GAKUAJISAI no ASENU MA ni


updated on 29th Sep.2005 for St.Michael festival


 木戸は長い睫毛を伏せ、僅かなその隙間から瀟々と降る雨の筋を眺めている。左足が冷気に晒されていてもこの神経質な男が気にも留めない様子を、餌を狙う獣のように気配を消して部屋の隅に座る大久保が凝っとみつめていた。



額紫陽花の褪せぬ間に




 思い出すのは大久保が欧州より帰国して三月が過ぎた頃。当時征韓論で沸き立ち、即刻朝鮮へ派遣されたいと西郷が息巻いて大久保が太政官において孤立無援になり、岩倉ら使節団一行が帰国するまで身を隠していたおりのことである。

 宿泊先の旅館を訪ねてくる者があった。

(誰か)

 と、大久保はいぶかしんだが、東京の川路からの手紙であった。大久保は自室に戻って早速封を開け、階下より運ばれてきた夕餉が冷めるのも忘れて、川路の文字を読んでいる。

「………」

 紙をみる限り、そう長い便りではあるまい。しかし大久保は幾度か繰り返して読み、正座したまま固まってしまっていた。

 外は雨。

「木戸さん…」

 冷徹な男のものとは思えぬ程乱れた声が、小さく響いて闇間に消えた。

 あれから数年。

 太政官が京都に移り、大久保ら参議も旧御所で勤めるようになったが、木戸は病を理由に臥せっている。病とは面目ではなかった。大久保がみたところ、木戸はかなりの重病の域にあるのだ。

 木戸のあまりの様子に伊藤がドイツ人医師を呼びはしたものの、「御回復ハモハヤ難シク」と繰返すばかりで、薬も療養も彼を癒すことは不可と考えるよりほかはなかった。

(…なんということだ………)

 大久保は白い褥に横たわる木戸をみた。

 江戸中に名を轟かせた一流の剣士の貌から生気が丸ごと削がれている。

 あるのは、京五山にかかるいまにも立ち消えそうな靄のように儚く美しい死相であった。

 引き止めたい。引き止めなければならない。このひとひとりを冥府に発たせるわけにはいかない――――――…

 なのに膝のうえの拳が震えるばかりで、なにも出来ない己を大久保は呪うしかなかった。…この神聖な空間に「呪う」という言葉のなんと似つかわしくないことか。

「木戸さん」

 大久保はいつのまにか病床のすぐ傍まで詰め寄っていた。そのことに大久保が気付かぬほど、大久保は木戸の前で自身を喪失していたのかもしれない。

 大久保は布団からはみ出た木戸の掌を取った。鉱石のように冷たくて気持ちがいい程であった。

「木戸さん」

 名を呼んでも木戸は答えない。既に木戸に意識たるものはなかった。時折眼を開けることはあるが、焦点を合わせることもできずにいる状態にまで陥っている。木戸の後輩らはそんな木戸を見舞いはするものの、屋敷を辞するとき誰もが一様に肩を落として行く。あとは時間の問題であった。

「……」

 彼の掌を温めてやる。しかし大久保の温度は木戸に伝わることなく、ただ熱が消耗するだけであった。そんな日がいくつ続いただろう、そしていつまで続くのか。続いて欲しいのか、そうでないほうが良いのか、大久保には判断できない。木戸の額には睡眠中さえも刻まれた深い皺があり、また耳にするのも辛いような苦悶の息づかいが重なっており、或いは木戸の苦しみをこのあたりで終らせてやりたいとさえ思う自分を見つけては、排除するように大久保は努めていた。…それは執着なのかも知れないが。

 …執着…

 そう、執着だ。太政官としても政治家としても大久保は木戸を失うわけにはいかなかった。いま木戸を失えば大久保を協力に援護する者は岩倉を除いてはいなくなってしまうのだから。岩倉は所詮公卿であり、幕末の戦乱を文字通り生き抜いてきた木戸とは比べ物にならないのだ。

 いや。

(…本当にそれだけであれば自分はこうまで取り乱さない)

 ことを大久保は知っている。青白い瞼を見開く余裕さえない貴人を前に己の無力さに打ちひしがれる大久保はの姿は、木戸の屋敷に毎日のように訪れる伊藤の目にも珍しい光景として写っていた。

