Foggy Rain



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※※ 18歳未満の人は、絶対に読んではいけません ※※
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BGM "You Give Love a Bad Name" Bon Jovi


 けぶるような霧雨の夜、が俺たちの約束だった――――――



―――――― Foggy Rain ――――――



 初めてあいつを抱いたのは、二十九歳の秋。

 一歳違いの幼馴染で、ガキの頃から互いに知らないことは無かった。幼稚園も小学も中学も高校も一緒で、朝も夜も隣にいることが当たり前だと思っていた。

 男臭い顔貌の俺とは正反対で、誰もが振り返る美少女顔のあいつは、顔に似合わず短気で喧嘩っ早く、口が悪かったが、性格が悪いわけでは無かった。だから、いつでもどこでもモテた。それでも剣道一本で来ただけあって、それまでの人生の中で、自分の家よりも俺の実家の道場にいる時間が長かった。見かけとは裏腹に生真面目で手の抜けない性格だとあいつの本性を見抜いていたのは自分だけだと、己惚れている俺がいた。

 念願叶って二人とも刑事課に配属されてからは、内勤でも外勤でも並んで座って、歩いて、走って、飯を食って、道場では打ち合って。互いに顔を見ない日が無いほどにあいつは俺の右腕で、背中で、手で、足で、空気だった。

 養子で近藤の家に入った関係で、いずれ自分にも来るだろうと思っていた見合い話が来たときに、やっと分かったのだ。他の誰より俺は、あいつでなければ駄目なのだと。見合い写真のなかの女は決して悪い印象では無かった。前日野署長の娘で、温厚で明るそうな性格にみえた。あいつは温厚とは程遠く、見かけ以上に陰鬱な奴で、あんな顔だが第一男だし、そういう対象ではないと自分に言い聞かせて来たのが、ついに爆発してしまった。

 だから深夜にあいつのマンションを訪ねた。

 俺の見合い話を喜んでくれたトシは、今夜は祝杯だ、と言って、缶ビールとブランデーを持ってきた。レミーマルタンのルイ13世は当時の俺たちには高級品で、貰い物だと言ったそれを、リーデルに注いで「乾杯」と笑った。花が綻ぶように。

 酒が進むうちに黒のタートルネックのカットソーから覗く妙に白い肌が桜色に染まっていくのを、俺は斜め横からじっとみていた。

 ドレープ下の肌がリーデルのクリスタルよりも透けていそうで、つい、震えた唇が開いてしまっていた。

「お前に軽蔑されるのを覚悟で、言わせて貰う」

 漆黒の瞳が訝しそうに俺を見る。漂う煙草とブランデーの香りのなかにあいつの匂いがあって、どうしても俺は嘘がつけなかった。

「お前を抱きたい」

 瞬間、ソファの脚部に背中を凭れさせながら隣に座っていたトシの右手から、がちゃりと音を立ててリーデルグラスが落ちた。ブラウンのカーペットに零れたレミーマルタンが、広がっていくのが見えた。

 蹴飛ばされるか、怒鳴られるか、胸倉を掴まれて殴られるかを予想していた俺は、その時少し俯いていたらしい。数秒の沈黙のあとで、心が止まっていた俺の視界に飛び込んで来たのは、トシだった。

 男のものとは思えない柔らかい匂いがして、はっとする。トシは俺の上に覆い被さるようにして両手で俺の顔を挟み、俺と唇を合わせて来た。いつの間にか俺の手からも零れていたリーデルグラスが、ソファの脚部とぶつかって、軽やかな音を立てている。

 俺の顔に掛かる少し長めの髪の毛から漂うあいつの匂いに我に返ると、少し潤んだ目が俺をみつめながら、口づけを求めていた。拒絶されなかったことに驚きながらも、あいつの柔らかい髪の毛と唇を感じて、俺は欲望で霞みそうな視界に耐え、あいつのシャツを脱がせた。

 誰も侵したことの無い躯に、挑む。切り裂かれるような痛みに涙を零しながらも、それでもあいつは嫌だと言わなかった。

 けぶるような霧雨の夜だった。

 それから、霧雨が合図になった。




 Peaceを缶で買っておいて、あいつの部屋に置いておく。三十で子持ちになった俺は、自宅では禁煙で、署でもたまにしか吸わない分、トシといる時は普段の忍耐が融けたように吸った。痩せて来たのを気にして、トシは俺ほどは吸わなかったが、俺が喫煙する姿を決して嫌だと言わなかった。だから俺が訪ねる霧雨の夜は、必ずPeace缶が用意されていた。

