは危険だから、誰かついてくれるほうがお前だって安心だろうと思ってのことだ、だからその格好は似合」

「もー知らん!!」

 俺はかなぐり捨てるようにして大久保のシャツから手を離し、はぁっと息を吐いた。自由になった途端、大久保が俺の腹に抱きついてくる。

「大声出すとおなかの子に響くぞ」

 やや膨らんできた腹に巻きつく長い腕。

「出させてんのは誰だよ」

「…んー…この子のパパだろう」

 大久保は痩せた肩を揺らしてクックック、と笑った。もうどうすることも出来なくて、俺は深いため息とともに阿呆と吐き捨てた。

 鏡の前で巻きついたり巻きつかれたり、なにやってんだ俺たち。情けなくって文句も出ない。これでも、巻きついているこいつは大企業の部長で、俺は捜査一課なんだ。はぁぁ。

 俺の再三にわたるため息を合図にするかのように、大久保が鳶色の頭をひょいと上げて俺をみた。この視線は絶対なにかを企んでいる。

「斎藤、知ってるか」

「…なにが」

「ピンクは赤ん坊がはじめて目にする色なんだそうだ」

「あ?」

「ピンクは子宮の内側の色で、お前の腹のなかにいるあいだ、子供はお前のピンクにずっと囲まれているわけだ」

「…へぇ」

 だからピンクにした、と大久保は言った。俺は眉を顰める。

「なんで『だから』なんだよ?」

 接続詞の前後の関係がわからない。不審そうにみつめる俺に対して、大久保は眉を上げて、ふふんと答えてくる。

「おなかの子がお前のピンクを十月十日みるのは当然のことだが、赤ん坊だけ見て、俺がみられないのはおかしい。考えてみてくれ、赤ん坊は生まれるまでじっとお前のなかにいられるのに、せいぜい俺は数…」

 ぺらぺら喋ろうとする大久保の口は、突如俺の掌でがっちり塞がれた。

「もがもご、」

「言わんでいいっ!!ていうか一生黙ってろこの阿呆!!」

「もごっ」

 俺が宇宙一の阿呆を黙らせようと悪戦苦闘していると、キッチンのほうから姉貴の元気な声が「ごはんよー」と俺たちを呼んだ。





「…あ」

 利春が生まれて一希が生まれ、大久保が買ってきたマタニティは箪笥の奥に仕舞われたままだった。マタニティはむろん一着ではなくて、…数えたことはないが、結構の数があり、それらは全部オーダーメイドだった。俺の背丈に合う服がなかったとか大久保は言っていたが、やりすぎの観は否めない。

 でもマタニティというのは、妊娠時以外着られることはないわけで、庶民育ちの俺としては、箪笥のなかにしまってあるだけではなんだか勿体無い気がした。

「…ふん」

 俺は一希をおぶい、買い物に行くついでに、マタニティを数着持って、錦糸町にある店へ行くことにした。

 二ヵ月後。

「…まずかったか?そういうの」

 と俺は聞いてみたが、大久保はそれを手にとって、小さく否定した。

 大久保の手にあるのは、大久保が俺のために発注したオーダーメイドのマタニティドレスを、俺が大久保のために例の店で拵え直してもらった、大久保のシャツだった。灰青色と白のストライプ模様のマタニティを、縦縞と斜めとに継ぎ合わせて、大胆なパッチワーク風に仕上げてもらったものだ。襟や胸ポケットも作ってもらって、そこの模様が前身ごろの模様と重ならないように、ストライプの方向を工夫してもらった。マタニティは縫い目が少ないから、背の大きな男性のシャツも作れますよ、とひとの良さそうな店長に勧められるままに、俺はそれを作ってもらったのだった。

 明るい色のマタニティは、クッションカバーに、ベージュのフリースのマタニティはひざ掛けに変身した。他には枕カバーと、ランチョンマット。あまった布切れは持参した俺たちのシャツの袖や襟に上手く縫いつけてちょっとしたアレンジをしてもらった。ひとのいい店長の奥さんは、これおまけです、と言って、小さな巾着をつけてくれた。もちろん元は全部、俺の着ていたマタニティである。

 大久保は、俺がプレゼントした元・マタニティシャツを気に入ってくれたみたいで、早速次の日に着ていた。俺も、元・マタニティの布切れを袖にしたシャツを着、利春に元・マタニティの帽子を被らせ、一希を抱いて買い物に出かけた。お袋はそんな俺たちの姿をみて、一種類の布だけじゃなく、布切れを沢山縫い合わせて本当にパッチワークしてあげようか、と言ってきた。大久保は喜んでしまってあるマタニティを提供した。お前の色でいっぱいだ、などと言いながら。

 …でも、どピンクどレースのマタニティは、箪笥の奥にしまったままだ。

 なぜあれだけには手をつけないでいるのか、大久保が俺に尋ねることは無い。でも俺は自分はたぶん、あれを一番大事にしていると思うのだ。

 あれはさ、これからもずっととっておこうと決めてるんだ。

 なぜかって?

 …あれは、赤ん坊が生まれる前の、大久保と俺がふたりっきりで過ごしていた頃の思い出の証だからさ。

 ちらりと視線を上げると、箪笥の上に飾られた写真の中、ピンクのマタニティを着て膨れっ面をしている俺と、妙に浮かれたあいつが笑っていた。




戻ろうか