 大久保が木戸の枕元に詰めている間、伊藤は大久保の背中で控えている。

 …昨夜、“例の”木戸孝允が現れた。それも、伊藤の目の前に。

 伊藤は、ある時期から自分と木戸との間に同じ長州人であるにも関わらず、渡欧以降距離が生じていることを知っていただけに、まさか“あの”木戸を拝めるとは予想だにしていなかったのだ。

 その木戸とは、恨みがましく薩閥を非難する木戸とはまるで違う、京都を長州を以って震撼させた在りし日の桂小五郎そのひとであった。伊藤は長州閥を名乗っているが、元々は百姓ですらなかった男の倅であり、藩上流階級の木戸の傍に侍られるような身分ではない。が、その伊藤を長州藩士として引き立てたのが桂小五郎であった。

『君は私を主人として扱わなくていい。私を同志と思って欲しい』

 こんなことを言える人間が、果たしてこの時代にほかにいただろうか。伊藤はその言葉を聞きながら、身の震える思いがした。だから彼に仕え、彼の描く時代の一端になるべしと駆け抜けてきた。それは明治後も続く予定であった。だが―――――――…

 明治六年の政変の前、東京を離れて観光と称して政府から身を消していた大久保のもとから届いた一通の手紙が、その後の木戸の待遇を変えることになった。

『前略 木戸公におかれましては先日馬車事故に遭われたとお聞き致しました。御病状は然して重くはないと私の部下の言ではありましたが、その後如何お過ごしかと伺いたく御手紙致しました次第であります』

 流石に情報が早い…と、伊藤は舌を巻いた。大久保の言う“私の部下”とはおそらく川路のことであろう。川路が部下を使って大久保に知らしめた木戸の事故とは、彼が欧州より帰国して一ヶ月が経った八月三十一日に起こった。自宅に向かう途中、九段坂にさしかかったときに何に驚いたのか馬が棒立ちになって、その弾みで木戸は馬車から路上に振り落とされ、頭と肩を強かに打ったのだ。

 伊藤は足早に木戸を見舞ったが、そのとき木戸は『高杉(晋作)ほどのあばれ馬は見たことはないが、ただの馬にやられるとは思ってもみなかった』、心配はないと笑って伊藤を下がらせた。

 しかし木戸はその日以来酷い頭痛に悩まされ、ついに極度の不眠に陥ってしまう。もともと神経質な性質の木戸にとってせめてもの安らぎである睡眠を削られて、木戸の不快さ加減は真実深刻なものとなった。具体的には、精神的な余裕がなくなった。他者を受け入れることが出来なくなった。そして、惨めなまでの悲観的客観主義者に成り果てた。墜ちてしまった革命家。

(だめだ……)

 大久保からの便りが伊藤のもとに届いたのは、伊藤が密かにそう思っていたときである。伊藤は手紙に飛びついて、早速返事をしたためた。

 そして幾つかの遣り取りを経て大久保が伊藤に示した今後の指弾は、伊藤にとって意外な方向に向かっていた。

「………」

 伊藤は大久保の背中越しに病床の木戸をみている。昨日“例の”木戸が表れたときに伊藤は大久保に付き添ってこの屋敷を訪ねていたのであるが、終始変わらず閉じられていた瞼がゆっくりと開いて、気が付いた大久保が覗き込むとそこに、高杉や山県から漏れ聞こえていた“あの”木戸孝允がこちらを、正確には大久保をみつめていた。

「……大久保…」

 そのときと同じ視線が大久保に向かっている。伊藤に注がれることはないが、“この”木戸の為すことに、伊藤が口を挟めるわけがない。

 呼ばれて大久保は木戸を起こした。脇息に凭れさせようとするが、そんな体力も木戸は持ち合わせていないため、大久保は木戸の体を抱き起こして、自分の腕に痩せた背中を預けさせた。

 木戸は抗わない。抗わずに、まるで母親の胸で眠る赤子のように安心しきった顔で大久保に抱かれている。その様子を伊藤は美しい、と思った。

 伊藤は知っていた。ふたりがただならぬ関係であることを。大久保が既に“木戸”に許されているということも。…長州でも、酒や薬の力を借りずに“木戸”を呼び出せるのは高杉晋作ただひとりであったのだが、ここに至ってついに大久保が素面のまま木戸の精神を昇華させることができるようになったのだ。伊藤は、大久保を誇らしく思う一方で、焦がれるほどに恨めしく思った。