 適当に理由をつけて霧雨のなかを歩き、ポケットに忍ばせた合鍵でドアを開けると、Peaceの香りがして、銜え煙草のトシが俺を待っていた。

 ダークブルーのバスローブを羽織って、その下には何も身に着けず、俺だけがあいつの柔肌を温める。

 年々薄くなる躯が俺の躯の下で艶めかしく汗ばんでいくのを見るのが好きだった。その肌に噛み付いて跡をつけて、他のどんな奴をも寄せ付けないふうに所有の証を刻むのが好きだった。

 シャツの下に残る情交の跡が俺だけには見えそうで、痩せた背中が署内の階段を駆け上がって行く姿を眺めると、どんなに仕事がきつくても耐えていられた。警察署長とは言え俺は所詮ノンキャリで、嫁が前日野署長の娘である事と、実家が天然理心流の宗家と言うことぐらいが肩書でしかない俺は、キャリア連中にしてみればいっぱしの若造で、まともに相手にされることは無い。理不尽な理由で呼び出されたり、公衆の面前で馬鹿にされるのも当たり前だった。

 以前の俺なら、顔で耐えて心で唸っていたのだろうが、抱き合うようになってから、心でそいつらを嗤うようになっていた。

 トシを見るキャリア連中の目は、常軌を逸しているからだ。

 刑事にしとくのは勿体無いと名高い美貌の癖に、細身の体に付けたホルスターから繰り出されるスミス&ウェッソンM37エアーウエイトは両利き、ダブルアクションだけでなくシングルアクションも楽勝で、逃走する犯人を駆け足で追いながら、立ち止まらずに急所を外して撃つのだ。たまに警視庁近くの大型射撃場であいつが訓練する際には、訓練と称して見学にやってきたキャリアたちが顔を真っ青にして、百発百中の腕と恐ろしいほどの美貌を見て震える。

 そんなキャリア連中を横目で見ながら、心の中で俺は、ニヤニヤ笑うのを止めるのに必死だった。こいつは俺の部下で、幼馴染で右腕で、俺のものなんだと、公言しそうになるのを抑えるのがやっとだった。

 区内で開催される会議に参加するたびに、俺はトシの車で日野市から移動して、帰りに新宿にある小田急サザンタワーの「ほり川」で食事をするのが常だった。日野と違い、ここには俺たちを知る人間は居ない。予約しておいたカウンター席に座ってすっかり馴染みになった花板に握らせながら、時を過ごした。スレンダーボディを傾けて、カウンターのついた左肘で普段は飲まないオンザロックを開けて行くトシの様子を、隣や斜め向かい側のカウンターに座る客たちが顔を紅潮させながら、じろじろ見ていた。

 夜の新宿にも、あいつほどの美貌はいない。あれは、容姿だけで出来る外見じゃない。服でも化粧でもあれは造れない。だからこそ、着飾った人間だらけの店内でトシは誰よりも目立っていた。これで射撃場での訓練を終えたばかりの所轄の刑事だと、誰が想像するだろう。

 さすがに、センチュリーホテルの客室に向かう際にはレイバンをかけて顔を隠したが、ジャケットを左肩に背負って歩くトシの長めの髪が揺れる度にあいつの香りが漂って、それまで嗅いだことのなかっただろう女たちが、不思議そうな表情(かお)をして俺たちを見ていた。

 部屋はいつも、南東側のコーナーダブル。

 客室の窓から見下ろす新宿の街は、俺たちが見慣れた日野とはまるで違う輝きで、風呂上がりのトシは生乾きの髪の毛で濡れたタオルを首に掛けた恰好でそれをぼうっと眺めていた。その様子を確認してから、俺がバスルームに入る。そうして酔いを醒ましてからでないと、あいつを壊す自信があった。

 俺たちがここを使うのには理由があった。隔絶された空間で、トシの持ってきたバスオイルとソープを使うためだ。あのマンションでは他の居住者に遠慮して大量には使えない。「サロニカ」の製品は粒子が細かく、少量なら兎も角、大量となるとバスルームの換気口は勿論、玄関ドアや窓の僅かな隙間から漏れ出てしまう。偽物のアロマオイルしか知らない日本人には、「サロニカ」の精油はきつく感じるようで、嫌がられることが珍しくなかった。それだけ日本人の心が穢れている証明なのだが。「サロニカ」の精油は決して香油では無い。盲人が精神を駆使して作製する精油は、より匂いが純粋で、装飾が無いのだそうだ。