 このときが永遠に続くのなら私は鬼にでもなってみせよう。

 いつか大久保が木戸に囁いていた言葉を、伊藤は胸のうちに繰返した。

 木戸の視線が虚空で揺れている。言葉を探すときの彼の癖であった。

「薩軍は、」

 とは、少なくとも大久保に対して木戸は訊かない。薩摩が滅びるときがこの戦が終るときなのだが、同時にそれは大久保が艱難を共にしてきた西郷という盟友を失うことを指し、友人を大切にする傾向の強い木戸にはそれがどういうことだか分かっているからだ。

 昨夜、“あの”木戸が表れ、大久保が席を外したときを狙って、ついに伊藤は“木戸”に薩摩の事情を話した。大久保と西郷と久光の複雑な関係を。

『…大久保は、途方もない策士だな伊藤』

 そう言って木戸は苦々しく笑い、その夜大久保は伊藤が辞去したあとも遅くまで木戸の屋敷にいたらしい。翌朝伊藤が大久保を訪ねると彼は目の下に隈を作りながらも、ぺこりと伊藤に頭を下げた。木戸から薩摩に関する誤解が解けたことへの、大久保なりの返礼だった。

『伊藤さん、木戸さんには「なぜもっと早くに言わなかった」と責められました』

 と大久保は苦笑いしたが、それが昨日の木戸の苦笑いと重なって見えたのが印象的だった。

 思えば大久保は誰よりも木戸の傍にいたのかもしれない。

 いつでも、

 いつも、

 どんなときも…

 高杉さえも、大久保は越してしまったのかもしれない。だからこうして藩も過去の諍(いさか)いも消し去って、寄り添うことができるのかもしれない。

 そして“彼”の気配が動いた。

「大久保」

「…はい」

「…西郷は………私が冥府へ連れて行こう」

「!…なんと言うことを仰せられる…」

「構わぬ」

 木戸の頬に差し伸ばされた大久保の腕が、木戸に振り払われた。

 陶器のような白い手。

 木戸は諦め果てたような暗い声でひそ、と呟いた。

「私はもう立てぬ」

「そんなことはありません、木戸さんにはすぐにでも御出願…」

「そういう意味ではない」

 と、木戸は大久保の目をみつめて彼を遮り、乾いた唇を歪めて言った。

「本当に私の左脚は、動かないのだ。触られても何も感じない」

(何……!)

 伊藤は身の毛のよだつ思いがした。明治六年に大久保が予言していたことが的中したのだ。

『拝啓 真に残念ですが木戸公の御回復難しいとされましたる時には、貴公(=伊藤)に木戸公の代わりとして太政官重鎮を務めて頂きたく思います』

 この手紙を読んだとき、伊藤は大久保を危ぶんだ。大久保はこれを機に木戸を政府表(おもて)から排しようとするつもりではあるまいか。そして大久保に傾倒する自分を使って、大久保国家を創り上げてしまう算段ではないのかと。

 やがて岩倉ら一行が帰国し、長期静養から戻った大久保を訪ねた伊藤は事の真相を訊いた。

『この御手紙の意味が私には解りかねます。木戸さんの代わりに私とは、随分な御沙汰ではありませんか』

 大久保は薩摩人の性質として、即答しない。それを良いことに、伊藤は大久保に対して捲くし立てた。

『維新は薩摩と長州が成し遂げたことは大久保さんが最も良くご存知ではありませんか。まして西郷さんらが征韓論で我々と相対しているときに、木戸さんを廟堂から遠ざけるなど、その意味も目的も私には理解できません』

『……』

『私は木戸さんがおられなければこうして貴方の傍におることすら出来なかった出自の卑しい男です。なるほど貴方とも木戸さんとも違う。しかし私を志士として育ててくれたのはほかでもない、木戸さんなのです…!』

 知らずのうちに伊藤は激昂していた。伊藤の脳裏に蘇るのは、長州、京都での恐ろしくささくれ立っていた日々。薩摩勢と異なりいまいち結束力に乏しい長州をまとめえたのは、やはり桂という、粘り強い人間が総帥として立ち続けていたからであろう。

 その木戸を、大久保が排するというのだ。

 許せなかった。

『ご返答願います』

『…』

『大久保さん』

 伊藤はこの、希代の政治家が喋りだすのを待った。要所要所を的確に突いてきたこの男が、何の理由もなく唐突にこんなことを言う筈がない。

 大久保は正座した姿勢を些かも崩すことなく、しかし気持ち俯き加減で言葉を探している様子をみると、やはり大久保は浅はかな意味合いで以って伊藤に手紙を寄越してきたわけではなさそうだった。

 雨の音がする。まるで大久保と伊藤を追い詰めるかのように。

 伊藤の脳裏に、雨の日は殊更に頭が痛む、と嘆く木戸の姿が浮かんできた。以前はあんな病弱な男ではなかったのに…高杉と肩を並べて爽やかに笑っていた木戸がどこか遠くへ行ってしまったようで、それが酷く切なかった。

 大久保は降りしきる雨の輝線を、その薄い虹彩に写しながらに言った。

『私も何度も木戸さんを訪ねましたが、その度に体に異常はないと跳ね除けられました。しかし私のみる限り、どうもおみ足の御加減が昔とは違ったようにみえます』

 私の母の家は医師をしていたので、と大久保は付け加えた。そういえば木戸ももとは医家の出身である。だから木戸も体には気をつけていたし、それは自分だけでなく他の人間に対しても気を使うことが多かった。

『ですが大久保さん、それはどういう…』

『昔聞いたことがあります』

 と、そこで大久保は口調を変えた。これで普段の大久保が戻った、と伊藤は膝を閉めて聞き入ることにした。

『例え喧嘩をするときであっても、頭を打ち付けることはしてはならぬと』

『…』

『私は何故かと母に尋ねました。すると母は……昔目にしたことがあったのでしょう、脳天が粉々になってしまって元には戻らない、悪くすれば息が止まると、苦汁を噛み締めるような顔で答えました』

『では木戸さんは…!』

『正確なことは判りません。ただ…脳病は辛くとも治療のしようがありませんので、木戸さんには静かにお過ごしいただくのが得策ではないかと思いました』

『…そんな……』

 伊藤は目の前が真っ暗になった。木戸の事故の原因は馬車である。維新が齎した西洋文明の証、列強と並ぶための装飾、それが維新を導いたその人の命を削ぐことになろうとは…!!

 赦されるのであれば、伊藤は両手で顔を覆って泣きたかった。だが出来ない。木戸の命が脈々と流れ出でているこのときに、己が取り乱したところで何になろう。寧ろこれから先、木戸のために涙血を潅(そそ)いで奔走するのが己に架された使命ではないだろうかと思った。

 伊藤が青褪める間、大久保も黙って伊藤の激情が去るのを待った。そして漸く震えが収まり伊藤の瞼から赤みが取れると、厳粛たる声で語りかけてきた。

『御役目を引き受けていただけますね』

『無論です』

『これから私も、殆どの大事を木戸さんに指導していただきましょう。なに、それが私個人に対する非難であってもいいのです。すべての批判は私に集めて下さい。病身のあのひとのところへ向かわせることだけは避けなければなりません』

 大久保の言葉に伊藤は確(しか)と頷いた。

『大変難儀を押し付けるようで、申し訳なく思います』

 大久保は頭を下げた。慌てて、伊藤も下げたが、大久保はいつまでたっても頭を上げようとはしない。

(…?)

 伊藤はそっと大久保をみた。鳶色の髪の毛が小さく震えているのが分かった。それだけで充分だった。

 以来、伊藤は木戸と大久保の間を往復して予め大久保に木戸の意向を伝え、木戸を惨禍から守った。木戸は、大久保は自分の具申を一度も取り立てなかったとしたが、それは急進すぎる木戸を、彼の速さに着いていけない人間から隔離するために大久保が拵えた策略であった。木戸は孤立したようにみえたが、伊藤に言わせれば孤立したぶん忙しない連中と渡り歩く必要がなくなったと言うことができ、だから木戸の屋敷を訪れるのは木戸を追従できる長州の人間が殆どであり、それが彼にとって最も安らぐ条件を満たしていた。