 警察官は邪悪に塗れる仕事だ。だから、日に日に自分も汚れて行く。深層が邪悪の人間は全く平気だが、先天的な異常を持っているトシにとっては、本来僅かな邪悪でさえ体に響く。それを精神力で忍耐しているトシの精神を、俺は解放してやりたかった。「サロニカ」でしか出来ない純粋なミルラを思い切り使わせて、あの痛んだ体を労わらせてやりたかった。

 ミルラベースの石鹸で全身を洗い、瓶に半分残っているミルラオイルを入れた湯船に全身を浸からせれば、揺れる湯船の表面に薄墨のような液体が滲み出て来て、己の汚れに慄くのだ。これだけ自分が、穢れていたのかと。全く同じ石鹸とオイルを使ったトシがベッドで待っていると思うと、時間がかかってもどうしても自分のすべてから、あらゆる邪悪を消し去りたかった。

 まっさらになった俺が、まっさらになったあいつを全身全霊で抱く。

 それが、俺たちの新宿だった。けぶるような霧雨が出ていなくても、あいつを抱ける空間を俺は失いたくなかった。だから無理やりにでも予定を入れて、ただでさえ黒く埋まったスケジュール帳の空きを見つけては、あいつが部屋で着ているダークブルーのバスローブとかけて青いペンで書き込む小さな丸は、その意義を俺とあいつしか知らなかった。松本を含めて誰にも言っていない。日野市で抱き合うのとは違う、身も心も解放された時を、止めるつもりはまるで無かった。

 妻と子を大切に思わないわけじゃない。が、彼らは俺の家族で、あくまで肉親の情だった。結婚以来、一貫して家庭は幸福なのだが、あいつのいない部屋は物足りなくて、しばらく抱かないと自分が悪夢に魘されるようにさえなっていた。

 俺はあいつに飢えていた。日々に溜まっては己の中で噴き出す邪悪さの何もかもを、あいつのなかで浄化したくて、霧雨の夜を待ち遠しにしていた。新宿を除いては、すべて、霧雨の夜だった。新宿でさえ霧雨の時は、俺たちの営みは明け方にまで至り、熔(と)けあったふたりで、どこまでも続く霧雨に融けて行ったのだった。




 その日、珍しく異様に熱くなって俺の上からなかなか離れようとしないトシを見上げながら、心底酔いしれていた俺は、漸くバスルームへ消えたトシの匂いの残るシーツを洗濯機に突っ込んで、新しいシーツに取り換えたベッドのなかでPeaceを吸っていた。

 胸の奥に、深く吸い込む。僅かに開けた出窓から入り込んでくる夜風に追いやられて、紫煙が部屋の向こうへ流れていく。二人の男が体を預けられるサイズの大型クッションに背中を凭れかけると、満たされた心に、体の気怠さが心地よかった。

 しばらく紫煙の行方を楽しんだ後、俺は勝手知ったる部屋を歩いて冷蔵庫から冷えたミネラルウォーターを取り出した。見慣れたキッチンはいつものように片付いていて、グラスや皿が取りやすいように整理がなされているが、俺はいつも直接ボトル口から飲んでいた。室内のそこここに染みついたトシの匂いが欲しい。こうして会うのは三週間ぶりだったのだ。

 俺は戸棚を開けて、スプリングバンクをオンザロックにした。氷を入れたほうがモルトウイスキーの香りが薄くなって、湯上りのあいつの香りを楽しめるからだ。

「勝っちゃん」

 トシの呼ぶ声がして、俺は二人分のオンザロックを淹れたクリスタルグラスを持ってゆっくりベッドルームへ戻って行った。

 ベッドと向き合うように据えられた一人掛けのソファに浅く腰掛けて、トシは俺がベッドに座るのを待っていた。ベッドルームは、バスタブで浸かって来たのだろう、僅かだがミルラの香りが漂っていた。俺は、この香りが好きだった。邪悪を浄化する香りが、俺にとってのこいつのようで。

 ほんの一時間前まで、猛っていた俺を咥えていた紅い唇が、話がある、と言った。

「―――山崎が………俺と一緒に、暮らしたい……っつってよ」

 俺の頬が、ぴくりと跳ねる。頬筋の僅かな痙攣でさえ見逃さないトシは、数秒間の沈黙の後に、俺と目を合わせて、はっきりと聞こえる声で続けた。

 この腕で喘いでいたテノールがやけに響く。

「俺は、応えてやりてぇと思ってる」

 だから、


 今夜で最後


 そう、言外に含ませて。

「………」

 俺は言葉が出なかった。心臓が思い切り鷲掴みにされた気がした。

 つい先ほどまでいい気分でいた筈なのに、一瞬で自分の何かが壊れた気がした。はじめて抱き合った夜に手にしていたリーデルグラスが、心の中で粉々に割れたかのように。

 駒形由美とは三年以上付き合ってはいたが、同棲はしていなかった。トシが先天性異常を理由に誰とも結婚する気はないことを知っていた俺は、由美とはいずれ壊れるだろうと予想していただけに、ある意味安心していたのだが、よりにもよって山崎は俺の部下で、署内で一番トシとは正反対の男だった。

 トシと山崎が二人で会う関係になったことに感付いてはいたが、心のどこかで、若造、と思っていたのだ。

 山崎の温厚で育ちの良さそうな品のある顔を思い浮かべて、嫉妬で網膜が真っ赤に焦げる。

「………」

 俺は、掌のグラスのなかで氷が細かく震えているのに気が付いた。

 トシに見つからないように手を止めようとするが、なかなか上手く止まってくれなかった。俺は天然理心流の宗家を継ぐべき人間で、誰よりもこいつの師範だった。先にこいつに手を出して、組み敷いて、自分の色に染めたのは俺だった。

 もともと煙草を吸わなかったトシにPeaceを吸わせ、部屋に常備させ、愛車のアクセラハイブリッドにBoseのサウンドシステムを入れて、音楽を脳天まで響かせるようにしたのは、俺だ。アクセラにTotoやBonJoviを入れたのも俺だ。―――――新宿から日野に戻る朝に、助手席で眠るトシのアクセラを俺が運転する為に。

 由美との付き合いがあったとは言え、トシは俺との夜を外さなかった。多い時は週に三度は抱いた。初めて抱いてから、十年以上の月日が経っている。いや、出会ってからは四十年になる。お前の人生とほぼ同じ時間を隣で過ごしてきたのは、俺だったのに。

 目の前で、何よりも大切にしていた宝石を掻っ攫われたように感じて、気が付くと俺はトシの手首を掴んでいた。

「勝っちゃん……」

 俺はもう、と切れ長の眼が揺れている。構わず俺はトシの腕を強く引き、口づける。掌のグラスが初めての夜と同じように床に零れたが、あのころから俺たちのなにが変わったと言うのか。

「……っ…」

 甘い舌。

 ああ

 何度こうして、おまえの舌を、肌を、おまえ自身を吸っただろう

 思いながら、俺は抱き寄せた体をベッドに倒して、バスローブを肌蹴た。

 湯上りで上気した肌を、山崎もみていたのか。

 由美でさえ出来なかったことを、あの男が為したのか。

『山崎に言ってみたらどうだ、“助けてくれ”って』

 ―――――おまえを

 助けたのは俺では無く、山崎だった…?




 一言、告げていれば

 こんなことには ならなかったのか




 けぶるような霧雨の夜だった




 俺の上に跨ったトシが、サイドボードに置かれたランプだけに照らされ、壁に影をつくる。

 どんな顔で抱かれた?

 どんな声で喘いだ?

 俺たちは今夜で何度目になるかをとうに忘れた抱合を繰り返していた。淡い照明に飛び散る汗と、漂うミルラとお前の芳香が俺を、俺を、苛める。あんなにも求めて来たのに。

『いい加減助けてやれよ、山崎のことも、お前のことも』

 そう言ったのは、確かに俺だった。が、由美でさえ繋ぎとめられないでいたトシを、自分以外の誰にも手元にとどめられないだろうと思っていたのだ。それが己惚れだったのか。

 体は燃え、頭は混乱していく。

 髪を振り乱すトシの顔の横に、由美の顔が見えた。銀座の高級クラブで一番の売れっ子で、志々雄真実の情婦(おんな)だった彼女は、いかにもな顔つきの派手な美女だった。互いの性格からして、由美のほうが先にトシを求めたのだろう。二人が男女の仲であることを知っていた鎌足たちは、ある意味二人はお似合い、と言う認識だったようで、刑事とヤクザの元情婦と言う歪(いびつ)極まりない関係の二人を、からかったり妨害したりはしようとしなかった。俺も、もし、万が一トシが由美と同棲なりをしても、新宿の夜だけでも確保すれば自らを保てる自信はあったのだ。なぜなら由美は女で、俺は男で、最初から比べる術が無いのだから。

 なのにどうしてそこを、山崎が超えてくるのだ。

 きつくきつく攻め立てながら問うと、トシは涎を垂らしながら答えた。

「……お、俺、…を、……っ、」

「―――おまえを?」

 ぎしぎし、とベッドが鳴る。音が鳴る度に俺とトシが繋がった箇所の粘膜が捲れて、トシが、ああ…!といっそう啼いた。

 大きく見開かれた漆黒の瞳から涙が溢れだす。がくがくと前のめりに倒れそうになった最近いっそう痩せた体を受け止めて、繋がったまま俺のほうが上になり、トシを胸の下に敷いた。