 大久保も伊藤も、木戸に必要な治療は安静しかないと思っていた。しかしこうして寝込む木戸を見る限り、木戸の病は回復しているとはどうしても言えない。

 大久保は声を励まして木戸の弱気を諌めた。

「足一本が何です、貴方らしくもない。貴方のいない廟堂に誰が振り向くものですか」

「お前がいるではないか」

「私は存分に『嫌われて』いますから、私ひとりでは民衆を集めることは出来ないのです」

「人気などこれからどうにでもなる。お前が創ろうとしているのは国家だろう、だからお前は、っう…」

 ごほごほ、と木戸は咳き込んだ。日を追うごとに躯も声も痩せ細っているように感じるのは決して気のせいではない。

 そんな木戸の背中を、大久保はそっと撫でてやった。それでも咳は止まらず、吐き出したものに血が混じっている。…やはりもう長くはなかった。口を被う木戸の細く節ばった指を手にとり血を拭ってやる大久保の形いい額に、彼の深い決意が表れているように伊藤には見えた。

「は、ぁ……」

 絶え絶えと吐く木戸の息が痛ましい。生きているのがやっとなのかも知れない。

 このひとが誰よりも打ちひしがれ、同時に決して諦めずに燃え盛っていたここ京都で明日にも命尽きようとしている。

 それでも彼が最後に縋るのは、彼の最大の敵であり味方であり明治の表裏を知り尽くした男なのだ。

「大久保…私は…」

「はい…」

「私は…後悔していない…自分が手がけたことのなにひとつとして……維新も…それからも……大久保…お前とのことも…」

「木戸さん…」

「だが…薩摩について私は暗すぎたようだ……許して欲しい」

「許されたいのは私のほうです、木戸さん…もう…なにも仰らないほうがいい…」

「大久保………」

 伊藤は目を閉じて礼をすると、己をふたりの世界から遠ざけた。静かに襖を開けて体を廊下へ出し、閉める。この廊下を渡るもの最後かも知れぬとそう思いながらも、どこか心が澄んでいくのを伊藤は感じていた。

 木戸は死病に憑りつかれながらも長い間、生きていてくれたのかも知れない。

 …こうして、大久保と真に分かり合うときのために…………



「…伊藤」

「はい」

「長州はお前に任せる」

「はい」

「山県を侮るな。あれは私情で国家を潰す気質を持っている。お前が山県の手綱を取り、必要であれば追い落として構わない」

「お言葉どおりに致します」

「あとは大久保に従え」

「必ず」

 伊藤が力強く応えると、大久保の腕のなかの木戸が微笑んだ。それは、高杉とともに在った日の桂小五郎よりも凛然と眼(まなこ)輝き、夢と希望に満ちていた。

 ああこのひとは生きていた…

「松菊先生…!!」

 思わず伊藤は叫んでいた。木戸は自信溢れた貌で一度頷く。このまま永遠にときが止まってしまえばいいと思い伊藤は木戸の手を取ったが次の瞬間ふ…と木戸の頭が揺れ、木戸は気を失って大久保の胸に倒れこんだ。

「は、早く医者を」

 慌てて伊藤は立ち上がろうとする。しかし大久保がそれを止めた。

「静かに…逝かせて差し上げるのだ」

 感情を押し殺した大久保の声に、伊藤の目から涙が溢れた。それを見た大久保は、そこで漸く自分も泣いていることに気が付いた。

 木戸は間もなく、彼が最も愛した京都で病没する。結核が死因と言われているが、明治六年の事件を鑑みると、明治二年西郷が大隅小根占において木の切り株で頭を強打したときと同様或いはそれ以上の、左足麻痺を来たす慢性硬膜下血腫等、脳の疾患を合併していたとも考えられぬこともない。

 享年四十五歳。流血の幕末を軽やかに擦り抜けた獅子は世を去り彼の思想に相応しい緑萌ゆる季節に晩春の雨が暖かく降り注いで、穢れなき魂を静かに慰めていた。

 了



あとがき(令和3年9月)
 「Sepia」稼働中に呉いちよう様に差し上げた作品ですが、ストーリー展開上、必要と判断し、自分のサイトに掲載しました。