 生乾きの髪の毛がアイボリーのシーツに広がって、また香る。

 この香りはずっと、俺だけが独占していた筈だった。由美は抱かれるほうで、俺がトシを抱くほうだから、立場が違う。銀座の頃とはまるで異なる地味な恰好をして歩く由美を見かける度に、この女なら、俺も許せると思うところがあった。

 警視庁一の美貌に警視庁一の射撃の腕前と捜査の実力を誇るトシ。銀座の志々雄のもとで大輪の花を咲かせ姐の地位を手に入れた由美。ふたりのちょうど真ん中に、俺がいた。誰ひとりとして介入出来る隙間はなかった。それが、日野署で一、二を争う優男が脇から飛び出て来て、

 ……いや、

 俺が知る限り、山崎は随分長い事トシを想っていたようだった。が、地味の極みのような山崎は、おそらく由美のことも知っていただろうが、トシのプライベートに触れることはまず無かったのではないかと思う。非番の日に多摩川河川敷でジョギングをした後で、総司や鎌足たちと「お好み焼きパーティ」をして楽しむ程度の、誰がどうみても目立たない男なのだ。おまけに趣味は園芸だった。花は花でも大輪の花ではなく、野に咲く花や和花と言った、大人しい花を育てるのが好みらしかった。

 品行方正で、性格温厚、常に生真面目な仕事をして、山南の指示にもトシの指示にも大人しく従う優等生の印象しか、無かった。だから俺は未だに、どうしてこんなトシが、あんな山崎と、と思わざるを得ない。

 俺の体の下でライトに照らされて露わになったトシは、肩で大きく息をしていた。

「……お、れを……っ…」

 トシの目の焦点がぼやける。…山崎のことを考えているのか。

 ひとりごちて、俺は上がっていたトシの顎を掴んだ。顔の位置がもとに戻されて、彼の焦点が戻る。俺の目と、みつめあう。

 唾液と俺の精液で光る唇を、親指でなぞってやる。背中がびくりと跳ねて、体を重ねている最中にこうされるのが、トシは好きだった。

「…俺を……」

「お前を?」

「………好きで……いたい……って……」

 ―――――そんな僅かな言葉で―――――

 怒りが湧きあがった。反射的に、俺はトシの膝に手をかけてぐっと力を入れる。そのまま突き進んで、泣き叫ぶように喘ぐトシを幾度となく吐精させた。

 お前の芳香が、俺を苛める。

 別の男の匂いがするからだ。




 助けてくれ  と



 ―――――愛している   と



 たった一言、告げていれば

 こんなことには ならなかったのか




 あらゆる音が遮断された霧雨の夜。少なくともこの世界には、俺たちだけがいる。

 俺がキスマークを散々つけた白い脚を痙攣させながら、トシは絶え絶えになっていた。痩せた腕にはもう、俺に抗う力は残っていない。

 濡れた内股をするりと撫でると、トシの喉の奥が引き攣った声が聞こえて、―――――逃がしては、やらない。

 さっきまで俺で満ちていた秘所に指を入れる。掻きまわしてやると、トーンの高い声が裏返りそうになって、トシは歯を食い縛ろうとしたが、俺は許さなかった。

 太ももを開き、膝の裏に手をかける。再び勃ち上がって来た俺の腰を押し付けて、太さに怯えるトシの顎から左耳まで唇を滑らせて、山崎がつけたであろうキスマークの残る項を睨み、耳たぶを食んだ。

「誰にも"親友"の位置を譲るつもりは無ぇよ」

 囁きに潤んだ瞳に映るのは、いまは俺だけだと告げるようにして

 俺はすべてを、あいつのなかに埋め込んだ



 今日も けぶるような霧雨

 雨は深夜まで降り続くと言うのに おまえは

 男と暮らす街中へ消えて行く

 俺と居た時には決して着ようとしなかった

 鮮やかな色のストールを羽織って

 幾度となくこの腕に掻き抱いた背中をみつめながら

 俺は

 おまえの幸福だけを祈った



あとがき(令和3年9月)
 勝ちゃんをただ只管に恰好良く書いた…つもりです。
 小田急サザンタワーの「ほり川」はコロナ禍で閉店してしまいました。
 お世話になりましたBGM: https://www.youtube.com/watch?v=ZhIsAZO5gl0